男性に殴られた


私はそんな経験を持つ女性からの相談を受ける事がよくあります。


世の中には「一度でも手を上げたら絶対に別れる!」

なんて強気の女性もけっこう多いものですが、結構な数の女性は泣き寝入りしたり「自分が悪い」と逆に反省してしまったりしているようです。


さらに、何度殴られてもむしろ愛(というよりはしがらみ)を深めていってしまうタイプの女性も少なからずいるようです。


このような女性は明らかに「不幸気」が身に染み付いてしまっています。

「不幸体質」というやつですね。


ドメスティックバイオレンスとデートDV(家族関係ではない恋愛状態での暴力)には暴力をふるうことによる「身体的虐待」のほかにも、「性的虐待」「精神的虐待」「経済的虐待」「社会的虐待」などがありますが、基本的にどれも同じです。


自分勝手な気持ちを持った人間がパートナーを思うように操りたいために虐待をくわえてしまう事です。


そこに愛はありません。


親が子をしつけるために手を上げるのとは根本からして異なります。


そこにあるのは「わがまま」「支配欲」「幼児性」「男女差別」「いじめ」「精神的疾患」などにすぎません。


もう一度言います。そこに愛はありません。


被害者は男性にもいることはいますが、そのほとんどが女性です。

なぜなら一般的に男性よりも女性の方が肉体的にも社会的にも弱いからですね。


普通の人の目から「暴力を受けてもパートナーと別れようとしない女性」を見ると不思議で仕方ありません。


「歩道がちゃんとある道路なのにわざわざ車道を歩いて危ない目に会っている人」や「同じ商品をわざわざ高い値段の店で買う人」と同等に見えます。いや、それ以上に不思議に見えるかも知れません。


よく男性に殴られている女性は

「他の人も殴られている」と考えがちのようです。


とんでもありません。


永年連れ添った夫婦であれば何かの間違いで一度くらい手を上げてしまう事があるかも知れませんが、「しょっちゅう手をあげる男」なんてのは「泥棒」と同じくらいの数しかいないと考えていいはずです。


女性が幸せな恋愛をするためには「不幸気」を持った男性と離れることが大切です。


「殴られるけど愛している」という恋愛は大抵が「何かの錯覚」です。


また、よく女性を殴る男性とばかり付き合ってしまう女性は自分にも原因がある場合があります。


常に恋愛対象となる男性がそばにいてくれないとダメな「恋愛依存体質」。

他人に頼らなければ生きていけない「精神依存体質」など…


ほかにも幼児期に大人から虐待を受けたため虐待が当たり前と思ってしまったり、自分に非があると思ってしまう人も多いようです。


とにかく人を殴る人間に「幸気」は絶対に寄ってきません。


自分の幸せを考えるのであれば、一刻も早くその相手から逃げることです。


なかなか別れられないという人のために各自治体にはドメスティックバイオレンスの相談室などが設けられています。

また、有料ではありますが個人の弁護士事務所に相談するのもいいでしょう。


もう一度いいます。


恋人や配偶者がパートナーを殴るのは親が子を思って殴るのと全く違います。


そこに愛はないのです。


「でも他に相手がいない…」なんて人もいるかも知れません。


そんな事はありませんよ。


決して弱い存在に手を上げたりしない男性は山ほどいます。

というか、実社会にはむしろそのような男性の方が何倍も多いのです。


一度、自分の外の世界、そして「幸気」を持っていそうな人の周囲を見渡してみましょう。





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テレビや雑誌の影響でしょうか?


最近は「幸せ」について考える際に「霊」「前世」「来世」などについて語りたがる人が増えているようですね。


テレビなどに胡散臭い人が出て「前世・霊」についてお話しているのをよく見かけますし、驚く事にその番組の視聴率が非常に高かったり、著書がベストセラーになったりもしています。


なぜでしょう?


そうそう、最近流行っている物といえば「黄金比率」なんて物もありますね。

「○○と××の比率を★:▼にすれば美味しい(素晴らしい)物ができる」ってヤツです。


実は我々を納得させたり感動させたりする話にも「黄金比率」があるのです。


人間が他人の話を聞く際に「心地よい」と思ったり「納得してしまう」ためのレシピです。


もちろん相手が人間ですから全員に同じ比率は通用しません。


ここがミソです。



さて、それでは他人を「心地よい」と思ったり「感動したり」「納得させる」ためのテクニックとはいったいどのような物でしょうか?


それは


会話(物語)の中に『意外性(驚)』『安心感(思った通り)』を上手に配合する事です。


ドラマや映画、小説などでも同じです。


受け手の知らない情報や予想外の事件などを多めに盛り込んで、その後で「ああ、やっぱり」と安心させると、受け手側は「満足感と安心感」を感じます。


できれば『驚き』は多くの人にとって常識外の事、そして『安心感』は多くの人にとって共感できる事が望ましいようです。


例えば「霊」や「前世」というのは科学的に実証されていない事ですから、この場合は『驚き』に該当します。


そして「悪い霊」などが原因で不幸が起きたりする事は、倫理的な「安心感」につながります。

また、守護霊などが自分を守ってくれて良い事が起きるのも「安心感」となるようです。最終的に「人間愛・男女愛」で物事が解決するというのも「安心感」を与えるための常套手段です。


一部の宗教家や「超常現象」を主張する人たちは「黄金比率」の具合が非常に巧みです。


知的な人を対象に話をする場合は、様々な科学的データや論文などを用いて『安心感』を与え、『驚き』は「不可能ではない程度」の物を使用して「あまり突飛な物」を混ぜないのが鉄則です。


一方、そうではない人や冷静さを失っている人を対象に話をする場合は「霊・超常現象」などを『驚き』として大量に用いて、「男女愛・親子愛」など誰もが共感できる『安心感』をスパイスとして配合します。

彼らはこれが非常に上手なのです。



人間の周囲に起き得る様々な出来事は「当事者のせい」と「当事者以外のせい」に二分されます。


これを心理学用語で「当事者のせい=内的要因」「当事者以外のせい=外的要因」と言います。


そして人は自分に起きた良い事は「内的要因」と思いたがり、自分に起きた悪い事は「外的要因」と思いたがるクセがあります。


一方、他人に起きた良い事は「外的要因」だと思いたがり他人に起きた悪い事は「内的要因」だと思いたがるものです。


ちょっとややこしいですね。


簡単に説明すると

人間は「自分がうまくいっているのは自分のせい。自分がうまくいかないのは他人や時期、環境のせい」と思いたがる一方で「他人がうまくいっているのは他人や時期、環境のせい。他人が失敗しているのは本人のせい」と思いたがる生き物なのです。


そう考えるのは「自分の失敗や他人の成功に対して、自分の中で言い訳しようという気持ちが生まれるから」ですね。


自分に対して言い訳をするのは「心地よい」行動なのです。



さて、それでは話を戻します。


テレビに出てくる怪しい人たちや一部の宗教家が何でも「霊・前世」のせいにしてしまうのは「言い訳をしたい」と思っている人たちにとって「霊・前世による外的要因」が非常に心地よいからです。


「自分の人生はうまくいっていない」

この理由をキチンと判断して反省し、解決策を見出せる人はそう多くありません。


逆に「それはあなたのせいではありません。霊・前世のせいなのです」と言ってくれれば、誰にも責任を転嫁する事なく「自分がうまくいかない事」を受け入れる事ができます。


そう、人はいつでも「あなたのせいじゃない」と言ってもらいたいのです。


ですが、それにつけこんで「商売」をしている人がいるというのを忘れないで下さい。


その人たちはきっとあなたの「幸気」を奪っていきます。


この手のお話に夢中になっている方は自分の周りにある事しか興味がない方が多いようです。日本の小さな社会の中での「幸せ」「不幸せ」に縛られているはずです。


もっと視野を広げて冷静に考えてみましょう。


「アフリカで飢餓や病気に苦しむ数百万人の人たちは霊や前世のせいで苦しんでいるのでしょうか?」


「宗教の対立に巻き込まれている土地の人たちは霊・や前世のせいでその土地に生まれたのでしょうか?」


「有史以来、人類の9割以上が農業などの第一次産業にかかわってきたといわれます。それなのに『あなたの前世は農民です』と言われる人がほとんどいないのはなぜでしょうか?」


「科学的に見れば人間など他の動物と大差ないのではないでしょうか?」



人を必要以上に疑うのは、決して素敵な行為ではありません。


しかし、世の中には嘘をいう事でお金をもうけようとしている人がいるのも事実です。


「嘘」と「事実」、そして「自分や周囲の人のためになるのかどうか?」という事を見極める力を身につけるためにも、多くの人と触れ合って様々は意見を聞くことが大切です。


自分に起きている事は「自分」か「周囲の環境」「時期」などのせいです。

それを認識しない限り、幸せを掴むのは難しいはずです。

決して「霊・前世」など超常的な物の仕業でない事をわかってください。


私が主張する「幸気」は人が備え持つ「力」の一種であり、決して超常現象ではありません。


人と触れ合う事で「幸せが生まれる」のは誰もが感じたことのある事実なのですからね。

そう、「幸気」とは人間の心のあり方なのです。


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みなさんは恋愛関係や夫婦関係にあるパートナーに対して「どうして男(女)は?○○なんだろう?」なんて思ったことがありませんか?


恋愛経験が多い人ほど「男(女)はみんな○○だなぁ」なんて思ったことがあるはずです。

そしてそれと同時に「自分だったら絶対にそんな事はしない(考えない)」なんて思ったことがあるはずです。


もしかして○○に当てはまるのはこんな感じじゃありませんか?


女性は

「どうして男はすぐ他の女に手を出すのだろう?」

「どうして男は威張りたがるのだろう?」

「どうして男は自分が大切に思っている事に気付いてくれないのだろう?」

「どうして男は大事な記念日を忘れちゃうのだろう?」

「どうして男は一度に二つのことができないのだろう?」

「どうして男は私に共感してくれないのだろう?」


一方、男性は

「どうして女は時間が守れないのだろう?」

「どうして女はすぐにイライラするのだろう?」

「どうして女は余計な事を想像して心配したり怒ったりするのだろう?」

「どうして女は口うるさいんだろう?」

「どうして女は気まぐれなんだろう?」


人によって差はあるでしょうが、多くの人がこのような事を考えた事があるはずです。


そして、これらが原因となってケンカしたり、場合によっては別れにつながってしまう事もあるでしょう。


ケンカはせっかく持っているお互いの「幸気」を失わせてしまいます。


以前も書きましたが「不幸気」は「幸気」よりもずっと強力です。

せっかく苦労して手に入れた「幸気」はちょっとした「不幸気」にすぐに追い出されてしまいます。


そう、恋人同士や夫婦が長年積み上げて来たたくさんの楽しい思い出や一緒に感動した出来事なども些細なケンカをするだけで簡単に吹き飛んでしまう事だってあるのです。


それではケンカをしないで恋愛や夫婦関係を長引かせるコツはなんでしょうか?


どちらかがガマンをすることでしょうか?


いえ、それはよくありません。片方にストレスがかかっている状態は決して「幸せ」とはいいません。それが幸せと感じられるのはあなたに「偽幸気」があるからです。ご注意ください。


ケンカをなくする最もよい方法は「相手に求めない事」です。


以前も書きましたが男と女の脳は全く別物です。

もちろん男性っぽい脳を持つ女性もしますし、女性っぽい脳を持つ男性もいますが、一般的には「別物」と考えて差し支えありません。


男女の脳の差はあなたが想像するよりもきっとずっと大きなものです。


そう、もう別の種類の生き物と考えた方がいいでしょう。


ところで、あなたは「足の悪いお年寄」と一緒に出かけた際に「なんでもっと早く歩かないんだよ?」って思いますか?


小さい子供が転んで泣いている時に「なんで泣くんだ?そんなもん自分の責任だろ?」って思いますか?


思いませんよね?


でも一緒に歩いているのが「自分と同じような大人」だったら「なんでもっと早く歩かないんだ?」って思うはずです。

転んで泣いたのが「自分と同じような大人」だったら「いい大人が転んで泣くんじゃないよ。バカじゃないの?」って思うはずです。


なぜでしょう?


そう、あなたは頭の中で「足の悪いお年寄は歩く速度が遅くても仕方ない」とか「小さい子供は転んでなくのは当たり前」って思っているからですね。

一方、「自分とほぼ同じ」と思っている相手が思うようにいかないと頭に来てしまいます。


つまり、お年寄に「早く歩くこと」を求めていないから頭にこないのです。


小さい子供に「ガマンすること」を求めていないから頭にこないのです。


恋愛もこれと同じように考えてみませんか?

「人は自分と違う。だから自分の思うとおりにいくはずがない」

そう考えればきっといろんなストレスが減るはずです。

もちろん恋愛だけではなく全ての人間関係に当てはめることもできますね。


「相手に求めない」


その考え方が身につけばきっと笑顔が増えるはずです。


そして、できることなら「自分は相手の求めている事を受け入れてあげる」のを心がけましょう。

ちょっと矛盾していますが、それが人間関係を円満に保つためのテクニックなのです。



恋人や夫婦がトラブルを起こす原因の多くは「男女の感覚の差」です。


「なんで男(女)は…」と眉をひそめるよりも、「ま、男(女)だから仕方ないか!」って笑って許せるようになれば、きっとあなたとパートナーの間で「幸気」が増幅する事でしょう。


そうそう、「相手に甘える」ってのと「相手に求めない」ってのは大きく意味が違いますから勘違いしないようにね!




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自分を見つめなおす。


人間関係を円満に保ち「幸気」を集めるためにも非常に大切な事なのですが、世の中にはこれが上手にできない人がたくさんいます。



気付いたらストーカーまがいの行為をしている


つい恋人に手を上げてしまう


子供を放って遊び歩いている


ギャンブルで使う金額がハンパじゃない


嫉妬や妬みなどから常に誰かを憎んでいる


一攫千金を狙うことばかり考えている


などなど…


これらの行為を続けてしまう人は自分を見つめなおす事が下手なのに違いありません。


これらの人たちは周囲から「不幸気」や「偽幸気」をもらって自分の中で増殖させてしまっています。


このような人たちだって、昔は純粋な子供でした。


男の子ならテレビの「正義のヒーロー」に憧れ、女の子だったら少女漫画の「ヒロイン」に憧れていたのではないでしょうか?


でも大人になったら、いつの間にか「ヒーローに退治される悪役のようなヤツ」や「ヒロインを邪魔する意地悪なライバル」とかになっちゃっていませんか?



それでは自分を冷静に見るにはどうすればいいでしょうか?


子供の頃のように「正義のヒーロー」や「やさしいヒロイン」になるにはどうすればいいでしょうか?


そう思った人は自分を「テレビドラマの主人公」に置き換えてみましょう。

もちろん昔のように「アニメの主人公」でもかまいません。


そして、自分の中のもう一人の自分にそのドラマを見てもらいましょう。


映画ならともかく、人はテレビドラマやアニメには「正義・純愛・優しさ」などを求めます。

もちろん例外もありますが、たいていはそのような設定となっています。

なぜなら「テレビドラマやアニメ」は視聴者が「気分よくなるため」に見るものだからです。

ですから、例え少々癖のある主人公だったとしても、たいていは「人間味」があったり、「本当は優しい人」であったりするはずです。


さあ、それではあなたの行動を元にドラマの脚本を作ってみましょう。


あなたは自分と同じような行動をとる主人公をどう思いますか?


「恋人に手をあげるような主人公」が出ているドラマに共感できますか?


「ストーカーをする主人公のドラマ」を毎週見ようと思いますか?


「道路にゴミを捨てる主人公」を応援しようと思いますか?


「周囲の人にすぐ当り散らす主人公」がステキだと思いますか?



人の人生は一度だけです。


前世や来世などはありはしません。


テレビで前世を主張している人は「人が言い分けをしたがっている気持ち」を利用して金儲けをしようとしているだけです。


そう、あなたの人生は一度だけなのです。


一度だけの人生なら「悪役」や「イジワル」になんかならず、「かっこよく」「優しい」主人公になりましょうよ。


いつも人を睨みつけて生きる悪役よりも、にっこり微笑んでいる主人公になりましょう。


そう心掛けて生きるだけで、きっとあなたにも「幸気」はやってくるはずですよ。



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「金持ちケンカせず」って言葉がありますね。


「お金持ちは心に余裕があるから下らない事でケンカなんかしない」って意味ですが、これって逆の意味で考えることもできますね。


つまり


「すぐケンカするような気の短い人はお金持ちになれない」って事です。


決して「気の短い人がお金持ちになれない」というわけではなく、「すぐにケンカをして周囲の人に『不幸気』を与えてしまうような人はお金持ちになれない」という意味ですね。



家族や友人、そしてあかの他人であっても、その人を「不快=不幸せ」にさせるのは簡単な事です。


そう、相手が不快になる言動をすればいいだけの話だからです。


道路にツバをはいたりするなど公共ルールを無視した行動をすれば大抵の人は不快な気持ちになります。


公共ルールを無視した行動をとっても別に不快にならないという人がいるかも知れませんが、そういう人は既に心にたくさんの「不幸気」が宿っていますね。


ほかにも相手に直接嫌な言葉をかけたり、因縁をつけて暴力をふるえば、相手がたとえケンカに強い人であったとしてもとても嫌な気分になるでしょう。


自分の「なりふり」さえ構わないのなら、知らない相手とその周辺の人をいきなり「不幸のどん底」に陥れる事だって可能です。その最もたるものが「通り魔」です。



一方、他人を「幸せ」にするという事はけっこう難しいものです。



相手が家族や友人であれば何らのか方法は思いつくかも知れませんが、あかの他人が相手だととても難しいものです。


通りがかりに「はいどうぞ」と大金を渡しても「気味の悪い人だ」と思われるだけです。


全く見ず知らずの人であれば、その人がいい気分になってくれるような「立ち振る舞い」をするしか方法はありません。


例えば「清潔な服装」や「明るい笑顔」、「元気のいいあいさつ」などですね。

その相手に限らず、何か他人に喜ばれるような行為を常に心掛けているのが最も良いかも知れません。


これらは「極々小さな幸気」しか生み出しませんが、いつかそれが何十倍にも増幅して自分にも戻ってくる事でしょう。


時間はかかるかも知れませんがあなたが人に与える小さな「幸気」がいつかあなたの人生に大きな花を咲かせるはずです。



ここまで読んでいただけば分かると思いますが、周りの人を「幸せ」にするよりも「不幸せ」にする方がずっと簡単で時間もかかりません。

つまり「幸気」よりも「不幸気」や「偽幸気」の方が簡単に増殖してしまうというわけですね。


金持ちケンカせず。


そう、「けんか=周囲の人を嫌な気持ちにさせる事」と考えるならば、「不幸気」や「偽幸気」を持った人は人生で成功しないという事をことわざが証明してくれているのです。





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私は女性から恋愛カウンセリングを受ける事が多いですが、男性から受けることは滅多にありません。


もちろん私が「男」ですので、女性が「男の本音」を知りたいと思って相談する事が多いというのも理由の一つでしょう。


しかし、女性のカウンセラーに聞いても、男性が恋愛相談を持ちかけてくることは滅多にないそうです。


なぜでしょう?


その理由は「脳」のせいです。


またもやちょっと脳科学のお話をしましょう。


男性の脳と女性の脳は全く別物です。


元々、お母さんのおなかの中にいる時の初期の「脳」は「女の子の脳」です。

しかし男の子は胎内で成長する過程で、お母さんの身体からアンドロゲンというホルモンが分泌され、それが「女の子の脳」から「男の子の脳」へ変化させます。


その結果、できあがった脳は男女で全く違うものになってしまうというわけです。


男女の感覚的な事項や趣味・嗜好などが異なるのはこれが原因です。


そして男性の脳は女性ほど「恋愛」を大切にしません。


なぜでしょう?


このような仮説があります。


我々は人間である前に動物の一種でもあります。


ですから我々には理性とは別の「動物的な本能」が備わっています。


全ての生き物は子孫を未来に残すために様々な行動をとります。


動物のオス、そして人間の男は条件さえ許せが何百匹(人)の子供をつくる事が可能です。

ですから精子をあちこちにばら撒く事で、自分の子供をたくさん作り、その中で優秀な物が生き残ればよいという本能があります。。


一方、メス(女)は物理的にも時間的にも限られた数の子供しか産めません。

ですから、優秀なオスの子孫を残すため一度「これは良い」と思ったオスを自分の下に留めようと行動します。

また、数少ない自分の子供を必死に守ろうとします。


つまり、人間のオスは残念ながら「浮気」をしたり、「パートナーに飽きる」という行動が脳にインプットされていると考えた方がいいのかも知れません。


オス、そして男が恋愛をあまりに重要視すると「ほかのメスを相手に子孫を残せない」という事になっちゃいますからね。



脳科学の世界には「恋愛3年限界説」というのがあります。


人間のカップルが「ラブラブ」でいられる、つまり「恋人同士」でいられるのは3年が限度だという説です。


「そんな事ないでしょ?3年以上付き合っているけど仲のいいカップルをいっぱい知っているよ」って人もいるかもしれません。


しかし、付き合って3年以上たった男女は「価値観」「人間性」「安心感」など、「異性」としての魅力以外の事でつながっているのです。


もちろん、それが「恋愛以下」というわけではありません。

むしろ高等動物のつながりとして「恋愛以上」の物といっていいでしょう。


若い女性には「恋愛至上主義」の方がけっこういますが、「恋愛」は「感情の激しい高ぶり」こそ強いですが、「人と人とのつながり」に比べると長続きなどしないものです。


少し前まで「死ぬほど好きだった人」が、「新しい彼氏ができたらどうでもよくなった」って経験は誰でもあると思いますが、「友人の死」に対して「新しい友人ができたからどうでもよくなった」なんて人はいませんもんね。


そう、男女の脳はまるきり別物ですので、自分の価値観を相手に押し付けるのは、相手に好かれる上で「逆効果」にしかなりません。


「恋愛至上主義」の女性の気持ちを男性がわかってくれないのは当たり前といえば当たり前なのです。


男女の脳のお話はまた別の機会に詳しくお話します。


さて、話はやや遠回りしてしまいましたが、ここからが本題。


人にとって「幸せな恋愛」とはいったい何でしょう?


もしあなたが若くて火傷覚悟でも一時の恋愛に燃えたいというのであれば、少々「幸気」が薄くてもセックスアピールの強い異性と恋に落ちるものいいでしょう。

人生何事も経験です。


しかし、あなたが「本当に良い恋愛」「深い結びつき」を求めるのならば、色気や見た目などよりも「人間性」に注視するべきです。


人間性あふれる人物は男性でも女性でも強い「幸気」を持っていたり、人から「幸気」をもうう機会も多いはずです。

その「幸気」はいつしかあなたにもやってきて幸せを分け与えてくれるはずです。


人は「暖かい炎」を求める際、ついつい「ゴウゴウと燃えている炎」を求めがちです。

しかし、そのような炎はすぐに消えてしまいます。

長い時間あなたを暖めてくれるのは「ゴウゴウと燃える炎」ではなく、小さく燃えている「炭火」の方なのです。


恋愛もきっと同じはずです。


よい恋愛をするためには

○見た目や色気よりも人間性を重視する

○男女の考え方の違いを理解して、自分の考えを相手に押し付けない。


というに注意しましょう。




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このお話は実話を元にモギハルトが脚色を加えたものです。登場人物の名前などはすべて架空です。



山根隆志は防波堤に立ちぼんやりと鉛色の海を眺めていた。


海からの風が身を切るように冷たい。


冷たさはふた月ほど前に怪我をして思うように動かなくなった右腕に染み渡り、痛みを伴った。


世間はクリスマスだと騒いでいるようだが今の自分にはそんなもの関係ない。


隆志は寒さと右腕の痛みを紛らわすため、左手に持っていた飲みかけのワンカップをグビリとあおった。


思えば、今からちょうど3年前。会社近くのパチンコ店で中学時代に仲のよかった伊藤靖男に再会した事が自分の人生を変えてしまった。


「よお」

「えっ靖男?マジ?いや~久しぶりだな」


靖男はちょうど店を出るところだったのでその日は電話番号とメアドを交換しただけで終ったが、翌日電話があった。


「すごくいいビジネスがあるんだ。今度の日曜に話だけでも聞いてみないか?」


隆志は「ああ、よくあるマルチ商法だな」と気付いたが、旧友の誘いを無下にするのは悪いと思い「話を聞くだけなら…」と返事をしてしまった。


次の日曜。靖男と待ち合わせしたファミレスに出向きテーブル席で世間話などをしていると、靖男の上司という男が現れた。

「こんにちは。加藤博次です」

清潔そうで丁寧な物腰の加藤の左腕には高そうなロレックスが光っていた。

ふと靖男の左腕に目をやると、オメガの腕時計が目に入った。


隆志は自分がカシオのデジタル時計をしている事がなんとなく恥ずかしく思えテーブルから左手を下ろした。

加藤が「失礼します」と言って席に着くと突然靖男が切り出した。

「ところで隆志は今幸せか?俺は今、人生の本当の目標を見つける事ができて毎日が最高に楽しいんだ」


「幸せ?」

隆志は考えた。


結婚して6年。一人息子の幸太郎も5歳になっていた。

来年からは小学校だ。何かと金も入用だろう。

今務めている大手スーパーマーケットの仕事だけでは生活費が足りず、妻の喜美代も日中はパートに出ている。


「もっと収入を増やしたい…」「自分は天職に出会っていないのではないか?」

それらは隆志の偽らざる気持ちであった。


熱心にビジネスの内容を説明する靖男と加藤から隆志は不思議な「気」のような物を感じた。


二人の目はどこかピント外れに遠くを見ているような感じがした。

そして口から出る柔らかな言葉は巧みに隆志の心のすき間に入り込もうとしていた。

靖男と加藤の会話はまるでテレビドラマの台本を読むようにスラスラと進み、隆志はいつの間にかそこに飲み込まれていた。


その時、隆志にはその「気」のような物が何なのか分からなかった。

それどころか「ああ、これが儲けている人間の勢いなのかな?」と勘違いをしていた。


そして靖男とファミレスで会った二日後、隆志は加藤が持ってきた「販売代理店契約書」という書類に実印を押していた。


今思えば「それではここに印鑑を押してください。なに大丈夫ですよ。山根さんならあっという間に子会員をいっぱい作ってプラチナ会員になれますよ。そしてバリバリ稼げますよ。1年後にはベンツにでも乗ってるんじゃないですか?」という加藤の言葉はどこか白々しかったのかも知れない。


以前から「俺はあの手の怪しい商売には絶対ひっかからない」と公言していた隆志であったが、喜美代には「儲からなければやめればいいし、儲かったら続ければいいだけの話だ」と説明した。


靖男が紹介してくれた「いいビジネス」は,「次世代通信機器」と言われる機械の販売だった。最初の一ヶ月ほどは加藤が紹介してくれた客などを相手にそこそこ順調に仕事が進んだ。

加藤も靖男も「最初の一月で1件の契約が取れるなんてたいしたもんだ」と隆志を褒めちぎった。


しかし、その後加藤から「山根さんが実際に使ってみなければお客様には勧める事ができないでしょ?」と言われ、高額な通信機器をローンで購入してから風向きが変わった。


「今月のノルマを達成するためには少しくらい在庫を抱えた方がいい」

「うちの会社が提携しているクレジット会社を紹介する」

「代理店のクラスをあげるために100万必要だ。なに、上のクラスならバックマージンが大きいからすぐに返せますよ」

「こっちが儲かっている素振りを見せなきゃ誰も山根さんの話を信じてくれませんよ。もっといいスーツを着て、腕時計や靴だって良いものに取り替えなきゃ」


隆志は加藤の言う通りに動いた。


15万円のロレックスも買った。


そしてこのビジネスに本腰を入れるため喜美代の反対を押し切ってスーパーを退職した。


友人たちはワケの分からない機械をしつこく売ろうとする隆志からドンドン離れていった。

隆志は自分の知り合いがいなくなると喜美代の親族や友人までをも勧誘した。


「私の周りの人にはやめて」という喜美代を殴りつけ、勧誘がうまくいかないと酒におぼれた。


ある日、「順調に成長している」はずの会社が突然倒産した。


加藤への連絡もつかなくなり、靖男の携帯もつながらなくなった。


隆志の手元には500万円もの借金と、マルチに狂った人間以外からは見向きもされないワケのわからない機械の在庫、そしてロレックスの腕時計だけが残っていた。



隆志はやむなく自己破産を決意した。

そしてその前に、隆志と喜美代は離婚届に印鑑を押していた。


隆志とサッカーをするのが大好きだった幸太郎は「お父さんと離れるのは嫌だ」と最後まで泣き叫んでくれたが、酒びたりに近い状態の隆志には全く耳に入らなかった。


「みんなで俺をバカにしやがって…」


家族が自分の元から去ると、隆志は小さなオンボロアパートに引越して日雇いの肉体労働をしながら酒とギャンブルに明け暮れる生活を始めた。


楽しいと思えるのはギャンブルで当てた時と、酒を口にした時、そしてなけなしの金をはたいて風俗に行った時だけだった。


その時だけは隆志はそれなりの「幸せ」を感じていた。

虚脱感と隣り合わせの「幸せ」を…。


そんな生活が3年近く続いた。


一人で部屋で酒を飲んだ時、この暮しが永遠に続くのかと考えると思わず涙がこぼれた。そんな時、隆志は更に酒を浴びるように飲むしかなかった。


しかしそのような生活さえ長くは続かなかった。


場末のスナックで焼酎を浴びるほど飲んだ帰り道、歩道橋の階段で足を滑らせて転落。首を階段にしこたまぶつけたうえに右腕を変な形でひねって骨折した。


右腕の関節が逆に曲がり、身体が動かない。声も出ない。

酒くさい隆志を助けてくれる人はなかなかおらず、救急車で病院に運ばれたのは転倒から一時間も経った後だった。


「肘関節の骨折と頚椎損傷ですね。右腕にしびれが一生残るかも知れません」

整形外科医は隆志に冷たくそう告げた。


右手が思うように動かなくては日雇いの仕事もできない。


初期のアルコール中毒になってしまったのか、自由なはずの左手も酒が切れると小さく震え出す。


「おれはもうダメだ…」


仕事仲間は「生活保護を申請すればよい」と助言してくれたが、隆志はもう人生に疲れて果てていた。


今さら靖男を恨んでも仕方なかったが、心の中では「殺意」をいだくほど靖男を憎んでいた。

しかし、靖男もまた被害者なのだ。靖男は隆志以上の借金を抱えていたはずだ。

靖男が今どこにいるかはもう分からない。

そう、生きているかどうかさえも…。


「もう金もない。これ以上生きていたっていい事なんかない。でも…でもせめてもう一度幸太郎に会いたい…もし幸太郎が俺を必要としてくれるならもう一度やり直せるかも知れない…」


今日はそう思って、昔よく親子3人で散歩をした防波堤に足を運んだ。

隆志はこれが最後のチャンスのつもりと考えていた。


しかし当然のごとく防波堤に幸太郎の姿はなかった。


「そりゃそうだ…喜美代も幸太郎もこの街にいるかどうかだって分からないんだからな…」


財布の中には最後の金である一枚の1万円札が入っていた。

「この金でパチンコでもしよう。負けたらどこかで自殺すればいいし、勝ったら酒を飲めばいい。そして金がなくなりかけたらパチンコをして、金がなくなったら死ねばいい」


隆志は「パチンコで負けること」を自殺のきっかけにしようとしていた。


残りのワンカップを一気に喉に流し込んだ隆志はコップを海に放り投げると、行き着けのパチンコ店がある街に向かおうと歩き始めた。


海沿いにしばらく歩いているとふと後ろから「おじさん!」と声がかかった。


隆志が振り返るとそこには小学生くらいの男の子が立っていた。

夕日が逆光となり顔まではよく見えない。


「こ、幸太郎か…」。隆志は声が出掛かった。


しかし、その男の子は幸太郎ではなかった。


「そんな都合のいい話があるわけがないか…」


高価そうな地元Jリーグチームのジャンパーに身を包み、手に大きな紙袋を持ってニコニコと笑っている。ちょうど幸太郎と同じ小学校3、4年生くらいだろうか?


「ぼ…坊主か?俺を呼んだのか?」


「はい。おじさんこれを落としましたよ」


男の子はそういって左手に持ったキーホルダーを隆志に差し出した。


アパートと自転車の鍵がついたディズニーキャラのキーホルダーだ。

まだ幸太郎が小さかった時に家族でディズニーランドに行って買った思い出の品だ。


隆志はあわてて、ウインドウブレーカーのポケットに手を突っ込んでみた。いつの間にかポケットには穴が開いていたようだ。


「ありがとう。助かったよ」

隆志はそう言うと、不自由ではない方の左手を出して男の子からキーホルダーを受け取った。


男の子はお礼を言われて笑顔が更にニッコリと笑ったように見えた。


「不思議な子だ…」

隆志はふと思った。


身につけている物も高価そうだし、顔立ちも上品だ。


きっと裕福な家庭で両親に愛されて育ったに違いない。

この子は体中から「幸せ」な雰囲気を振りまいている。


でも、それだけではない。この子の笑顔からは暖かい何かが感じられる…。


不思議な「気」…。


そう、靖男や加藤が放っていたギラギラした「気」とは違う、人の心を柔らかくさせるあたたかいロウソクの炎のような「気」が…。


思えば3年前のあの日から一度たりとも「幸せそうな人」と出会った事がなかった。


自分の周囲には常に「欲」に満ちて、周りを妬み、努力もしないのに自分だけが這い上がろうとする人間ばかりがいたような気がする。


もちろん自分もその一人だ…。


決して子供好きとは言えない隆志であったが、なぜかこの男の子と少し話をしてみたい気分になった。


「坊主、いくつだ?」

「8歳です」

「サッカー好きなのか?」

「はい。サッカー選手になりたいから学校のサッカークラブに入っています」


質問に答える男の子は嫌がる素振りもみせずハキハキと答えた。


隆志は質問を続けた

「チームは強いのか?ポジションはどこだ?」

「一応、センターバックです。補欠ですけど。あ、でもうちのチームにはすっごい上手いフォワードがいるから強いんですよ」

「ほお、そんなにすごいのか?」

「はい。でもその子の家は家が貧乏なんで、チームを辞めちゃうかも知れないんです」

「貧乏?」

隆志は身を乗り出した。


「はい。その子はお父さんがいなくて、お母さんが働いているんです。だからその子も新聞配達とかして家を助けなきゃいけないんです。でも、チームのみんなはその子が辞めると困るので、みんなで寄付をしようって言っています。今もその子の家に僕のお母さんが焼いたクリスマスケーキを届けに行く途中なんです」


隆志は男の子の言葉を聞いてドキリとした。


幸太郎は自分に似て足が速く、サッカーもかなり上手かった。


隆志が黙っていると男の子は話を続けた。


「その子はサッカーセンスバツグンなのにスパイクとかも買えないんです。だから普段は穴の開いた普通の運動靴で練習をしているんです。足のサイズが僕と同じだから試合の時は僕のスパイクを貸してあげる事にしているんです」


「そ、その子の名前はなんていうんだ?」

隆志は恐る恐る尋ねた。


「橋田幸太郎君です」。男の子は目をキラキラさせながら言った。


間違いない…

「橋田」は喜美代の旧姓だ。

二人はまだこの街にいたのだ。


「幸太郎…いや、君はどこの小学校に通っているんだ?サッカーの練習は毎日やっているのか?」


「すぐそこの第三小学校です。サッカークラブの練習は放課後にほとんど毎日やっていますよ。今日はクリスマスだから休みですけど」

男の子は防波堤と反対方向を指差してそう言った。


「そ、そうかありがとう…。その子の家は大変なんだな。せっかくサッカーが上手いのにもったいないな…」


隆志は冷静を装って礼を言った。


「あのね…」。男の子が続けた。


「幸太郎君は貧乏だけど、それよりもっと辛い事があるって言っていました」


「なんだね?」


「幸太郎君はお父さんに会いたいんだって」


「お父さん…」


「うん。いつもお父さんが試合を見に来てくれたらハットトリックだってなんだってやってみせるさって言ってる」


「そうか…」。隆志はそう言うとうつむいてしまった。


その様子を見て心配になったのか男の子が「おじさんどうしたの?」と顔を覗き込んだ。


隆志はふと自分の頬が濡れているのに気付いた。

「いや、なんでもない」。そう言って軽く目をこすった。


「ならいいですけど」


男の子はそう言ってもう一度ニッコリと微笑んだ。


その微笑に隆志は心の中にポッと小さな灯りが灯ったような気がした。


「じゃ、僕もう行かなきゃ。明日も放課後に練習をしているから時間があれば見に来て下さい。幸太郎君もきっと喜びます」


「えっ…」。隆志は自分の気持ちが男の子に見透かされているような気がした。


「それじゃ失礼します」

男の子は丁寧にペコリと頭を下げてから歩き始めた。


「あ、ちょっと…」


「なんですか?」


「こうた…いや、君の靴のサイズはいくつなんだい?」


「22・5です。それじゃ失礼します」

男の子は隆志にそう言うと手を振りながら街の方に歩いて行ってしまった。


隆志はしばらくの間、その不思議な「気」を持った男の子の後姿を眺めていた。


「あの子はきっと幸せなんだろう。そしてその幸せを幸太郎と俺にも分けてくれたに違いない…」


隆志はズボンのポケットから財布を取り出し中の一万円札を確認した。


「今ならまだスポーツ用品店の営業時間に間に合うはずだ…。子供用のサッカースパイクがいくらするかは知らないが、一万円もあればおつりは来るだろう…」


隆志が空を見上げると、夕暮れの空に早くも一番星が輝いていた。


「おつりで何か美味い物を食べよう。そして明日の夕方、学校に新品のスパイクを持って行くんだ。一日遅れのクリスマスプレゼントだ。幸太郎に謝って、そしてもう一度やり直そう…」


隆志は思った。


自分はあの男の子に「幸福」を分けてもらったんだ。


あの笑顔に惹かれるように声をかけてしまったのはきっと偶然じゃない…。


街に向かって歩き始めるとどこからかクリスマスソングが聴こえて来た。

「それはクリスマスの静かな夜のこと♪」


サンタクロースは実はパパだったという内容の歌だ。


隆志は明日、3年ぶりにサンタになれる。


自分の心の中に宿った「小さな幸せ」に心がはずんだ。


「メリークリスマス」

隆志は道行く人にそう声をかけたい気分になっていた。


モギハルトのショートストーリーいかがでしたか?


隆志は靖男や加藤からもらった「偽幸気」によって身を持ち崩しますが、ばったりと出会った少年から「幸気」を分け与えられることで人生をやり直す決意をします。そして息子の幸太郎君にも「幸気」は行き渡ったことでしょう。



このように「幸気」は増幅して人に分け与えられます。

あなたも自分にめぐってきた「幸気」を見過ごさないように。そして周囲の人にも「幸気」を分けてあげて下さい。

それではよいクリスマスを。モギハルト



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今年もあっという間に年末です。


時のたつのは本当に早いものですね。今年もいやな事件がいっぱいありましたが、来年はもっとステキな年になってもらいたいものですね。



さて、少しの間更新がおろそかになっていました。申し訳ありません。


今回のテーマは「運(運気)」と「幸気」の違いについてです。


今までこのブログを読んだ方の中には「なんだか幸気ってのは『運』と似ているな」って思った方も多いことでしょう。


そもそも「幸運」なんて言葉がありますし、「幸気の集まる人」ってのは「運のいい人」と大差なく見えるかも知れません。


たしかに「運気」と「幸気」は似ています。


しかし、大きく違う点が二つあります。


一つ目は、「運」(運気)は「人が生まれ持って身に備えている物」であり、「幸気」および「不幸気」「偽幸気」は基本的に「人が生きている過程で、他人との関わりで行き来する物」で「人に与えることで増幅する物」であるという事です。


「運」(運気)は、一生のうちで大きく変わる事はほとんどありません。


「自分で切りひらいたり、方向を修正する事ができるじゃないか?」という人がいるかも知れませんが、それだってその人の先天的な「運」、「運命」だったといえるでしょう。


一方、「幸気」は、その人の生き方や心持しだいでいくらでも変えて行くことができる物です。


「運気」は先天的なもの、「幸気」は後天的なものと考えるのがいいかも知れませんね。



二つ目は


それは「幸気」は「トラブル」などの「偶発的」な事柄に大きく左右されるという事です。


例えば、お金を持っている人は比較的「幸気」が多く集まっている場合が多いです。


しかし、旅客機事故やテロなどで大勢の人が亡くなった場合を考えてみましょう。


犠牲者の中にはお金持ちもいれば貧乏な方もいるでしょう。


そして「飛ぶ鳥を落とす勢いの有名人」がいる場合もあるでしょうし、「人生のどん底にいる人」がいる可能性だってあります。


最終的にその飛行機に乗った全員が非常に悲しい最期を迎えることになると考えれば、とてもみんなが違う「幸気」を持っていたとは思えませんよね?


占いだってそうです。

このような事故で亡くなった人全員が「その日に運の悪い星座だった」なんて事はありえません。

中には「今日は最高にラッキー」って人もいっぱいいたはずです。


そうです。

大勢の方がなくなるような事故、つまり「偶発的な事柄」が起きた場合には「幸気」が集まっていようが、「不幸気」が集まっていようがあまり関係はありません。


「幸気」は偶発にはかなわないからです。


一方、運というのは絶対的な物です。


例え成功続きの大金持ちであっても、飛行機事故で死んでしまえば、それ事自体がその人の「運」だったといえるのです。


本当に運の強い人は、事故に遭う以前に、本人の意思とは関係なくその飛行機に乗る事を避けてしまうのです。


それが「運(運気)」そして「運命」という物です。



「幸気」はあくまでも「喜び」や「他人との関わり」が生み出す物です。


そして「良い話」や「新たな喜び」「笑い」などを運んできてくれたり、当人を良い方向い導いてくれたりするものです。


「宝くじが当る」などのように、偶発的で本人の実力や人柄と関係のない事は「幸気」と全く関係ありません。これは「運」による出来事です。


一方、「幸気」が集まる→ステキな笑顔が自然に出るようになる→お金持ちに見初めらて結婚!なんてのは「幸気」による出来事ですね。そしてもちろん「運」でもあります。


運気>偶発的な事柄>幸気


という事ですね。


ですから自分に「幸気」が集まっているからといってあまりムチャな生き方をするのは賢明ではありません。


不幸なトラブルは幸運なトラブルに比べて何倍も発生率が高いわけですからね。




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こんにちは、モギハルトです。


今日は本題に入る前に気になった事を少し書きます。


「幸せ」「幸福」などをキーワードにいろいろなサイトを検索してよく読んでみると、その多くがマルチ商法やアフィリエイトなどを勧めるものだという事がわかります。


文の中には「セレブ」だの「資産家」だの「金儲け」「財テク」なんて単語がウジャウジャ…


嫌になってしまいますね。


人が「幸せになりたい」と願う気持ちを利用して商売(それもまともではない)を企むなんてとんでもない人間が増えたものです…。


マルチ商法に手を染める人の多くは、いつしか「他人が損をしても自分が儲かれば」(まぁほとんどの場合は自分も大損をするわけですが…)という「偽幸気」にあふれてしまいます。


断言しますが、「幸せになりたい」からといって手垢のついたような怪しい商売に手を出しても儲かりもしませんし、ましてや幸せになんかなれっこありません。


みなさんも「知り合いの知り合い」じゃなくて、自分の直接の知り合いで「その手」の商売で大もうけして幸せになった人ってのをお目にかかった事がありませんよね?


なぜなら、その手の商売は儲からないシステムになっているからです。


それ以前に「お金」と「幸せ」という言葉を同一視している人が多すぎます。


「お金」と「幸せ」は非常に関係が深いけれども、全く別の言葉です。


そして「お金」が幸せを産むのではなく、「幸せ」がお金を呼び込むのです。


勘違いしている人は、順番が逆だという事に一刻も早く気付いてくださいね。



さて、ここからが本題。


今回は「幸気」が集まる「幸せ体質」についてです。


前回、「『幸気』(幸せの気)は『幸気』を多く持っている人のところに集まりたがり、

『不幸気』や『偽幸気』を多く持つ人のところにはやってこない」という事を書きました。


それでは、「幸気」を多く持つ人というのはどのような人なのでしょう?


「幸気」の多くは自然発生しません。

ほとんどの場合は他人から貰い受ける事になります。


もちろん他人に与えたからといって自分の「幸気」が減るわけではありません。


他人のところへ行く際には「増幅」するのだと考えてください。


となると、

人とのつながりが稀薄な人や、「幸気」を持った人と関わりがない人には「幸気」はほとんどやってこない事になります。


つまり「人間関係が円満な人」「周囲に幸せな人が多い人」は必然的に「幸気」に触れる機会が多くなるのです。


また、前回説明した通り「幸せ」は連鎖します。


例え小さな幸せでも、連鎖していくことで大きな幸せにつながるというわけです。


ちょうど昔話の「わらしべ長者」のような感じだと思って下さい。


つまり、日常のささやかな幸せや喜びに感謝して生きている人には、たとえ小さくても「幸気」はドンドンと集まってくるのです。


そしてそれがいつか大きな幸せを呼び込みます。



一方、不平や不満の多い人、小さな喜びを「当たり前」だと思っている人は、せっかくやってきた小さな「幸気」を取りこぼしてしまう事になります。




幸せは自分の中だけではなく、他人と他人の間でも連鎖します。


例えば、美味しい物を食べた際に、それを作ってくれた人に一言「美味しかったよ」と言ってあげてはどうでしょうか?


料理を作った人の心に小さな「喜び=幸せ」が生まれるはずです。

きっと「ありがとう」とか「お粗末様です」なんて言葉が返ってくるはずです。


そしてそれは小さな「幸気」となり、増幅してあなたのものになります。

さらにドンドン増幅してあなたの周囲の人たちに「小さな幸せ」を運んでくれることでしょう。

幸せの連鎖です。


例えば、朝近所ですれ違った人に「おはようございます」といってニッコリ微笑んではいかがでしょうか?


ニッコリと微笑まれた人はきっといい気分になって「おはようございます」と言い返してくれるはずです。


例えば、文句を言おうとした際に、もっと柔らかい言葉を選んで見るのはいかがでしょうか?

何かをやって欲しかったのに相手がやってくれなかった場合、多くの人は

「なんでやってくれないんだよ」なんてキツイ言葉を使います。


それを「今度はやってちょうだいね。お願いね」という言葉に言い換えるだけで人間関係はとても丸く収まるはずです。




「ありがとう」と言うのもニッコリ微笑むのも、優しい言葉を選ぶのにもお金はいっさいかかりません。


でも、それだけであなたと相手の間に新たな「幸気」が生まれます。


「なんだか恥ずかしいや」って人はもっと簡単な方法を探してみましょう。

それほど難しいことではないはずです。自分がされて嬉しいことをすればいいだけですからね。


今回のキーワード

「幸せ体質」とは

「小さな事に感謝・感動できる」

「人との関わりを大事にできる」

「お礼や相手をいたわる言葉を忘れない

「笑顔が自然に出る」

「キツイ言葉より優しい言葉を選べる」


今回は「集幸理論の基礎」ということで、「幸せ体質」についてざっと羅列しましたが、また別の機会に詳しく触れたいと思います。



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「どうしてあの人ばかりうまくいくんだろ?」

「最近悪いことばかり起きるよな…」


なんて台詞はよく聞きますよね。


運気が上昇したり下降したりするのはバイオリズムが原因であるなんて説もありますが、確かに良い事や悪い事は重なってやって来ることが多い。



「気」という言葉を聞いた事があると思います。


東洋医学などでよく使われる言葉ですが、簡単に説明すれば目に見えないエネルギー。特に生命のエネルギーに対して使われる事が多いようです。

「オーラ」なんて言う人もいますね。


気は確実に存在します。


東洋医学は神秘的な物とか胡散臭い物ではなく、WHO(世界保健機構)で認めらているれっきとした医療です。


気の存在を否定するなら、気の動きをコントロールすることを基本とする東洋医学そのものも否定される事になりますね。


「虫の知らせ」なんて言葉があるように、このブログを読んでいるあなたも、目に見えない何か=「気」を感じた事があるはずです。



そして、「幸せ」にも「気」が存在します。

私はそれを「幸気(こうき)」と呼んでいます。


世の中にはこの「幸気」をたくさん持っている人がいます。


その一方で、「幸気」が全く感じられない人、そして「偽幸 気(ぎこうき)」を持っている人もたくさん存在します。


「幸気」は「偽幸気」を嫌いますので、同居させるのはかなり困難です。


そして、「幸」を持っていない人や「偽幸気」しか持っていない人は「幸気」を持っている人の数十倍は多いはずです。



お金は「幸せ」の1アイテムですが、

「幸気」ととっても似ている性質があります。


そう、お金はお金持ちの所に集まるようになっています。


「富が富を呼び、貧が貧を呼ぶ」と言われるのはそのせいですね。


これと同じように「幸気」も「幸気」のあるところに集まり、「幸気」の薄いところや「偽幸気」のあるところには集まりたがりません。


周囲を見渡してください。


おいしい話は成功者や幸せな人のところばかりに集まっているとは思いませんか?

成功者や幸せな人の周りには同じような人が集まっていませんか?


一方で、うまく行ってない人の周囲には、同じようにうまく行っていない人ばかりが集まっていたりしませんか?


そうです「不幸の気」(不幸気)や「偽幸気」も同じ場所に集まる性質があるのです。


たまに「美味しい話が舞い込んで来た!」と思ったら、マルチ商法や怪しい金融商品のセールスだったなんて事はありませんか?


おそらく誰もが身に覚えのあることでしょう。


悪い事をする人の周りには同じような人ばかりが集まってしまい、なかなか這い上がる事ができないなんて事も多いようです。



本来「幸気」は誰にでも訪れる物です。

そして多くの「幸気」を持っている人には更に「幸気」が集まってくるのです。

そしてその人に様々な幸せが訪れる事を「幸の連鎖」と言います。


一方、せっかく訪れた「幸気」をみすみす捕まえ損ねたり、「不幸気」や「偽幸気」を持っている人には「幸気」は滅多にやって来ません。


そして不幸も連鎖するのです…。



では「幸気」のない人はどうすればいいのでしょう?


答えは簡単です。


「幸気」の集まる「幸せ体質」を作る事と、「偽幸気」を持った人から離れる努力をして「幸気」を持った人と多くかかわるようにすれば良いのです。


今回のキーワード

「『幸せの気』は同じく『幸せの気』がある場所に集まる」

「『幸気』だけではなく『偽幸気』や『不幸気』も」同じ場所に集まる」

「『幸せ』も『不幸』も連鎖する」

「『幸気』を集めるためには「幸せ体質」になる必要がある」



次回は「幸せ体質」について考えてみましょう。



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