このお話は実話を元にモギハルトが脚色を加えたものです。登場人物の名前などはすべて架空です。
山根隆志は防波堤に立ちぼんやりと鉛色の海を眺めていた。
海からの風が身を切るように冷たい。
冷たさはふた月ほど前に怪我をして思うように動かなくなった右腕に染み渡り、痛みを伴った。
世間はクリスマスだと騒いでいるようだが今の自分にはそんなもの関係ない。
隆志は寒さと右腕の痛みを紛らわすため、左手に持っていた飲みかけのワンカップをグビリとあおった。
思えば、今からちょうど3年前。会社近くのパチンコ店で中学時代に仲のよかった伊藤靖男に再会した事が自分の人生を変えてしまった。
「よお」
「えっ靖男?マジ?いや~久しぶりだな」
靖男はちょうど店を出るところだったのでその日は電話番号とメアドを交換しただけで終ったが、翌日電話があった。
「すごくいいビジネスがあるんだ。今度の日曜に話だけでも聞いてみないか?」
隆志は「ああ、よくあるマルチ商法だな」と気付いたが、旧友の誘いを無下にするのは悪いと思い「話を聞くだけなら…」と返事をしてしまった。
次の日曜。靖男と待ち合わせしたファミレスに出向きテーブル席で世間話などをしていると、靖男の上司という男が現れた。
「こんにちは。加藤博次です」
清潔そうで丁寧な物腰の加藤の左腕には高そうなロレックスが光っていた。
ふと靖男の左腕に目をやると、オメガの腕時計が目に入った。
隆志は自分がカシオのデジタル時計をしている事がなんとなく恥ずかしく思えテーブルから左手を下ろした。
加藤が「失礼します」と言って席に着くと突然靖男が切り出した。
「ところで隆志は今幸せか?俺は今、人生の本当の目標を見つける事ができて毎日が最高に楽しいんだ」
「幸せ?」
隆志は考えた。
結婚して6年。一人息子の幸太郎も5歳になっていた。
来年からは小学校だ。何かと金も入用だろう。
今務めている大手スーパーマーケットの仕事だけでは生活費が足りず、妻の喜美代も日中はパートに出ている。
「もっと収入を増やしたい…」「自分は天職に出会っていないのではないか?」
それらは隆志の偽らざる気持ちであった。
熱心にビジネスの内容を説明する靖男と加藤から隆志は不思議な「気」のような物を感じた。
二人の目はどこかピント外れに遠くを見ているような感じがした。
そして口から出る柔らかな言葉は巧みに隆志の心のすき間に入り込もうとしていた。
靖男と加藤の会話はまるでテレビドラマの台本を読むようにスラスラと進み、隆志はいつの間にかそこに飲み込まれていた。
その時、隆志にはその「気」のような物が何なのか分からなかった。
それどころか「ああ、これが儲けている人間の勢いなのかな?」と勘違いをしていた。
そして靖男とファミレスで会った二日後、隆志は加藤が持ってきた「販売代理店契約書」という書類に実印を押していた。
今思えば「それではここに印鑑を押してください。なに大丈夫ですよ。山根さんならあっという間に子会員をいっぱい作ってプラチナ会員になれますよ。そしてバリバリ稼げますよ。1年後にはベンツにでも乗ってるんじゃないですか?」という加藤の言葉はどこか白々しかったのかも知れない。
以前から「俺はあの手の怪しい商売には絶対ひっかからない」と公言していた隆志であったが、喜美代には「儲からなければやめればいいし、儲かったら続ければいいだけの話だ」と説明した。
靖男が紹介してくれた「いいビジネス」は,「次世代通信機器」と言われる機械の販売だった。最初の一ヶ月ほどは加藤が紹介してくれた客などを相手にそこそこ順調に仕事が進んだ。
加藤も靖男も「最初の一月で1件の契約が取れるなんてたいしたもんだ」と隆志を褒めちぎった。
しかし、その後加藤から「山根さんが実際に使ってみなければお客様には勧める事ができないでしょ?」と言われ、高額な通信機器をローンで購入してから風向きが変わった。
「今月のノルマを達成するためには少しくらい在庫を抱えた方がいい」
「うちの会社が提携しているクレジット会社を紹介する」
「代理店のクラスをあげるために100万必要だ。なに、上のクラスならバックマージンが大きいからすぐに返せますよ」
「こっちが儲かっている素振りを見せなきゃ誰も山根さんの話を信じてくれませんよ。もっといいスーツを着て、腕時計や靴だって良いものに取り替えなきゃ」
隆志は加藤の言う通りに動いた。
15万円のロレックスも買った。
そしてこのビジネスに本腰を入れるため喜美代の反対を押し切ってスーパーを退職した。
友人たちはワケの分からない機械をしつこく売ろうとする隆志からドンドン離れていった。
隆志は自分の知り合いがいなくなると喜美代の親族や友人までをも勧誘した。
「私の周りの人にはやめて」という喜美代を殴りつけ、勧誘がうまくいかないと酒におぼれた。
ある日、「順調に成長している」はずの会社が突然倒産した。
加藤への連絡もつかなくなり、靖男の携帯もつながらなくなった。
隆志の手元には500万円もの借金と、マルチに狂った人間以外からは見向きもされないワケのわからない機械の在庫、そしてロレックスの腕時計だけが残っていた。
隆志はやむなく自己破産を決意した。
そしてその前に、隆志と喜美代は離婚届に印鑑を押していた。
隆志とサッカーをするのが大好きだった幸太郎は「お父さんと離れるのは嫌だ」と最後まで泣き叫んでくれたが、酒びたりに近い状態の隆志には全く耳に入らなかった。
「みんなで俺をバカにしやがって…」
家族が自分の元から去ると、隆志は小さなオンボロアパートに引越して日雇いの肉体労働をしながら酒とギャンブルに明け暮れる生活を始めた。
楽しいと思えるのはギャンブルで当てた時と、酒を口にした時、そしてなけなしの金をはたいて風俗に行った時だけだった。
その時だけは隆志はそれなりの「幸せ」を感じていた。
虚脱感と隣り合わせの「幸せ」を…。
そんな生活が3年近く続いた。
一人で部屋で酒を飲んだ時、この暮しが永遠に続くのかと考えると思わず涙がこぼれた。そんな時、隆志は更に酒を浴びるように飲むしかなかった。
しかしそのような生活さえ長くは続かなかった。
場末のスナックで焼酎を浴びるほど飲んだ帰り道、歩道橋の階段で足を滑らせて転落。首を階段にしこたまぶつけたうえに右腕を変な形でひねって骨折した。
右腕の関節が逆に曲がり、身体が動かない。声も出ない。
酒くさい隆志を助けてくれる人はなかなかおらず、救急車で病院に運ばれたのは転倒から一時間も経った後だった。
「肘関節の骨折と頚椎損傷ですね。右腕にしびれが一生残るかも知れません」
整形外科医は隆志に冷たくそう告げた。
右手が思うように動かなくては日雇いの仕事もできない。
初期のアルコール中毒になってしまったのか、自由なはずの左手も酒が切れると小さく震え出す。
「おれはもうダメだ…」
仕事仲間は「生活保護を申請すればよい」と助言してくれたが、隆志はもう人生に疲れて果てていた。
今さら靖男を恨んでも仕方なかったが、心の中では「殺意」をいだくほど靖男を憎んでいた。
しかし、靖男もまた被害者なのだ。靖男は隆志以上の借金を抱えていたはずだ。
靖男が今どこにいるかはもう分からない。
そう、生きているかどうかさえも…。
「もう金もない。これ以上生きていたっていい事なんかない。でも…でもせめてもう一度幸太郎に会いたい…もし幸太郎が俺を必要としてくれるならもう一度やり直せるかも知れない…」
今日はそう思って、昔よく親子3人で散歩をした防波堤に足を運んだ。
隆志はこれが最後のチャンスのつもりと考えていた。
しかし当然のごとく防波堤に幸太郎の姿はなかった。
「そりゃそうだ…喜美代も幸太郎もこの街にいるかどうかだって分からないんだからな…」
財布の中には最後の金である一枚の1万円札が入っていた。
「この金でパチンコでもしよう。負けたらどこかで自殺すればいいし、勝ったら酒を飲めばいい。そして金がなくなりかけたらパチンコをして、金がなくなったら死ねばいい」
隆志は「パチンコで負けること」を自殺のきっかけにしようとしていた。
残りのワンカップを一気に喉に流し込んだ隆志はコップを海に放り投げると、行き着けのパチンコ店がある街に向かおうと歩き始めた。
海沿いにしばらく歩いているとふと後ろから「おじさん!」と声がかかった。
隆志が振り返るとそこには小学生くらいの男の子が立っていた。
夕日が逆光となり顔まではよく見えない。
「こ、幸太郎か…」。隆志は声が出掛かった。
しかし、その男の子は幸太郎ではなかった。
「そんな都合のいい話があるわけがないか…」
高価そうな地元Jリーグチームのジャンパーに身を包み、手に大きな紙袋を持ってニコニコと笑っている。ちょうど幸太郎と同じ小学校3、4年生くらいだろうか?
「ぼ…坊主か?俺を呼んだのか?」
「はい。おじさんこれを落としましたよ」
男の子はそういって左手に持ったキーホルダーを隆志に差し出した。
アパートと自転車の鍵がついたディズニーキャラのキーホルダーだ。
まだ幸太郎が小さかった時に家族でディズニーランドに行って買った思い出の品だ。
隆志はあわてて、ウインドウブレーカーのポケットに手を突っ込んでみた。いつの間にかポケットには穴が開いていたようだ。
「ありがとう。助かったよ」
隆志はそう言うと、不自由ではない方の左手を出して男の子からキーホルダーを受け取った。
男の子はお礼を言われて笑顔が更にニッコリと笑ったように見えた。
「不思議な子だ…」
隆志はふと思った。
身につけている物も高価そうだし、顔立ちも上品だ。
きっと裕福な家庭で両親に愛されて育ったに違いない。
この子は体中から「幸せ」な雰囲気を振りまいている。
でも、それだけではない。この子の笑顔からは暖かい何かが感じられる…。
不思議な「気」…。
そう、靖男や加藤が放っていたギラギラした「気」とは違う、人の心を柔らかくさせるあたたかいロウソクの炎のような「気」が…。
思えば3年前のあの日から一度たりとも「幸せそうな人」と出会った事がなかった。
自分の周囲には常に「欲」に満ちて、周りを妬み、努力もしないのに自分だけが這い上がろうとする人間ばかりがいたような気がする。
もちろん自分もその一人だ…。
決して子供好きとは言えない隆志であったが、なぜかこの男の子と少し話をしてみたい気分になった。
「坊主、いくつだ?」
「8歳です」
「サッカー好きなのか?」
「はい。サッカー選手になりたいから学校のサッカークラブに入っています」
質問に答える男の子は嫌がる素振りもみせずハキハキと答えた。
隆志は質問を続けた
「チームは強いのか?ポジションはどこだ?」
「一応、センターバックです。補欠ですけど。あ、でもうちのチームにはすっごい上手いフォワードがいるから強いんですよ」
「ほお、そんなにすごいのか?」
「はい。でもその子の家は家が貧乏なんで、チームを辞めちゃうかも知れないんです」
「貧乏?」
隆志は身を乗り出した。
「はい。その子はお父さんがいなくて、お母さんが働いているんです。だからその子も新聞配達とかして家を助けなきゃいけないんです。でも、チームのみんなはその子が辞めると困るので、みんなで寄付をしようって言っています。今もその子の家に僕のお母さんが焼いたクリスマスケーキを届けに行く途中なんです」
隆志は男の子の言葉を聞いてドキリとした。
幸太郎は自分に似て足が速く、サッカーもかなり上手かった。
隆志が黙っていると男の子は話を続けた。
「その子はサッカーセンスバツグンなのにスパイクとかも買えないんです。だから普段は穴の開いた普通の運動靴で練習をしているんです。足のサイズが僕と同じだから試合の時は僕のスパイクを貸してあげる事にしているんです」
「そ、その子の名前はなんていうんだ?」
隆志は恐る恐る尋ねた。
「橋田幸太郎君です」。男の子は目をキラキラさせながら言った。
間違いない…
「橋田」は喜美代の旧姓だ。
二人はまだこの街にいたのだ。
「幸太郎…いや、君はどこの小学校に通っているんだ?サッカーの練習は毎日やっているのか?」
「すぐそこの第三小学校です。サッカークラブの練習は放課後にほとんど毎日やっていますよ。今日はクリスマスだから休みですけど」
男の子は防波堤と反対方向を指差してそう言った。
「そ、そうかありがとう…。その子の家は大変なんだな。せっかくサッカーが上手いのにもったいないな…」
隆志は冷静を装って礼を言った。
「あのね…」。男の子が続けた。
「幸太郎君は貧乏だけど、それよりもっと辛い事があるって言っていました」
「なんだね?」
「幸太郎君はお父さんに会いたいんだって」
「お父さん…」
「うん。いつもお父さんが試合を見に来てくれたらハットトリックだってなんだってやってみせるさって言ってる」
「そうか…」。隆志はそう言うとうつむいてしまった。
その様子を見て心配になったのか男の子が「おじさんどうしたの?」と顔を覗き込んだ。
隆志はふと自分の頬が濡れているのに気付いた。
「いや、なんでもない」。そう言って軽く目をこすった。
「ならいいですけど」
男の子はそう言ってもう一度ニッコリと微笑んだ。
その微笑に隆志は心の中にポッと小さな灯りが灯ったような気がした。
「じゃ、僕もう行かなきゃ。明日も放課後に練習をしているから時間があれば見に来て下さい。幸太郎君もきっと喜びます」
「えっ…」。隆志は自分の気持ちが男の子に見透かされているような気がした。
「それじゃ失礼します」
男の子は丁寧にペコリと頭を下げてから歩き始めた。
「あ、ちょっと…」
「なんですか?」
「こうた…いや、君の靴のサイズはいくつなんだい?」
「22・5です。それじゃ失礼します」
男の子は隆志にそう言うと手を振りながら街の方に歩いて行ってしまった。
隆志はしばらくの間、その不思議な「気」を持った男の子の後姿を眺めていた。
「あの子はきっと幸せなんだろう。そしてその幸せを幸太郎と俺にも分けてくれたに違いない…」
隆志はズボンのポケットから財布を取り出し中の一万円札を確認した。
「今ならまだスポーツ用品店の営業時間に間に合うはずだ…。子供用のサッカースパイクがいくらするかは知らないが、一万円もあればおつりは来るだろう…」
隆志が空を見上げると、夕暮れの空に早くも一番星が輝いていた。
「おつりで何か美味い物を食べよう。そして明日の夕方、学校に新品のスパイクを持って行くんだ。一日遅れのクリスマスプレゼントだ。幸太郎に謝って、そしてもう一度やり直そう…」
隆志は思った。
自分はあの男の子に「幸福」を分けてもらったんだ。
あの笑顔に惹かれるように声をかけてしまったのはきっと偶然じゃない…。
街に向かって歩き始めるとどこからかクリスマスソングが聴こえて来た。
「それはクリスマスの静かな夜のこと♪」
サンタクロースは実はパパだったという内容の歌だ。
隆志は明日、3年ぶりにサンタになれる。
自分の心の中に宿った「小さな幸せ」に心がはずんだ。
「メリークリスマス」
隆志は道行く人にそう声をかけたい気分になっていた。
モギハルトのショートストーリーいかがでしたか?
隆志は靖男や加藤からもらった「偽幸気」によって身を持ち崩しますが、ばったりと出会った少年から「幸気」を分け与えられることで人生をやり直す決意をします。そして息子の幸太郎君にも「幸気」は行き渡ったことでしょう。
このように「幸気」は増幅して人に分け与えられます。
あなたも自分にめぐってきた「幸気」を見過ごさないように。そして周囲の人にも「幸気」を分けてあげて下さい。
それではよいクリスマスを。モギハルト
★「幸気」は人に分け与える事で増幅します。
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