情報の送り手と受け手の関係が、東日本大震災・福島原発事故で大きく変わった。

 新聞・テレビの「原発事故報道」は当初、
報道とは名ばかりの「安全デマ」?だらけ。

真実の情報を欲する多くの人々は、「信頼に足る情報」をネットや週刊誌に求めた。

 しかし大新聞社は、ネットや週刊誌の情報は偏っており、
知るべきことを選択して多様に伝える「編集」を加えた新聞の情報こそが、
国民の「知るべきこと」?だと仰りたいようだ。

 幻の『原発安全神話』を浸透させ、
自ら進んで?国民を洗脳し原子力ムラの一翼を担った大マスコミが、
「編集」を加えた「偏った情報」を無条件で信じる危うさを知って、
新聞・テレビのニュースに接してしただきたい。

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 YOMIURI ONLINEより
「知りたいこと」と「知るべきこと」
【 一昨年の東日本大震災では、新聞やテレビのほかに、インターネットでもたくさんの情報が流れた。

 被災地の日常生活にかかわる情報や、放射線影響の基礎知識、福島第一原子力発電所で起きた事故についての東京電力の記者会見をそのまま流す動画など。むかしは、新聞やテレビの情報で足りないと感じた市民は、週刊誌や月刊誌でそれを補った。大きな出来事が起きたとき、いくつかのメディアを総合的に利用して全体像を探ろうとするのは、以前からごくふつうのことだったが、東日本大震災ではインターネットの利用が飛躍的に拡大していたのが印象的だった。

「信頼に足る情報はネットにこそ」とも

 震災後まもない時期に開かれた震災情報に関するシンポジウムなどでは、「信頼に足る情報は、新聞やテレビなどのマスコミュニケーションではなくネットにこそ流れている」「社会が必要とする情報のメインストリームは、すでにネットに移った」といわんばかりの盛り上がりが見られたこともあった。

 だが、その実態はどうだったのだろうか。震災から2年あまりを経て、さまざまなメディア研究者の分析が、とりあえず出揃った感がある。そのなかで、昨年夏に出版された田中幹人・早稲田大学准教授らの「災害弱者と情報弱者」(筑摩書房)にある指摘には考えさせられた。

 田中さんらはこの本の中で、新聞とインターネットの特徴を分析している。インターネットの分析対象にしたのは、新聞記事などを選んで表示するヤフーのトップページ、それにツイッターをまとめたトゥギャッターだ。

原発事故への偏りが大きかったトゥギャッター

 東日本大震災から3か月後までを分析したところ、新聞は、ニュース全体のなかで震災関連の割合がつねにもっとも高かった。ネット系は急激に割合が下がり、代わってスポーツや芸能が増えてきたという。この点について、「人々の嗜好しこうを反映しやすいネット系は、震災のことを忘れていく傾向が強い」と分析している。

 東日本大震災に関連する情報では、住民避難や原発事故などをもっともバランスよく掲載していたのはヤフー。トゥギャッターは、原発事故への偏りが大きかった。また、原発報道に限ると、もっとも多様な情報を伝えていたのは新聞だったという。ネットにこそ多様な情報が流れていたというわけではないという結果だった。

知るべきことを選択して多様に伝える「編集」

 この分析結果から田中さんらが指摘しているのは、「編集」の重要性だ。ここでいう編集とは、数ある情報のなかからどれを伝えるべきかを考え、選択して示すことだ。自分のことは自分で決定することを原則とする民主主義の社会では、その判断のために市民ひとりひとりが多様な情報に触れられることが大切だ。そのためにも、知りたいことだけでなく知るべきことを選択して多様に伝える「編集」の大切さを再考すべきだというのが、田中さんらの主張だ。

 読売新聞も、朝刊、夕刊を作る際、科学部のほか政治部、経済部、社会部などの各部が、自分たちが書こうとする記事を持ち寄って編集会議を開く。東日本大震災についても、この惨事をけっして忘れないよう、毎日1ページの特別面を作っている。

 「編集」の大切さを改めて指摘してくれるメディア研究者がいるのは、新聞としては心強い。だが、もちろん安穏としてはいられない。「知りたいこと」と「知るべきこと」。そのバランスがいま、社会から厳しく問われていると受け止めるべきだろう。新聞もよくよく考えていきたい。】