┣ 正邪の決着ということ | 心の奥のすばらしい真相に目覚めて生きよ!―人間は、肉体の死を超えて進化する―

心の奥のすばらしい真相に目覚めて生きよ!―人間は、肉体の死を超えて進化する―

心の奥には科学的常識を超えるすばらしい可能性がひそんでいます。その可能性に目覚めて生きるなら、人生を希望をもって心ゆたかに強く生きられるようになるのです。このブログはそのことを真剣に論証し、具体的方法を提案するものです。※不許複製・禁無断転載

「幸せを呼ぶ生き方」という観点からお話ししてきています。

今回は「正邪の決着」ということについてです。自分の中で人の生き方に関わる二つの考え方があるとき、そのいずれが正しいかという観点から、いずれかに決着させようとする姿勢は疲労するという考えたがあります。

自分の中で個人の生き方、人生の見方などについて二つの考え方が生じたとき、正邪にこだわってそのいずれかに決着しようとするのは必要ないことです。というのもそれらが正であるのか間違っているのかについては、しょせん、真偽の確かめようがないものだからです。

いずれが真であるか分からないのであれば、心が軽くなる方を、心に喜びを感じる方を選べばよいのです。そして、どうせなら選んだ方を心から信じて生きればよいのです。


人生を左右すると思われる事柄についてにも、真偽が確かめられない場合にはそのことが言えます。

たとえばスピリチュアルの世界でいわれる「カルマの法則」を例にとると、その法則が人生に貫徹しているといっても、三次元世界に生きるわれわれにはそれを客観的な証明を受けることなど出来ないことです。

この場合、カルマの法則を肯定したとき心が軽くなるとか、腑に落ちるものがあるとかでそれを受け入れるかどうかを選べばよいのです。そして、一端受け入れると決めたのなら、それを心から信じ信頼して生きるのがよいということです。


心が軽くなったり腑に落ちる場合には、そのことを心から信頼して生きるとき、その人の身体に「気」が流れるのです。すると、その人の振動数が上がり、勢いのある状態が保てるのです。この勢いのある、弾みのある心で生活したり、仕事に向かったり、物事に取り組めるとき、これらすべてのことによい成果を上げることになるのです。



 こうしたスピリチュアルな生き方を根底から支える論拠を、以下のタイトルで発信しています。
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 『心の奥のすばらしい真相に目覚めて生きよ!―人間は、肉体の死を超えて進化する―』
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