自分にとって馴染みのある風景、街並みが作品に出てくると嬉しい。テレビだろうが映画だろうがマンガだろうが、はたまた文章だろうが。高校2年の頃、「刑事物語くろしおの詩」という武田鉄矢のシリーズ映画を高知東宝(ポポロ)で観ていた時には、まさに映画館に入る直前のアーケードがスクリーンに出てきて、観衆全員が「おぉーっ」とどよめいた。全国でもこの映画館だけだよな…なんて思った記憶がある。マンガなら「シャコタン・ブギ」が高知を舞台に描かれていた。


2000年、敬愛する中上健次の紀州サーガの舞台である新宮に行く。「路地」には「秋幸」がいるかも、と愚かな幻想を抱いて訪れたものの、作品から40年経った町には路地の名残さえなかった。今で言う「聖地巡礼」は成就しなかった。


遡ること40年近く前。サイトウと中学が分かれて、中学1年の頃、2ヶ月に一回くらい、彼の住む松風園を訪れていた頃、情報交換はマンガ「すくらっぷ・ぶっく」や「星のローカス」に関する話か、音楽の話。当時のサイトウが私に見せつけてくれたのは松山千春やオフコース、さだまさしの少し古めのアルバムだった。互いに、シングル曲のみにこだわることを卒業して、アルバムのお気に入りを推しはじめた頃。サイトウは、さだまさしのある曲を私に推してきた。私はその頃、父の持つ文学全集から、同じタイトルの文学作品を読んでおり、興味を持つ。


時は経ち、2007年、娘がお茶の水女子大学附属に進学した。そう言えば、あまりお茶の水だの茗荷谷だのといった土地にはあまり縁がなかったな、などと考えていた。大学の卒業式の日、クラスメートに会うためにお茶の水に行ったな…と思い返しながらふと思い出す。


大学1年の11月、バイトしていたピープル多摩の依頼で後楽園水道橋に、大会のエントリーの書類を持っていく用を仰せつかる。トラブルで誰も持っていけそうにないので、休みだった私が年末の後楽園招待の書類提出を頼まれたのだ。そして、ふとできた暇な時間を埋めるために当時の彼女と新宿で会う約束をしたのだが、時間まで間があった。そこで、お茶の水に行ってみたのだ。目的は一つだけ。あの、サイトウに紹介された歌の風景が見られるかどうかを確かめるためだけ。


中央線の赤い電車と、総武線の黄色い電車が走る高架の上、確かに川は流れていた。


赤い電車がシャーっと音を立てて走り去るとき、一瞬デジャヴーかと思った。歌詞通りの風景がそこには横たわっていた。


あれが、最初で最後の聖地巡礼だったのだろうか。食べかけの果実は持っていなかったけれど。


「檸檬」 さだまさし