同じ高校から上京した中には当時付き合っていた彼女や親友のキラがいたし、広島時代のサイトウやダイシもいた。だから、とても有意義な時間であったことは間違いない。だが、親しさにもいろいろあり、しばらく会わずとも問題ない友もいれば、やはり側にいて欲しい友もいる。よりによって後者2人とも関西にいた。京都のマナブ、大阪のイケ、この2人がまさに四六時中いても大丈夫な友人だった。そして、最初の夏に帰省した際はマナブが部活動の都合で短く、イケとは多少帰省日程がずれており、あまり会えなかった。


そんな折、バイト先のピープルでバイト仲間何人かが集まり、選手コースに関するよた話をしていた。私に与えられた役割は、当時最も若かったこともあり、バイトをしながら選手に復帰するというもの。個人種目としては高校2年で辞めているのに、その重責を与えられる。他には選手ジュニアコースや選手コースの担当やアシスタントに入ろう、というもので、羨ましかった。そもそも、選手より、コーチの方にこそ高校の頃から興味があったからだ。


計画は10月から始まるということで、9月の末に休みをもらった。学校もポッカリと休講が多かった。どうやら他大学と掛け持ちしている先生が多く、その時期にテストをする学校が思いの外多かったらしい。そこで、私は京都、大阪に旅行をすることにした。マナブのところに2泊、イケのところに2泊。マナブもイケもずっと暇なはずもなく、夜だけ付き合ってもらい、それ以外は全て事前にアポを取る。京都では外大に行った同級生や同志社に行ったマナブの彼女。そして、大阪。中1の頃のおままごと的な付き合いだった彼女が神戸大学に進学しているという。以前、たった1行の手紙で別れを告げた彼女だ。



その彼女と高校が同じだった大学の同級生が連絡を取ってくれて、2人で京都に行くことになった。丸々5年ぶり。梅田の紀伊国屋書店の前だったと記憶している。阪急電車に乗り、京都へ行き、嵐山だの念仏寺だのを散策し、何事もなく大阪へ戻った。驚くほど日常会話ばかりの中、最後に、「あのお別れの手紙。『いろいろ考えたけど』っていう『いろいろ』は何だったん?」十三を出て梅田に着く直前に訊く。

「いろいろ、は、いろいろだよ」

笑いながら人混みの中へ彼女は消えていった。


大学の同級生ツルが取ってくれたオススメのカセットに入っていた曲を何度もリピートしながら、石橋駅まで行き、イケと痛飲する。


夜通し、コンポを占領し、その曲をかけていた。


切ないイントロ。嘆きのごとき歌声。


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