気の持ちようで、気持ち。

気のせい。


気。なかなか、東洋人は難しい概念を培ってきたものだ。この、気、が最も他者に説明の困難な言葉であり、概念である。


競泳をしていた。そのときの経験談を例に出すしかないのだが、休める、という感覚を持つだけで、人は、それまでの限界(と感じていた線)を易々とこえることもある。中2の頃、今から40年以上も昔のことだが、とにかく、練習が苦痛だった。だが、練習のみならず、レースも、とてつもなく苦しかった。どのレベルでも、どの種目でも、そして、どの時代でもタイムには「壁」がある。無論、他者から見たら、「そんなもん壁とちゃうわ」程度のものでも、本人からすりゃあ、それはそれは大きく高い壁だったりする。私の場合、2ブレ(200平泳ぎ)しか、選手として生きる種目はなかったものだから、それだけに懸けようとしていた。当時の標準記録はDグループで、2分41秒だったろうか。それまでのベストが42秒だった私に、当時のコーチは荒療治をしてくれた。

50m×4本(40秒サイクル)。単純な計算だった。160秒、つまり、2分40秒なのだ。この練習を回れば、ベスト。実際のところ、泳ぎ終わって壁につき、次のスタートへの準備を含めると3秒は欲しい。つまり、37秒で戻りたい。そうでなければターンしているだけのようなものだ。だが、ふと思った。おや、オレは今、壁で2秒休んどるぞ。そう思ったとたん、次の一本を頑張れた。結果、その40秒×4本が、37~38秒平均で泳げるようになったではないか。本当に休んでいる訳ではないが、休んだ気になる、という、気のせい。


ところが、自信満々で臨んだ大会で、またもや2分40秒が切れなかった。


そこで、今度は次の大会では、レースに臨んでいる自分の意識を変えることにする。

オレは今、200平泳ぎではなく、50×4本を泳いでいるのだ。だから、最初の50は、大きくゆったりだ、などとぶつぶつ言いながら泳いでみた。すると、なんと、一気に2分37秒まで伸びたのだった。


この感覚をなかなか伝えられなかったコーチ時代。選手たちに、「休みながら泳げ」などと言うと、流す選手続出。やはり、メンタルを伝えるのは難しい。ところが、最後の最後に、あるバックの選手が「ターンは休んでる」を少し体感してくれた。

「ターンをしている時は、手もかかないし、足も打たないから、休んだ気になれ、ってことなの?」

その選手は、中2の春に、2バックでJOに出たのだが、直後の5月に、ベストを一気に5秒更新した。残念ながら、私は、6月で次のスイミングに就職したので、その後を担当できず、1年後、その子が全中で決勝に残った時は、嬉しさ半分、悔しさ半分だったのを今でも複雑な気持ちで思い出す。


今でも何かあると、こう思う。


大切なのは、気の持ちようだ、と。