皆様、ごきげんよう。
いかが、お過ごしでしょうか?
以前、このブログの2021年4月14日の記事で、勾玉の雲が出現したことをお伝えしましたね。
黒い雲の勾玉でしたが、穴の部分は白く光っていましたね。
これは、"内側から光を発して闇を打ち破り、災いを転じて福と成す"ということ。
すなわち、『内なる光で変化を引き起こし、悪を破壊する』のです。
もう一度、言っておきますが・・・
2021年『4月14日』に、『勾玉』の雲が出現し、その日の内に記事で伝えたのです!
4という数字は、変革も意味します。
では、14は?
ちゃんと意味がありました。
今年の夏は、新型コロナウイルスのデルタ株によって、爆発的な感染拡大がありました。
そして、それは秋に入ると徐々に収束しました。
なぜでしょう?
『デルタ株で、変異を修復する"nsp14"が変化し、その修復が追いつかず。変異が蓄積し、ウイルスが次々に死滅。その結果、デルタ株による第5波が収束した可能性あり』(要約)
そういう遺伝学の研究結果が、昨日(2021年10月30日)に発表されましたね。
やはり、『4月14日』の『勾玉』の通りで、スリー・バーラサイと天照が調和し、日本を救う為に祝福していた!と言えるでしょう。
"nsp14"が「変化した」ことで、ウイルスが死滅。それが、第5波収束の一因であろうと言われているんですから。
まさに、これこそ「太祓」と言えるはずです。
スリー・バーラサイは「自然は、"神そのもの"である!」と教えてますし、神の祝福が現れる場合もあるのです。
スリー・バーラサイとして祝福を示すことも出来たのに、あえて日本の古き善き神道の女神・天照大御神と調和した上で、日本の為に祝福してくださったのです。
スリー・バーラサイは、日本人が自分の国の信仰や文化を愛し、大切にすることを望んでおられるからでしょう。
また、2021年6月21日の記事では、『右手で祝福をする形の雲』が出現したことをお伝えしました。
親指の向かって右側には、「7」という数字の雲があります。
よく見ると・・・
その親指の中央付近には、金色の光が楕円状に現れています。
それが何を意味するか?は、分かる人には分かるでしょう。
「楕円状」の「金色」の「光」ですから。
スリー・バーラサイは生前、私の所有する銀製ヤントラを金色に変えました。
その画像は、YouTubeで公開されましたし、彼は御存知です。
そして、肉体を去っても、スリー・バーラサイは健在です。
2021年6月21日。
巨大な雲で形作った右手と、その親指に楕円状の金色の光をあらわして、祝福してくださいました。
これは、日本の皆さんと分かち合う為でもありました。
つまり、この雲の右手ブレスが、その後の連続災害から人々を守ろうとして、『ゴッド・タイミング』で現れていたことは、今や一目瞭然の事実です。
(スリー・バーラサイと私に対して)肯定的な皆さんとは、何とか祝福を分かち合おうと試みています。
まだ時間がある内に、『神の愛と祝福を分かち合い、善いカルマを拡げる』なら、大難を小難に出来る可能性もあるからです。
その後、今年7月~8月にかけて「大雨災害」が発生し、10月には「二日間にわたる連続地震」に、🌋阿蘇山噴火🌋と様々な災害が続きました。
詳しく見てみましょう。
今年7月に入ってからの大雨では、7県14河川で氾濫が起き、深刻な土砂災害も起きました。
2021年9月4日には、メッセージボードに『どこであれ地震にも注意が必要』と書いておきました。
その約一ヶ月後に、何が起きたでしょう?
わざわざ、『注意が必要』と書くだけのことはありました。
「二日連続」で、「同じ最大震度」という『異常な地震』でしたから。
その前日にあたる10月5日には、『カルマを正す重要性』や『運命を改善する方法』に関する記事もアップしていたのです。
その翌日!
2021年10月6日の2:46に、岩手県沖を震源地とする『最大震度5強』の地震。
2021年10月7日の22:41に、千葉県北西部を震源地とする『最大震度5強』の地震。
『同じ最大震度5強』の地震が、二日連続で、それぞれ東北(青森)と関東(埼玉、東京)で発生したのです。
御覧の通り。
私は、本当に重要なことや、何かしら意味のあることをしているのです。
人々の命を守る為に・・・
社会が、より善くなる為に・・・
日本の皆さんの幸せと平和の為に・・・
それが、『理由』です。
しかし、災害の度に、このようなことを書くのは、もうやめるでしょう。
すでに、書くべきは書いてきました。
私がしていることの本当の意味を、(少しでも)理解できる人たちがいるとしたら、サットヴァが優勢な人たちだけでしょう。
タマスやラジャスを抑制し、サットヴァを優勢にしておくべきです。
そうでなければ、正しい霊性修行や、善い奉仕活動をしているとは言えませんよ。
この肉体は普通の人間ですから、何も知りませんし、何も出来ません。
全てを知ろうとしたら、狂いそうになります。全知は、神にお任せしておけばよろしいのです。
奇蹟は、全宇宙の秩序(カルマ等)に影響を及ぼし、責任重大です。奇蹟は、神にお任せしておけばよろしいのです。
私は、普通の人間として・・・
何か知りたければ、普通に知る為の努力をします。
何か出来るようになりたければ、普通に出来るようになる為の努力をします。
スリー・バーラサイは直接、私に『文を書く仕事』も祝福してくださいました。
その仕事をするにあたり、私には2つの方針があります。
1つは、不変の普遍的ダルマをストレートに伝えることです。
もう1つは、多種多様な方便を用いて伝えること。
この方便は、あくまでも方便ですから、ある時期が来たら、終わるものもあります。
「方便」とは、もともと仏教用語です。
方便は「相手本位の利他行」を意味し、基本的に「嘘はない」のです。
仏陀の、ある物語を要約で書いておきます。
ある時、自分には何人も子どもがいるのに、他人の子どもまで誘拐する女性がいました。
彼女は、本当に子どもが好きでした。
自分なら、全ての子どもの面倒を見て、全員を幸せに出来る!と考えていたのです。
しかし、子どもを誘拐され、悲嘆に暮れる母親たちは、仏陀に助けを求めました。
仏陀は弟子に対し、彼女の可愛がっている末っ子を連れてくるよう命じました。
弟子はひそかに、その末っ子を呼び寄せ、仏陀のもとへ連れて行きました。
彼女は末っ子がいないので、パニックに陥りました!
そして、鬼👹の形相となり、全知で有名な仏陀のもとへ来ました。
彼女は「誰かが、私の可愛い末っ子を誘拐した!教えて!誰が連れ去ったの?あの子は、どこにいるの?」と助けを求めました。
仏陀は、正直に答えました。
「私とともにいます。その子を連れてくるよう、弟子に命じたのは私です。」
彼女はショックを受け、何故そんなことをしたのか?聞きました。
仏陀「あなたには、たくさんの子どもがいる。それなのに、あなたは、子どもが一人いないというだけで、その有り様です。」
彼女は、「たった一人いないだけでも、許せない!」と怒りました。
仏陀は、平静でした。
仏陀「あなたは今すぐ、その子と家に帰れます。しかし、あなたが誘拐した子どもたちの母親は、今もなお苦しんでいます。あなたの味わった不安と苦痛は、今もなお彼女たちに与えている不安と苦痛の一欠片に過ぎません。」
彼女は、気付きました!
『私は、貪欲による罪を棚に上げ、身勝手に怒っていた!自分がされたくないことを、他人にしていたのだ!』と。
彼女は仏陀の全知と方便に平伏し、誘拐した子どもを母親のもとへ戻し、謝罪しました。
母親たちは、彼女が他人の子どもでも、我が子と分け隔てなく、愛情深く世話していたことを知りました。
そこで、母親たちが大変な時には、彼女が保育士のような役割を担い、子どもたちの面倒を見るようになったのです。
私は必要に応じ、方便としての文を書き、期間限定で公開することもあります。
私は、どういう人間なのでしょう?
前から、よく聞かれます。
「あなたは、どういう人間なのか?」と。
ですから、答えておきましょうか。
私と他人が、一緒にいる時・・・
他人が私に何をしても、私にとって善くも悪くもありません。
私は何も執着しないまま、神に捧げます。
神が反応し、報いを返します。
善い人々とは、より多くの愛と祝福を分かち合えるでしょう。
悪い人々とは、全く愛も祝福も分かち合えないでしょう。
全ては、鏡に反射するかのように起きます。
私の人生は、神のものです。
私が執着しないで神に捧げ、神が反応して報いを返していることは、そのまま現象化するので、はっきり分かることです。
あの自然現象に出現した勾玉や右手ブレスのように!
神意による愛と祝福が、いつも現象化してくるのです。これが、日常茶飯事で起きています。
だから、『常に神!神!神!私の全ては、神のもの!』と、正直に言っているのです。
ある人が私に対し、思いと言葉と行動を一致して肯定的なら、その人は報われるでしょう。
ただし、否定的な部分もあるなら、その分だけ差し引かれます。
大切なのは、形式的な問題ではなく、中身の問題です。
どこにも私を必要とする人たちがいないなら、私は一人でいます。
事実、一人の方が身軽かつ気楽であり、神とともにいられて幸せです。
たくさんの人付き合いがあるということは、それだけのトラブルもあるということ。
必ずしも、たくさんの人に囲まれていることが幸せとは限りません。
むしろ、あれこれと他人のせいで、心の平安を失うでしょう。
私は、孤高タイプです。
しかし、ほぼ私の思考は、皆の為にあります。
私が忘れる時、それは必要ないからです。
私が思い出す時、それが必要だからです。
そのようなことが起きるのは、私の為というよりも皆の為です。
神は忘れるべきを忘れられるように祝福し、思い出すべきを思い出せるように祝福します。
ある人たちは、私に向かって、💀迷妄のゲーム💀を仕掛けてきます。
外面が善かれ悪かれ、形式がスピリチュアル的でも世俗的でも、それは💀迷妄のゲーム💀なのです。
彼らは、やりたいようにやってのけます。
ある時点までは付き合って、戯れるしかありません。
しかし、その💀迷妄のゲーム💀が、結末を迎える時!
容赦なく、彼らは次々と「現実」に直面します。
彼らは、自分が撒いた種の実を、自分で刈り取らねばならないからです。
私は、"立会人"のようなもの。
一つ言えるのは、その「隠れたところ」にいらっしゃる神御自身が、全てを目撃しているということです。
私は今、神が定める義務と奉仕を実践する為に生き残っています。
私は、そういう人間です。
しかし、私の真似をしないでください。
私は、特異な帰依者たちの中でも、極めて特異な方みたいですから。
ところで、様々な祝福や恩寵を分かち合うには、どのようにしたら良いのでしょう?
ほとんどの祝福は、私と肯定的な人間関係を続けていれば、自動的に分かち合えます。
形式的な祈願や儀式は、あまり必要ないのです。
否定的な関係にあるなら、何も分かち合えないし、肯定的な関係にあれば、色々と分かち合えるというだけです。
それで、何か体験する場合もあるでしょうし、その体験のかたちは人それぞれでしょう。
この事情を知っていて、何らかの祝福を体験できたのなら、ただ心の中で愛や感謝に溢れているだけでは不十分です。
私に感謝を伝えられるなら、そうするべきです。
愛と敬意ある人なら、もちろん私にも感謝を示すでしょう。
また、貧困に苦しむ人々の中にいる神へ・・・
愛と感謝の気持ちを、『善い社会奉仕活動』というかたちにして、捧げてください!
全ては、スリー・バーラサイが祝福なさっているのです。
スリー・バーラサイは誰にでも合わせて、愛と祝福を体験させてくれます。
彼の愛と祝福を体験する為に、超常能力を持つ必要はありません!
サットサングでも、祝福を共有することが出来ます。
真のサットサングは、統一性なしに成り立ちません。
肯定的かつ統一性をもって、神や霊性に関する何かをする時のみ、捧げる側と受け取る側で、祝福を分かち合えます。
しかしながら、あなた自身に必要な祝福が足りない内から、他者と分かち合うことが出来るでしょうか?
自らの現状を謙虚に直視し、正しく実践しましょう。
私は実践的に体現し、素直に書いて、お伝えしているのです。
スリー・バーラサイは、原初至高の神御自身です。
天界では、御自分のヴァイクンタで、皆の為に奉仕しておられます。
地上では、御自分のサマディー・マンディールで、皆の為に奉仕しておられます。
しかし、最も大変そうなのは、帰依者のハートに住んでいる時でしょう。
ただし、大変かどうかは、帰依者によるかもしれません。
スリー・バーラサイは御自分のことよりも、帰依者を深く愛しておられるように感じます。
ところで、宇宙とは何でしょう?
この世界には、様々なゲームがあります。
スリー・バーラサイによると、「神は、全宇宙が神の舞台であり、そこで神のゲームをする。全ての相対的で、儚い物の"創造・維持・破壊のゲーム"である。」とのこと。
神もまた、💗神のゲーム💗をなさるんですね。
ただし、注意深く読み解いて、正しく理解していただきたいと思います。
神の化身の言葉は『霊的に深い意味』もあるので、きちんと霊性修行や善行奉仕を実践していれば、正しく理解できるでしょう。
1つはっきり言えるのは、「サイ・アヴァターのメッセージは、魂に自由を与える!」ということ。
で、宇宙とは何でしょうね?
皆で交通ルールという規律を守らなければ、事故が多発し、社会の秩序が壊れてしまい、誰も安心して暮らすことが出来なくなるでしょう。
宇宙にも、カルマという規律があります。それを守らなければ、宇宙は崩壊してしまうでしょう。
スリー・バーラサイは、「宇宙が真実でなければ、惑星はそれぞれの軌道に乗ることはできず、人類の存続も危うくなるでしょう。太陽の輝き、月の光、我々の喉の渇きを癒す雨、空気が我々の命を支え、大地を作物で満たしてくれます。それが、"創造"というものです!」と教えています。
つまり、宇宙とは"創造"なんですね。
それは、きっと"ポジティブ"なものでしょう。
宇宙が、ポジティブな創造の世界であるならば・・・
人生もまた、本来は"ポジティブで、創造溢れる道"と言えるかもしれません。
すなわち、人生においては『出来るだけ、喜びの気持ちを持って行うこと』がポイントであろうと思うのです。
宇宙や自然、運命の流れに逆らうことなく、順調に生きていくというのは、それがポイントであろうと思うのです。
2012年を経て、内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されています。
よって、否定的な気持ちで何を行っても、否定的な結果がやってきてしまうでしょう。
肯定的な行動には、肯定的な結果がやってきますよ。
人間の本能・・・その欲求は、"喜び"ですからね。
ほとんどの場合、自分が好きなことだけをしていたいでしょう?
好きなものを食べ、好きな人を欲しがり、好きなものを見たり聞いたりして、好きなことなら何時間でも集中できるはずですから。
"喜び"を求め、"喜び"に満たされていたいのです。
その"喜び"の気持ちを持って行動するなら、人生や運命において、うまく軌道に乗っているということですから、肯定的な結果もやってくるでしょう。
もう一度、言っておきます。
2012年を経て、本格的に内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されていきます。
よって、喜びの気持ちを持って行動するなら、肯定的な結果がやってくることでしょう。
悲しみや憎しみ、敵のことや罪、病気や悩みについて、あれこれ考えていたら、全てにおいて弱くなりますよ。
三つの時間における"現在"というものは、全てが過去のカルマに縛られているわけではない。未来を生み出す可能性も秘めており、自由に開かれているのです。
ですから、その未来を生み出す可能性に気付けば、どれほど新しいか!どれほど自由か!どれほどワクワクしてくるか!ということにも気付くでしょう。
ならば、"喜び"の気持ちを持って、何か行うことが出来るかもしれませんよね?
ささやかながら、応援しております。
💝愛と感謝を込めて💝
いかが、お過ごしでしょうか?
以前、このブログの2021年4月14日の記事で、勾玉の雲が出現したことをお伝えしましたね。
黒い雲の勾玉でしたが、穴の部分は白く光っていましたね。
これは、"内側から光を発して闇を打ち破り、災いを転じて福と成す"ということ。
すなわち、『内なる光で変化を引き起こし、悪を破壊する』のです。
もう一度、言っておきますが・・・
2021年『4月14日』に、『勾玉』の雲が出現し、その日の内に記事で伝えたのです!
4という数字は、変革も意味します。
では、14は?
ちゃんと意味がありました。
今年の夏は、新型コロナウイルスのデルタ株によって、爆発的な感染拡大がありました。
そして、それは秋に入ると徐々に収束しました。
なぜでしょう?
『デルタ株で、変異を修復する"nsp14"が変化し、その修復が追いつかず。変異が蓄積し、ウイルスが次々に死滅。その結果、デルタ株による第5波が収束した可能性あり』(要約)
そういう遺伝学の研究結果が、昨日(2021年10月30日)に発表されましたね。
やはり、『4月14日』の『勾玉』の通りで、スリー・バーラサイと天照が調和し、日本を救う為に祝福していた!と言えるでしょう。
"nsp14"が「変化した」ことで、ウイルスが死滅。それが、第5波収束の一因であろうと言われているんですから。
まさに、これこそ「太祓」と言えるはずです。
スリー・バーラサイは「自然は、"神そのもの"である!」と教えてますし、神の祝福が現れる場合もあるのです。
スリー・バーラサイとして祝福を示すことも出来たのに、あえて日本の古き善き神道の女神・天照大御神と調和した上で、日本の為に祝福してくださったのです。
スリー・バーラサイは、日本人が自分の国の信仰や文化を愛し、大切にすることを望んでおられるからでしょう。
また、2021年6月21日の記事では、『右手で祝福をする形の雲』が出現したことをお伝えしました。
親指の向かって右側には、「7」という数字の雲があります。
よく見ると・・・
その親指の中央付近には、金色の光が楕円状に現れています。
それが何を意味するか?は、分かる人には分かるでしょう。
「楕円状」の「金色」の「光」ですから。
スリー・バーラサイは生前、私の所有する銀製ヤントラを金色に変えました。
その画像は、YouTubeで公開されましたし、彼は御存知です。
そして、肉体を去っても、スリー・バーラサイは健在です。
2021年6月21日。
巨大な雲で形作った右手と、その親指に楕円状の金色の光をあらわして、祝福してくださいました。
これは、日本の皆さんと分かち合う為でもありました。
つまり、この雲の右手ブレスが、その後の連続災害から人々を守ろうとして、『ゴッド・タイミング』で現れていたことは、今や一目瞭然の事実です。
(スリー・バーラサイと私に対して)肯定的な皆さんとは、何とか祝福を分かち合おうと試みています。
まだ時間がある内に、『神の愛と祝福を分かち合い、善いカルマを拡げる』なら、大難を小難に出来る可能性もあるからです。
その後、今年7月~8月にかけて「大雨災害」が発生し、10月には「二日間にわたる連続地震」に、🌋阿蘇山噴火🌋と様々な災害が続きました。
詳しく見てみましょう。
今年7月に入ってからの大雨では、7県14河川で氾濫が起き、深刻な土砂災害も起きました。
2021年9月4日には、メッセージボードに『どこであれ地震にも注意が必要』と書いておきました。
その約一ヶ月後に、何が起きたでしょう?
わざわざ、『注意が必要』と書くだけのことはありました。
「二日連続」で、「同じ最大震度」という『異常な地震』でしたから。
その前日にあたる10月5日には、『カルマを正す重要性』や『運命を改善する方法』に関する記事もアップしていたのです。
その翌日!
2021年10月6日の2:46に、岩手県沖を震源地とする『最大震度5強』の地震。
2021年10月7日の22:41に、千葉県北西部を震源地とする『最大震度5強』の地震。
『同じ最大震度5強』の地震が、二日連続で、それぞれ東北(青森)と関東(埼玉、東京)で発生したのです。
御覧の通り。
私は、本当に重要なことや、何かしら意味のあることをしているのです。
人々の命を守る為に・・・
社会が、より善くなる為に・・・
日本の皆さんの幸せと平和の為に・・・
それが、『理由』です。
しかし、災害の度に、このようなことを書くのは、もうやめるでしょう。
すでに、書くべきは書いてきました。
私がしていることの本当の意味を、(少しでも)理解できる人たちがいるとしたら、サットヴァが優勢な人たちだけでしょう。
タマスやラジャスを抑制し、サットヴァを優勢にしておくべきです。
そうでなければ、正しい霊性修行や、善い奉仕活動をしているとは言えませんよ。
この肉体は普通の人間ですから、何も知りませんし、何も出来ません。
全てを知ろうとしたら、狂いそうになります。全知は、神にお任せしておけばよろしいのです。
奇蹟は、全宇宙の秩序(カルマ等)に影響を及ぼし、責任重大です。奇蹟は、神にお任せしておけばよろしいのです。
私は、普通の人間として・・・
何か知りたければ、普通に知る為の努力をします。
何か出来るようになりたければ、普通に出来るようになる為の努力をします。
スリー・バーラサイは直接、私に『文を書く仕事』も祝福してくださいました。
その仕事をするにあたり、私には2つの方針があります。
1つは、不変の普遍的ダルマをストレートに伝えることです。
もう1つは、多種多様な方便を用いて伝えること。
この方便は、あくまでも方便ですから、ある時期が来たら、終わるものもあります。
「方便」とは、もともと仏教用語です。
方便は「相手本位の利他行」を意味し、基本的に「嘘はない」のです。
仏陀の、ある物語を要約で書いておきます。
ある時、自分には何人も子どもがいるのに、他人の子どもまで誘拐する女性がいました。
彼女は、本当に子どもが好きでした。
自分なら、全ての子どもの面倒を見て、全員を幸せに出来る!と考えていたのです。
しかし、子どもを誘拐され、悲嘆に暮れる母親たちは、仏陀に助けを求めました。
仏陀は弟子に対し、彼女の可愛がっている末っ子を連れてくるよう命じました。
弟子はひそかに、その末っ子を呼び寄せ、仏陀のもとへ連れて行きました。
彼女は末っ子がいないので、パニックに陥りました!
そして、鬼👹の形相となり、全知で有名な仏陀のもとへ来ました。
彼女は「誰かが、私の可愛い末っ子を誘拐した!教えて!誰が連れ去ったの?あの子は、どこにいるの?」と助けを求めました。
仏陀は、正直に答えました。
「私とともにいます。その子を連れてくるよう、弟子に命じたのは私です。」
彼女はショックを受け、何故そんなことをしたのか?聞きました。
仏陀「あなたには、たくさんの子どもがいる。それなのに、あなたは、子どもが一人いないというだけで、その有り様です。」
彼女は、「たった一人いないだけでも、許せない!」と怒りました。
仏陀は、平静でした。
仏陀「あなたは今すぐ、その子と家に帰れます。しかし、あなたが誘拐した子どもたちの母親は、今もなお苦しんでいます。あなたの味わった不安と苦痛は、今もなお彼女たちに与えている不安と苦痛の一欠片に過ぎません。」
彼女は、気付きました!
『私は、貪欲による罪を棚に上げ、身勝手に怒っていた!自分がされたくないことを、他人にしていたのだ!』と。
彼女は仏陀の全知と方便に平伏し、誘拐した子どもを母親のもとへ戻し、謝罪しました。
母親たちは、彼女が他人の子どもでも、我が子と分け隔てなく、愛情深く世話していたことを知りました。
そこで、母親たちが大変な時には、彼女が保育士のような役割を担い、子どもたちの面倒を見るようになったのです。
私は必要に応じ、方便としての文を書き、期間限定で公開することもあります。
私は、どういう人間なのでしょう?
前から、よく聞かれます。
「あなたは、どういう人間なのか?」と。
ですから、答えておきましょうか。
私と他人が、一緒にいる時・・・
他人が私に何をしても、私にとって善くも悪くもありません。
私は何も執着しないまま、神に捧げます。
神が反応し、報いを返します。
善い人々とは、より多くの愛と祝福を分かち合えるでしょう。
悪い人々とは、全く愛も祝福も分かち合えないでしょう。
全ては、鏡に反射するかのように起きます。
私の人生は、神のものです。
私が執着しないで神に捧げ、神が反応して報いを返していることは、そのまま現象化するので、はっきり分かることです。
あの自然現象に出現した勾玉や右手ブレスのように!
神意による愛と祝福が、いつも現象化してくるのです。これが、日常茶飯事で起きています。
だから、『常に神!神!神!私の全ては、神のもの!』と、正直に言っているのです。
ある人が私に対し、思いと言葉と行動を一致して肯定的なら、その人は報われるでしょう。
ただし、否定的な部分もあるなら、その分だけ差し引かれます。
大切なのは、形式的な問題ではなく、中身の問題です。
どこにも私を必要とする人たちがいないなら、私は一人でいます。
事実、一人の方が身軽かつ気楽であり、神とともにいられて幸せです。
たくさんの人付き合いがあるということは、それだけのトラブルもあるということ。
必ずしも、たくさんの人に囲まれていることが幸せとは限りません。
むしろ、あれこれと他人のせいで、心の平安を失うでしょう。
私は、孤高タイプです。
しかし、ほぼ私の思考は、皆の為にあります。
私が忘れる時、それは必要ないからです。
私が思い出す時、それが必要だからです。
そのようなことが起きるのは、私の為というよりも皆の為です。
神は忘れるべきを忘れられるように祝福し、思い出すべきを思い出せるように祝福します。
ある人たちは、私に向かって、💀迷妄のゲーム💀を仕掛けてきます。
外面が善かれ悪かれ、形式がスピリチュアル的でも世俗的でも、それは💀迷妄のゲーム💀なのです。
彼らは、やりたいようにやってのけます。
ある時点までは付き合って、戯れるしかありません。
しかし、その💀迷妄のゲーム💀が、結末を迎える時!
容赦なく、彼らは次々と「現実」に直面します。
彼らは、自分が撒いた種の実を、自分で刈り取らねばならないからです。
私は、"立会人"のようなもの。
一つ言えるのは、その「隠れたところ」にいらっしゃる神御自身が、全てを目撃しているということです。
私は今、神が定める義務と奉仕を実践する為に生き残っています。
私は、そういう人間です。
しかし、私の真似をしないでください。
私は、特異な帰依者たちの中でも、極めて特異な方みたいですから。
ところで、様々な祝福や恩寵を分かち合うには、どのようにしたら良いのでしょう?
ほとんどの祝福は、私と肯定的な人間関係を続けていれば、自動的に分かち合えます。
形式的な祈願や儀式は、あまり必要ないのです。
否定的な関係にあるなら、何も分かち合えないし、肯定的な関係にあれば、色々と分かち合えるというだけです。
それで、何か体験する場合もあるでしょうし、その体験のかたちは人それぞれでしょう。
この事情を知っていて、何らかの祝福を体験できたのなら、ただ心の中で愛や感謝に溢れているだけでは不十分です。
私に感謝を伝えられるなら、そうするべきです。
愛と敬意ある人なら、もちろん私にも感謝を示すでしょう。
また、貧困に苦しむ人々の中にいる神へ・・・
愛と感謝の気持ちを、『善い社会奉仕活動』というかたちにして、捧げてください!
全ては、スリー・バーラサイが祝福なさっているのです。
スリー・バーラサイは誰にでも合わせて、愛と祝福を体験させてくれます。
彼の愛と祝福を体験する為に、超常能力を持つ必要はありません!
サットサングでも、祝福を共有することが出来ます。
真のサットサングは、統一性なしに成り立ちません。
肯定的かつ統一性をもって、神や霊性に関する何かをする時のみ、捧げる側と受け取る側で、祝福を分かち合えます。
しかしながら、あなた自身に必要な祝福が足りない内から、他者と分かち合うことが出来るでしょうか?
自らの現状を謙虚に直視し、正しく実践しましょう。
私は実践的に体現し、素直に書いて、お伝えしているのです。
スリー・バーラサイは、原初至高の神御自身です。
天界では、御自分のヴァイクンタで、皆の為に奉仕しておられます。
地上では、御自分のサマディー・マンディールで、皆の為に奉仕しておられます。
しかし、最も大変そうなのは、帰依者のハートに住んでいる時でしょう。
ただし、大変かどうかは、帰依者によるかもしれません。
スリー・バーラサイは御自分のことよりも、帰依者を深く愛しておられるように感じます。
ところで、宇宙とは何でしょう?
この世界には、様々なゲームがあります。
スリー・バーラサイによると、「神は、全宇宙が神の舞台であり、そこで神のゲームをする。全ての相対的で、儚い物の"創造・維持・破壊のゲーム"である。」とのこと。
神もまた、💗神のゲーム💗をなさるんですね。
ただし、注意深く読み解いて、正しく理解していただきたいと思います。
神の化身の言葉は『霊的に深い意味』もあるので、きちんと霊性修行や善行奉仕を実践していれば、正しく理解できるでしょう。
1つはっきり言えるのは、「サイ・アヴァターのメッセージは、魂に自由を与える!」ということ。
で、宇宙とは何でしょうね?
皆で交通ルールという規律を守らなければ、事故が多発し、社会の秩序が壊れてしまい、誰も安心して暮らすことが出来なくなるでしょう。
宇宙にも、カルマという規律があります。それを守らなければ、宇宙は崩壊してしまうでしょう。
スリー・バーラサイは、「宇宙が真実でなければ、惑星はそれぞれの軌道に乗ることはできず、人類の存続も危うくなるでしょう。太陽の輝き、月の光、我々の喉の渇きを癒す雨、空気が我々の命を支え、大地を作物で満たしてくれます。それが、"創造"というものです!」と教えています。
つまり、宇宙とは"創造"なんですね。
それは、きっと"ポジティブ"なものでしょう。
宇宙が、ポジティブな創造の世界であるならば・・・
人生もまた、本来は"ポジティブで、創造溢れる道"と言えるかもしれません。
すなわち、人生においては『出来るだけ、喜びの気持ちを持って行うこと』がポイントであろうと思うのです。
宇宙や自然、運命の流れに逆らうことなく、順調に生きていくというのは、それがポイントであろうと思うのです。
2012年を経て、内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されています。
よって、否定的な気持ちで何を行っても、否定的な結果がやってきてしまうでしょう。
肯定的な行動には、肯定的な結果がやってきますよ。
人間の本能・・・その欲求は、"喜び"ですからね。
ほとんどの場合、自分が好きなことだけをしていたいでしょう?
好きなものを食べ、好きな人を欲しがり、好きなものを見たり聞いたりして、好きなことなら何時間でも集中できるはずですから。
"喜び"を求め、"喜び"に満たされていたいのです。
その"喜び"の気持ちを持って行動するなら、人生や運命において、うまく軌道に乗っているということですから、肯定的な結果もやってくるでしょう。
もう一度、言っておきます。
2012年を経て、本格的に内側に隠されているものは何であれ、外側に引っ張り出されていきます。
よって、喜びの気持ちを持って行動するなら、肯定的な結果がやってくることでしょう。
悲しみや憎しみ、敵のことや罪、病気や悩みについて、あれこれ考えていたら、全てにおいて弱くなりますよ。
三つの時間における"現在"というものは、全てが過去のカルマに縛られているわけではない。未来を生み出す可能性も秘めており、自由に開かれているのです。
ですから、その未来を生み出す可能性に気付けば、どれほど新しいか!どれほど自由か!どれほどワクワクしてくるか!ということにも気付くでしょう。
ならば、"喜び"の気持ちを持って、何か行うことが出来るかもしれませんよね?
ささやかながら、応援しております。
💝愛と感謝を込めて💝