684th  努力賞 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

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最近の小学校は競争なるべく避けようとするようですが、競争の激しい高度世長時代にも真剣に努力すれば努力賞なるものがありました。

具体的に何がどうということではないのですが、真剣に取り組んだ者に対してはその部分を評価してあげようと言う世の中の雰囲気があったのでしょう。

殺伐とした中で、競争のある一部分だけを曖昧にしようとする風潮よりは味があったのかも知れません。


ところで、僕や妻、あるいは他の霊的修行者の守護霊や指導霊の方の境遇をお聞きすると、師を求めたのに出会うことが出来ず、独自の方法で修行したために望み通りの効果があげられなかったけれども、その真剣な姿勢が高貴な存在には評価されていて、あの世に戻ってから、そのことが役立ち、他の方々よりも早く進歩向上することが出来たという話がよく出て来ます。

やはり高貴な存在も修行者の姿勢というものをよくご覧になっているようです。

苦労して修行をされた方々に比べれば僕たちは本当に恵まれています。

彼らが望んでもめぐり合うことが出来なかった地上の師がいらっしゃるからです。

神伝の法が地上に示され、それを教えて下さる師がおられて、それでもそのようなことを宝の持ち腐れのようにしてしまう、地上の人間という存在には恐ろしさを感じてしまいます。

もちろん、僕自身にそのような経験があるからです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、水波霊魂学 早わかり わかりやすい霊魂学 霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」) 霊を知るために 弁慶と弟子体験ー死後の世界 などをご覧になって頂ければと存じます。


さすがに今はそんなことはしていませんが、師が考えておられる想定通りに修行の段階を上っているとは到底思えません。

確かに霊魂の世界にも努力賞はあると思いますが、自分自身があてはまるという感覚は全くありません。

僕の場合は失敗ばかりしていますし、何よりも自分で何かやるべきことをまだ全くやっていないという意識がずっとあるので、あちらの世界に戻ったら自分自身はどうなるかということを考えることがないのです。

そんなふわっとした状態であっても、自分なりに考え、行動していかなければなりません

立ち止まってしまうと時は倍の速度で流れ去って行くからです。

努力賞をもらうためではなく、何か特別な存在になるためでもなく、歩くべき道があるのだから、前へと進んでいくしかありません。

長い長い道のりを。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。