532th  無駄 | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

僕は現実主義者でしかも合理的なことが好きなので、無駄ということが大嫌いです。

無駄な時間とか無駄な仕事とかが嫌いなのです。

しかし、この無駄というのは非常に主観的なものであって、客観的ではありません。

全く同じ事が、ある人にとっては無駄であり、ある人にとっては必要だったりするからです。

このようなブログを書いているためか、たまに僕はもう少し早い時期に霊魂学に出会えるチャンスがあったのではないかと思わされる時があります。

霊的修行者となってからは、最悪で目も当てられないような有様でした。

もちろん、僕の自由意思でそうなったのですが、何度も日々の生活に目を奪われ、何度も挫折し、その度に霊的な生活に専念しようとしたのですが、またいつの間にか日々の生活に埋もれてしまうということの繰り返しでした。

それは、あまりにも無駄な日々でした。


しかし、もっと現実的に考えてみるといつもフラフラと横道にそれながら、何とか戻ってくるという馬鹿馬鹿しい無駄の繰り返しがなければ、霊的修行者としてある程度覚悟するということもなかったようにも思います。

そう考えると、遠回りをしてきたようで、実はそれなりに進むべき道を歩んできたようにも感じられるのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊魂通信(「霊魂イエス」「ムーの大神人」)霊を知るために 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


誰もが有意義な人生を送りたいと思っています。

良いことが一つもなく過ごしてきた人生で、いつか一発逆転の瞬間が来るのではないかと夢見て日々暮らしています。

これがああなったら、たぶんこうなって、きっと素晴らしい人生が送れるに違いないと考えますが、ほとんどの方はその通りにはいきません。

そして、万に一つのチャンスを掴んだ方も実際にそうなってみると実は何も良いことはなかったという結果になることが少なくないのです。


なぜそうなるのかというと、理由は簡単で、それらの有意義な人生というものが物質的な豊かさや物質界の価値観での理想で塗り固められているからです。

物質界の理想というのは、叶ってみると実は物質界のそれでしかないということを思い知らされて、結局、夢見たような幸福感が長続きしないのです。


あまりにも無駄な人生を送ってきたと嘆いてみてもしょうがありません。

本当に無駄だったのかどうなのかの真価が問われるのは、これからなのです。

世の中が、物質界が、もしかしたら幽質界までも大きく変化するこの時期に、真の幸せとは何かを知って、それに向かってひたすら努力することが出来るかどうかに全てがかかっているのです。

この地上での人生を無駄にするか、有意義なものにするかは、あなたの今この瞬間の判断にかかっています。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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