332th  良いことがありますように | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

地上の人々は、何かというと良いことがありますようにと願います。

年始にもなると初詣なるイベントがあるためか、普段行くことがない神社仏閣を訪れて、今年一年良い年でありますようにと願います。

「今年こそ結婚できますように、第一希望の大学に入れますように、生きがいを感じられる仕事に就けますように、昇進昇格出来ますように。」

しかし、そのような物質的な願いは至上の神には届きません。

至上の神ほど遠くなくても、神霊や霊質界におられる高級眷属や上級霊魂の方々にも届きません。

今の地上の霊的状況に鑑みれば、自分自身を担当されておられる守護霊や指導霊にさえ届かないでしょう。

もし、守護霊に届いた方がおられたとしても、そんな物質的な願望が実現したら、霊的進歩向上にはとんでもないマイナスになると思われるかも知れません。

地上の人々が言う良いこととは、自分の都合に合致していることだからです。

自分の都合に合致していれば、良いことであり、善と捉えます。

合致していなければ、全て悪いことであり、悪となります。

民主主義とは、多数決ですから、それぞれの人々がそれぞれに自分の都合を主張した結果、都合が一致した数が多いものが善とされ、法律とされ、道徳とされ、倫理とされ、国家の方針とされていくわけです。

当然ながら、それらは全て物質界の価値判断であるわけです。

物質界で生きる以上、物質界の価値判断を無視するわけにはいきませんが、その善なるものが全て正しいのであれば、地上に戦争などあるはずもありませんし、不幸などもないはずです。

だからこそ、よりましなものを求めて妥協するのが民主主義だと偉い学者さんは仰るでしょう。

そこで、優れた独裁者による独裁国家が良いのか、腐れ切った民主主義国家が良いのかという、「銀河英雄伝説」のような話になってしまうのですが、ここでは関係がないので、これ以上は踏み込んだことは書きません。


ただ、いつも同じことを申し上げていますが、人という霊的生命体は、霊的進歩向上のため、霊的カルマを解消するために、地上に再生されているのですから、その目的を果たすためにプラスになるかマイナスになるかということを基準にして生き方を決めていかない限り、人は必ず不幸になります。

そして、その不幸こそが永遠と感じられるほど長く続く、本当の不幸なのです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


とにかく、肉を着て地上で生活をしていれば、霊的修行者として修行を積み重ねても、日々の労働や人間関係や家族の問題で悩まされるということは、霊的修行者ではない方と特別に違いがあるわけではありませんし、霊的トレーニング を実践すれば、物質的にも幸せになれるということはありません。

物質界には物質界の法則があり、人にはそれぞれ霊的カルマがあるのですから、何もかもが自分の都合良くいくようになるなどということはあり得ないのです。

だからこそ、霊魂学はほとんどの方々に受け入れられないし、無視されるのです。

本当の幸せを掴んで欲しい、短い地上での生活の後に耐えがたい苦しみを味わい続けて欲しくないという神霊や上級霊魂や守護霊や指導霊の思いなど、地上の人々の自由意思によっていとも簡単に拒否されてしまうわけです。


それでも、キリストは地上に降りられます。

無視され、迫害され、殺されても、地上に降りられるのです。

最高レベルの神霊であり、そうであるがゆえに地上で肉を着られた存在であるキリストにしか地上の人々に関与し、地上の人々を救うことが出来ないからです。

しかし、キリストが目の前におられても誰もそうだとは気がつきません。

イエス師は罪悪人として処刑されました。


人々が救うわれるためには、本物のメシアは悪と呼ばれなければならないのかも知れません。

地上の人々が本当の意味で正しい目を持たないからこそ今の世の中があるのですから、その人々の目を意識して、いつもその人々に気に入られる発言をしていたら絶対に救いなどありません。

巨大マスコミが有力なスポンサーの意に反して、真実を報道することが出来ないのと同じ構図があるのです。

さすがに今回の原発に関する報道で気がつかれた方も多いと思います。

権力構造というのはお互いの利益を守るためにズブズブの関係になっていて、そこにはそれ以外の方々の犠牲を気にかける要素など全く存在しません。皆無です。


従って、本当の救いがあるとしたら、それは善悪を超えた、地上の人々が悪魔の如しと呼ぶ個性、史上最悪の暴君と呼ぶような存在が現れるしかないということになります。

独裁者のみが人類を救うのかも知れません。


自然災害は自然の摂理以外の何ものでもありません。

天罰などありません。

地球が久しぶりに大きな変化を起こしているのですから、何があってもおかしくなりません。

過去には氷河期もあったのです。

そんな今の時代に、神に命乞いをしても、災害は起きるべき時に起きるだけです。

誰がどのような災害に巻き込まれるかなど全く分からないのです。


もし、死後の世界があるとあなたがお考えであるならば、なぜ地上に生まれてきたのか、何のために地上で生きているのかを真剣に考えて頂ければと思います。

物質的な快楽や幸福を得るために、そしてそれらが得られないがゆえに日々もだえ苦しむために、本当に短い地上での人生を送っておられるのでしょうか。

そんな人生に本当に意味があると思われますか。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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