先が見えない不安など | おはこの「大切なことは唯ひとつ」

おはこの「大切なことは唯ひとつ」

人は何のために生まれてくるのか。
そして、何のために生きるのか。
10数年ほど前のある日、僕はこの人生最大のテーマに対する一つの答えを見つけることができました。
「大切なことは唯ひとつ」だったのです。

人は先が見えないと不安になります。

失業してしまった。就職難の今、次の仕事が見つからない。家賃も払えない。ご飯も食べられなくなってしまう。

被災者の方々はもっと大変です。

全てを失ってしまわれた方も多くいらっしゃるからです。


人という霊的生命体に本来不自由という概念はありませんでした。

幽体は食事も睡眠も必要としませんし、同じ霊的レベルの世界であれば、かなり自由に移動出来るようですから、制約というものがないのです。

肉のつながりの家族はいませんので、誰かを養わなければならないということもありません。

本来は、上層幽界以上の世界しかありませんでしたから、いじめられたり、苦痛を与えられたりすることもありません。

霊的に進歩向上することがいわば仕事と言えるかも知れませんが、それが強制されることはありません。

これほどの自由があるためか、人という霊的生命体は自由に飽きてしまったようです。

そのために、不自由を求めて、無理矢理地上に降りてしまいました。

そこからの1万年以上にわたる苦しみの歴史は何度も書かせて頂いている通りです。

苦しみも不安も全て地上に降りたことが原因なのでした。


今、日本では大きな不安が全国民を包み込んでいます。

これまでの価値感や生活の行く末に対する予想が、全く通用しなくなってしまったからです。

いかに素晴らしい安定していると言われている職場にいても、急に仕事を失うかも知れませんし、どのような災害にあうか分かりません。

被災者の方々や失業中の方々に限らず、1年後どころか1ヵ月後、1週間後、明日ですらどうなるか分からないという不安があるのです。

しかし、よくよく考えてみれば、日本においても安定した時代がそれほど長く続いたということはありません。

大昔であれば、自然の猛威に対しては、今よりも無抵抗な状態でしたし、そもそも人権などという概念などありませんでしたから、人の命は今ほど平等に重いものとはされていませんでした。

病気に対する抵抗力も弱く、ちょっとした病気で簡単に命を落としていました。

戦争が続いた時代も多くあり、そこでは常に殺し合いが行なわれ、飢饉などで大勢の人達が餓死することも珍しくありませんでした。

つい最近まで太平洋戦争をやっていて、原爆が広島と長崎に落とされ、瀕死の状態の戦後を経験しているのです。

日本でも、本当にほんのちょっとの短い安定した時代があっただけのことです。

発展途上国と言われている国々では今も戦争があり、飢餓があり、日々、ものすごい数の人達が亡くなっています。

物質界はやはり物質界。地上で生きる苦しみは変わらないどころか、世の中の仕組みが複雑になった分、逆にどんどん増していっているのです。


苦しみと言いようがない不安。

日本の国民は、ほんの数十年、20年か30年にも満たない間、それを忘れていただけなのです。

大昔から何が変わったわけでもないのに、科学というものにあまりにも絶対的な信頼を置きすぎたために、ほとんどの人たちが、ぼけていただけのことなのです。

ただ、今、最悪なのことは、苦しみも不安も減っていないのに、なぜか唯物論や無神論だけが強大な力を持ってしまっていることです。

ピンチはチャンスと言いますが、このような状況になってしまったことはどうしようもないのですから、せめてこの大きな不幸が、人々の霊的目覚めのきっかけになってくれればと思うだけです。


さて、本日のブログを読まれて何かを感じられた方は、是非、今日からすぐに始められる霊的トレーニング を実践して頂き、わかりやすい霊魂学霊を知るために 霊魂イエス ムーの大神人 弁慶と弟子 などをご覧になって頂ければと存じます。


今、自然の変化や人々の想念が、世界中の地上の人間に大きな影響を与えているようです。

今後も何が起きるか分かりませんが、このような時だからこそ、地上の人々は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかを真剣に考えなさいと教えられているような気がしてなりません。

地上で生活する以上、どうやって生活していくかを考えなければなりません。

そこには、多くの苦しみと不安が伴うでしょう。

しかし、そんな絶望的な思いをしながら、ただ生きるということだけを考えても、本当の意味で救われることはありません。

何のために生きるのかを知って初めて、生きるための苦しみや不安と真正面から向き合うことが出来るのです。

肉は肉の維持が最優先ですから、とにかくまず生き延びるのだとしか肉の脳は考えられませんが、残念ながらなぜ生きるのかという部分が抜けてしまったら、残るのは無限の絶望感だけになってしまいます。


このような状況では、霊的トレーニング を実践し、トオゥ・ライ・シェイを行なうことにより、個々に、そして多くの人々が力を合わせて、この地上に霊的に高い力を降ろし、少しでも多くの霊的に高い空間を作り出すしか、もう人類の希望を見出すことは出来ないと僕は確信しています。

肉を着て生活しているのですから、先々の不安は当然僕にもあります。

妻は来年の今頃はどうなっているだろうと不安な顔をします。

しかし、生きる意味を知り、生きる目的を果たすために日々努力していれば、その不安は肉の本質からくる不安に過ぎないことが実感出来ます。

不安はあっても、霊的進歩向上のために最善の努力をし続けているのだという気持ちが持てれば、本物の希望がその不安をかなり軽減してくれます。


今後、何が起ころうとも僕にははっきりと人類の希望の光が見えています。

自由意思を行使すれば、あなたも必ず希望の光を見つけることが出来ます。

本物の希望の光を。


大切なことは唯ひとつ・・・・・。


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