「モノサシ」を長くするということ
現在、世界の戦争のほとんどが内戦だといわれます。また大きな戦争であっても、その原因は、内戦や隣国との紛争、つまり良く知っている近所との揉め事から始まっているといっていいと思います。また家族間で親を殺したり子供を殺したりしたというニュースもよく耳にします。兄弟同士でいがみ合ったり、時には家族をも殺してしまう。もっとも助け合うべき最後の砦である家族間でなぜこのようなことが起こるのでしょう。
格差が問題になっていますが、ホームレスの人の中でさえ自然に格差ができてしまうといいます。仲間内で比べあい、我のほうが優秀だという競争心が働くからでしょう。本来ならばまずやるべきは全員で助け合い、協力して現状を打破すべきなのに、人間というのは小さな競争に明け暮れ、自ら可能性を閉鎖してしまうことがあるのです。
議論も同じです。大枠は同じであるが些細なところが違う意見。これが一番対立します。まったく異なる意見というのは対立しません。どうして仲間同士で対立しあうのか。どうして仲間内で過度な競争に陥ってしまうのか。
それはモノサシが短くなっているからです。
誰もが世界を図るモノサシをもっています。そのモノサシを自分が所属しているもっとも小さなコミュニティに当てはめてしまうのです。ですから、その中で意見の違う人がいると、モノサシの端に位置づけしてしまいます。極端に右か左かに見えてしまうのです。それが世界の全てとなり、それにあわせて自分の立ち位置を測ろうとします。その中で自分は劣っていると落ち込んだり、優れていると思っていい気になったり、あるいはあの人は変なクセを持っているだとか、それが拡大レンズを通したように見えてしまう。またグループに新参者が入ると、その人がとてつもなく変わった人に見えるときがあります。これはその人が変なのではなく、自分のモノサシの長さが変わってしまっているのです。
自分の持っているモノサシの長さは変化するということに気づかなければなりません。コミュニティは入れ子構造になっていて、自分の所属している最小単位のコミュニティはさらに大きなコミュニティに所属しています。最終的にもっとも大きなコミュニティは地球全体ということになるのですが、大きな視点から見れば些細なことも、本人が小さなコミュニティにモノサシをあわせてしまっている場合は、それがとても大きな相違(決して相容れることはできないと思うくらい)に見えてしまうのです。
油断をするとこのモノサシというのはどんどん短くなっていってしまいます。自分の周りのほんの小さなコミュニティの中で優劣を競ったり、対立したりといったことに明け暮れてしまう。常にモノサシを長くする努力をしなければならないということです。自分のグループの中ではこうだが、では他のグループではどうだろう?地区全体ではどう見えるだろう?日本レベルでみたらどうだろう?世界レベルでみたらどうだ?というふうに考えていくと些細なことが気にならなくなります。右には右がいるし、左には左がいるのです。もっと過激な意見があるよなぁ。もっとすごい人がいるよなぁ。となるわけです。そして自分の小さなコミュニティの中でもめている場合ではないと思えてくるのです。長いモノサシで見ればまったく違うと思っていた意見も目的は同じであることに気づきます。一致団結してやるべきことが見えてきます。
モノサシを長くするためにはどんどん外に目を向けることだと思います。自分のグループ以外の人に意見を聞いたり、日本はどうなっているか、世界はどうなっているかを調べたり。私もたびたびモノサシが短くなっていることに気づき、後悔します。常に意識して精進していきたいと思います。