「撃吐」への激白16:誕生日 | 独奏撃の'毒'創劇

独奏撃の'毒'創劇

弾き語りとバンドとポエトリーリーディングな「表現」中毒、少年(しょーや)のブログです。

Anti-Trenchの向坂くじらさんのエッセイ#9を読んだ感想文です。

制作中のシングル「撃吐(げきはく)」に通ずる内容やと思うので、一応制作ノートとして。

 

 

感想元のエッセイはこちら↓

あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと

#9 見知らぬ三十九歳のこと

https://note.mu/antitrenchmania/n/nfef90437d3df

 

 

------------------------------------

 

 

自分も「周回遅れ」の1人やと思う。

 

自分は3人兄弟の末っ子として産まれた。

七五三には1度も行っていない。

1番上の兄と、真ん中の姉の代の途中くらいで、両親が七五三のやりくりに嫌気がさしてしまい、3人目の俺の代は「別に行かんでもいいや。面倒臭いし、金と時間かかるだけ」という事になり、行かへんって決めとったらしい。

 

二十歳前後くらいまで《好きな服を買って着る》という経験が無かった。

末っ子という事もあってか、兄や父親のお下がり、親戚や従兄弟のお下がり、兄の友達のお下がりが自分の衣類やった。

 

小学4年くらいまで友達は1人もおらんかった。

高いところが苦手やったから、ブランコでも滑り台でもジャングルジムでも遊ばん時間の方が長かった。

生まれつき左目に「斜視(しゃし)」の障害があるのも相まって平衡感覚が鈍く、物体の立体感や遠近感を捉える事が出来ず、自分の高所恐怖症はかなり極度なものやった。

幼稚園~小学校低学年くらいの頃は階段の昇り降りもまともに出来へんかった。

特に降りる時は手すりを両手で掴んで、めっちゃ慎重に1歩ずつ。

一段下に右足を置く。

次に右足と同じ段に左足を置く。

両足が同じ段に揃うとまた右足を次の段へ。

両足交互にタッタッターってかけ降りるなんて出来へんかった。

田んぼ道も歩けへんかった。

電車の連結部分を歩くのも怖かった。

というか、走行している最中の電車内で立ち上がるっていう事すら出来へんかった。

動体視力も鈍く、ボール遊びなんてもってのほか。

キャッチボールもまともに出来たことがない。

今でもノーバウンドでボールをキャッチ出来へん。

缶コーヒーとかひょいっ!って投げて渡されるのがすげー嫌。

絶対落とすor顔にぶつかる。

 

初めてブランコや滑り台で遊んだのはたぶん、小学5年くらい。

 

数日前に、制作中のシングル「撃吐」の特典リリックビデオ制作のために夜の公園に行った。

その時に初めてジャングルジムのてっぺんに登った。

めっちゃ怖かった(笑)

誰や!あんな恐ろしい遊具発明したんは!!(笑)

 

 

日常生活の細かい部分で「出来へんこと」とか「したくないこと」は本当に沢山あった。

それを人に言っても、伝わらんことの方が多い。

《外で遊ぶ》というのは、自分にとっては屈辱を通り越して地獄のような時間やった。

野球→キャッチボール出来へん。

サッカー、バスケ→ドリブル出来へん。

バトミントンやテニス、卓球、バレーはまずサーブが打てへん。

ドッヂボール→阿鼻叫喚の地獄絵図。

遊具で遊ぶのを断っても「こんなの全然高くない!嘘をつくな!」と無理矢理参加させられ、どれだけ泣きわめいても《嫌がっている》と思ってもらえへんかった。

隙を見つけて猛ダッシュで逃げて帰った事もあった。

 

 

クラスメイト以上に、自分の家族(特に父親)にはもっと《伝わらない》と感じる場面が多かった。

小学校に入学してひと月足らずの頃、クラスメイトからいじめを受けた。

それを両親に相談した事がきっかけで、父親から毎日のように説教を聞かされるようになった。

「家族以外の人間、血の繋がりのない人間を相手にするな。そいつらと関わるな。他人とは縁を切れ!」

そのアドバイスを元に次の日の学校で実践した。

そしたら、いじめは悪化した。

それをまた父親に相談すると、別のアドバイスを受ける。

その翌日、改めて実践したら更にいじめは加速する。

その繰り返しが何日も続いた。

そのうちに、父親からされる説教の内容は「叱責」とか「教育」じゃなく、「皮肉」になってった。

「子供にとって親は永遠に親!親にとって子供は永遠に子供!子供は親の言う通りに生きるんが一生涯の義務!親の意見を優先できへんようではお前はマトモではない!」

毎日毎日呪文のように何度もそう言い聞かされ、時と場合によっては学校を仮病で休まされて丸1日父親の説教を聞かされる事もあった。

それ以降、父親に自分の意見を言っても聞いて貰えへん事が殆どになってしまった。

出来へん事をどれだけはっきりした言葉で伝えても、徹底的に否定されてしまう。

こっちが喋っとる途中で話を遮られ、

「それはお前の思い込み!」

「決めつけるな!」

「お前は異常や!」

という言葉をぶつけられるのが当たり前になった。

なるほど、じゃあ実際にやって見せて「出来へん」っていうのを実感してもらおう。

実際に父親の目の前で「出来ない」という事をやって見せてもそれは伝わらんかった。

「出来へんっていう演技をしとるだけや!出来やんフリや!!」

と一喝されるだけ。

 

これを書いている今現在も、当たり前のように親の考えを基準にした生活や判断を強いられる。

例えば、仕事以外で遊びに出かける時は

・どこに行くのか

・何をしに行くのか

・誰と会うのか

・その人はどんな人なのか

・どういう経緯で知り合ったのか

・どういう道順で向かうのか

・何駅から何線の電車に乗り、何駅で降りるのか

・到着までにいくらぐらい費用がかかるのか

そういう事細かな質問を毎回のようにされ、答えをはぐらかすと「隠し事をするな」と言われて外出を禁止される事もある。

「人に期待するな。人と関わるな。常に自分1人で生きとるという意識を持て!人を頼るな!いざと言う時に頼れる相手は家族以外に存在せーへん。血の繋がりのない人間を人間やと思うな!世の中は血の繋がりが全てや!」

そう言われ、意思表示を拒絶される時間が何年も続いた。

不思議なことに兄や姉にはそこまで口うるさく執拗な束縛はしていなかった。

理由は「あいつらはB型やから」らしい。

父親の中で血液型がB型の人間=《自分の利益になる物事にしか耳を貸さん生き物。やからこっちの要望に見合った報酬が約束されてへん限り身動きひとつ取らん性格。》というイメージが完成してしまっていた。

その反面《A型は真面目で几帳面な性格の持ち主なんやから、真面目で几帳面に親の言う通りにしてへんとあかん》と血液型がA型の俺には事細かにあれやこれやと制限や規制を設けてきた。

 

家庭内で《常識》とされる事柄は、世間一般での《非常識》やった。

逆に、家庭内で《非常識》とされる事柄は、世間一般での《常識》とされるものばかりやった。

例えば、学校では「目上の人に敬語を使って話しましょう」と教わった。

実際に先生や周りの大人に対して「です・ます」口調で話している姿を父親に見られると、例のように批判や罵声を次々に浴びせられた。

「人にいい格好をして自分の本音を隠すな!」と何時間も小言を聞かされた。

 

そういうギャップの中で生きてきてしまった。

小中高の学生時代とされる12年間には、正直ほぼ何も思い入れが無い。

我ながら「よく生きてこれたなぁ」と思うほどに過酷やった。

その間、色んな人間関係で悩み、人に利用され、振り回され、意思を伝える事がしたくても出来ず、実際に言葉や態度にして示せたとしてもそれを否定されるという時間が続いた。

ようやくそれらが落ち着いたのは、今からほんの4年前の24歳になる直前の頃やった。

 

 

------------------------------------

 

 

「人に期待すること」に繋がる要因をことごとく排除された環境で育った。

 

 

冒頭に掲載したくじらさんの記事は、5~6回くらい読み返した。

その度に同じところで「え!羨ましい!そんな風に素直に思えていいなー!」という気持ちに駆られる。

 

特にファーストクラスに乗って誕生日を祝ってもらえなかった39歳の男性の件。

「祝ってほしい」と他者に素直に期待をする事が出来るのが羨ましい。

飛行機の中で泣けるという事が羨ましい。

素直に自分の思いを態度や言葉に出せるのが羨ましい。

文章を読みながら《憧れ》を感じた。

 

 

いま、僕は28歳。12月22日生まれ。

そのうち《家族から誕生日当日に「おめでとう」を言ってもらえた回数》は、恐らく年齢の3分の1も無いかもしれへん。

「わざわざ誕生日当日に狙いを定めるみたいにして、『おめでとう』言わなあかんのが面倒臭い」

という、父親の考えに他の家族全員同意していて《誕生日当日》に「おめでとう」を言われたことは、ほぼ、無い。

たまたま偶然、その時その瞬間の気分で「当日に言いたい」という気持ちになってくれた時には言ってくれるけど、数年に1回あるかどうかの頻度。

誕生日当日から1週間前やったり、1ヶ月前やったり、誕生日月始めやったりすることが殆ど毎年のように続いてしまっている。

もちろん「今日誕生日じゃないよ!」とか「ちゃんと誕生日の日に言って欲しい!」と言った事は何度もある。

でも、その場でその言い分は無いものにされてしまう。

「面倒臭い」

「嫌」

「お前は頭が固いな」

「プライドが高すぎる」

そんな言葉が飛び交う状況を、誰も「おかしい」と思わない。

むしろ「それが普通」と感じている空気が漂っている。

自分だけが、違和感を感じている状態。

どれだけ口出ししても、何も変わらへん。

いつの間にか《当日に「おめでとう」を言って欲しい》という気持ちを抑えるようになってしまった。

表向きにしたところで何も変わらん。

否定されるだけやから、言う分だけ自分が嫌な思いをするだけになる。

家族に拘らんくても、友達は当日に祝ってくれるからそれだけでもありがたいと思おう。

そういうふうにして、知らず知らずのうちに家族に期待を持つことを辞めてしまった。

因みに、去年の「誕生日おめでとう」を言われたのは、12月22日の8日前。

なんでやねん!!

 

 

あーもう!!

やっぱり期待したいんじゃーー!!!!

 

 

《産んで育ててくれた家族》からは《誕生日当日》に祝ってほしい!

それを期待したい!!

でも期待すればするほど、それを表向きに示せば示すほど、そういう自分の気持ちを覆されてしまう。

それを分かっていながらも、やっぱり期待を持とうとしてしまう。

という、終わりのない天秤がったんがったん。

 

 

それでも、《素直に人に期待を持てる勇気》を持ちたいと思う。

このブログやってそう。

別に共感して欲しいわけじゃない。

嫌なら嫌で途中で読むのをやめてくれてもいい。

 

ただ!!

《知って欲しい》という思いで書いてる。

理解は出来へんくていいから、とりあえず《知って欲しい》。

知らないことは《知ってから》白黒判断つけて欲しい。

知らないままにして欲しいくない。