猪名川牛の穴日記  2009  | 至誠塾 過去の日誌 タイキダス

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太気拳至誠塾の 塾生による本部・支部の過去の稽古日誌
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過去の日誌

大阪支部の武田氏による日誌

(2010年4月分まで)

 

・▲2009年分・2010年分

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12月25日(金) 苛々もやもやの功徳 by 武田

揺りの動きの中で速度の方向が変化する瞬間を大事にすべしと、高木先生が今月も指導しておられました。

この変化の瞬間、体内が虚にならないようにするには、 複数方向の力(質量x加速度の意念)を感じるようにしなければならないのですが、 これが非常に矛盾とモヤモヤ感に満ちており、気持ちの悪い状態です。
大袈裟に言うとエネルギーが充満した真空状態(渾沌)を感じることを先生は意図しておられるのだと推測しますが、 動きの中の角ばった地点で、どこか穴の開いた風船のように力が漏れていくことあり、なかなか上手く行かないのが現実です。

私はこのモヤモヤした割り切れない感覚を抱えていることが実は非常に中枢神経そして太気拳上達のために良いのではないかと、 最近、ある本を読んでいて思いました。
その本によれば、脳波にはアルファ波、ベータ波の他にシータ波というのがあり、 シータ波は、今までにない事柄に出くわし、ストレスを感じながら学習する過程で、 シナプスが増えたり伸びたりする時に出る脳波とのこと。

そこで、推論ですが、ブレイン・カンフーたる太気拳はモヤモヤを抱えてゆっくり動く、 あるいは静止することで複数方向への力の出し方を集中的に脳にインプットする武術なのでしょう。 外見上、速度が一瞬ゼロになる点では、シータ波を発振して、実はどっさり学習している。 だから、ここが肝だよと先生はいつも仰る。
組手や稽古のキャリアが情報量に反映され、それが繰り返し練習する過程で、 データ圧縮の要領で内容豊富なままにコンパクトなパッケージとなり、 パッケージの蓋が一度開くと、全身を使った爆発的な動きを実現する。

虚から多くの実を生む点では、宇宙論にも通じる、太気拳のロマンを感じます。

 

 


11月21日(日) by 武田

11月14日、15日に亘って開催された、大阪支部10周年記念合宿(於 舞洲ロッジ)では、 高木先生直々の組手指導があったのですが、こういう時に限って邪魔が入るもの。

朝の5時起きで兵庫県の山の中で開催された中学校駅伝の応援をしたあと、 練習終了時の記念撮影からぼちぼち参加しました。 罪滅ぼしにバーベキューまで一人稽古を1時間ほど行い、 恒例のバーベキューの後、夜更けまで修行のヒント山盛りな武術談義に突入。
その席上、実戦というものを改めて考えさせられました。

ガンガン組手をしたい。危ない組手をして強くなりたいという血気盛んな伸び盛りの人の意見です。 酒の勢いと語る側の日ごろの純粋な強さへの憧れの迸りに、オジサンは少々疲れてしまいました。 実戦(実践)の概念と武術をする動機に変化が起きたのも作用しています。

海外駐在時代、赤信号でも突っ込んでくるマンハッタンの柄の悪いタクシー(テールランプに蹴りを入れて口論になった)や、 駅や空港のトイレで身長2m、体重120kgはありそうな黒人がわざと出入り口でぶつかってきたりすることが、 切実な日常の危険の一端です。 

そういった生活の中で重要なのは、 1にセンサー機能、 2に身にしみついた正しい動き、 3に武術的パワー(発力)。 1と3が組手を多数経験して場数を踏むと身につくのかどうか、私は疑問です。
ただ、2を出せるようになるための肝練りとしてなら効果的なのは間違いない。 その意味では何段階、何種類ものアプローチがあるはずで、 みんなで進んで青タンを作ることも、他流試合でもない限り必要ないかと考える次第です。 大阪支部は、コアな部分ではフィジカルな面とあわせてかなり危ないなと感じさせる人が何人もいるため、 却って互いを尊重し、本性を出さずに自分が納得できる動きを全うできることに重きを置いています。 
日常生活で武の心技をどう生かすかに力点をおいた人が集まったこれはこれで一つカラーだと思うのです。

 

 


9月30日(水) ノーマリー・オン(Normally On) by 武田

高木先生自ら歩法の妙を徹底的に披露し、説明し尽くす。  9月は、いつにも増して極意てんこ盛りの至誠塾指導内容でした。 一人稽古の中で温めてきた感覚をスペトレ中に髙木先生との会話の中で、 確かめ、あながち的外れでないことを確認できたのは、大きな収穫であります。

その中で閃いたのが、表題のNormally Onという言葉。 パレーエレクトロニクス関係の技術者の方々は、検索結果項目の中にこのHPが混じりこんでヒットしたりして迷惑かもしれませんが、 丁度良い機会だからさらっと読んでください。

太氣拳の立禅や歩法は全てNormall Onの状態から、 体の一部のスイッチを切ることを前提にしている、というのがスペトレ中の会話の骨子。
問題は、いつどの方向にでも力を出せる状態でスタンバイしておきつつ、 やるときにはスイッチを切らないといけないという点、 このブログではこれ以上述べませんが、 これが筋肉縮む力で動く一般的なスポーツとの違いであり、 太氣拳が爺になってもできる一つの由縁でもあります。

あります、とお前ごときが断定していいのか、と言われそうですが、スペトレ中のコンセンサスだから良いでしょう。
つまり、通常はリラックスしろと言われて、Normally Offの状態を作り、そこからOnにする。
太氣拳はリラックスしていてもOnなのです。 その上で初動はOffから始まる。  このブログではこれ以上述べませんが、だから長年他のスポーツをやってきたものにとっては難しい、だから立禅は奥が深く、 また、不可欠な要素なのでした。。

 


9月4日(木) 瞑想の効果に関する話 by 武田

高木塾長から先々月聞かせて頂いた立禅の話に、関係した話題を一つ。

もうかれこれ18年余りも前のこと。カミさんが長期療養する間、実家の母と一緒に乳幼児の世話と、 やっと佳境に入った仕事の両立を余儀なくされたことがありました。
戦闘モードで毛羽立った心身を落ち着かせるため、座禅にも手を出したのがこの頃です。 
当時、仕事で時折シンガポールに行く機会があり、彼の地でも、上司の親友で形意拳の達人であるTeoさんから、 自分の瞑想の師匠だという老人Koh先生を紹介され、断片的な手ほどきを受ける機会がありました。

仕事の後、屋台の並ぶ客家センターでタイガービールをちびちびと舐めながらKoh先生が言うには、 「瞑想をすると頭の中の抽斗にいろんな問題がキチンと整理されるようになるから、無駄なストレスがなくなるんだよ。 無念無想になろうとしなくても良い。心配事があるなら、それをずっと考え込んで行けばいずれ頭が空っぽになるよ。 顔が痒かったら掻けば良い。 呼吸は身体に任せなさい。」

帰国後就寝前3、40分は座禅を組んだでしょうか。 功徳を求めて組む禅を野狐禅と呼ぶそうですが、わたしの場合など典型的な野狐禅です。
2週間ほど真面目に続けているうちに、15分くらい経過した時、急に頭の中で小さなブレーカーがパチンと落ちる感覚があり、 その後白い朝もやの中にたたずんでいる気分に浸るようになりました。
すると、徐々に不思議な気分で毎日が始まるようになったのです。
即ち、周囲の雑音、会社で待っている難題、後遺症が残る恐れのある連れ合いの病状、 3時間おきの授乳といった問題に対して、感情的、情緒的反応が抑制され、粛々と目前の業務を処理できるようになったのです。
「頭を雲の上に出し・・」の歌詞が描く気分そのものなのです。
最寄の地下鉄始発駅から腰掛けて30分あまり、座禅もどきの姿勢をとるようになったのもこの頃から。
背筋を伸ばしてリラックスすると自分の両手が、車内の空気の中にゆっくり溶けて境界線がなくなる感覚が始まりました。
すし詰めの日比谷線車内で訪れる、つかの間の平安。

当時、これが何か全くわかりませんでしたが、先々月高木塾長から聞いた、白神山地・ブナの木の脇での爽快な立禅で得た感覚、 あるいは、"My Stroke of Insight"の著者であるテイラー博士がシャワー室で経験した理性的、分析的に物事を処理する 左脳機能が脳内出血で低下した瞬間の感覚だったのであろうと今になって漸く納得しています。
あれは瞑想状態の始まりだった。
言い換えれば、場数と本人の真剣さ次第で、ある程度どこでも瞑想常態に達することができるのだと思います。

取分け真剣さが大事。
なぜなら、私の場合、連れ合いが退院し、もっとも心配していた後遺症が残らないことが はっきりした頃から、頭は雲の下に戻ってしまったからです。

 

 


 

7月11日(土) by 武田

時差ぼけ、ミーティング、仕事の後の取引先あるいは同行者との夕食、 そして夜討ち朝駆け移動を繰り返す海外出張を過去10年に亘り頻繁に繰り返してきました。

もともと早寝早起きが苦手で怠け癖のある私ですから、 朝靄たなびく世界各地の街の公園で気持ちよく立禅をした経験などほんの数回もありません。
また、そういうことができる場所ばかりでもありません。
ホテルの一室から、駅をせわしく出入りする雑踏やベンチでいちゃつくカップルを見ながら、禅を組むことの方が多いのです。

さて、部屋に戻ってからも自由時間とは行きません。
地の果てまで追いかけてくるメール読み終えるともう夜の11時半。  とにかく寝る前に30分は稽古しようという場合、何をするか。 こういった時、経験的にまずしんどいことから始めるようにしています。
ただ、ホテルの部屋でどたばたやるわけには行かないので、おのずとしんどい"姿勢"を取ります。
私の場合、嫌いな伏虎粧を16分位やってストレスが身体にたまった(ノルアドレナリンが出る)状態から、 普通の立禅に以降するとすうっとリラックスできます。 これは圧力釜の中のジャガイモよろしく、むかつかされた中枢神経がストレスから開放され、 セロトニン神経のスイッチが入り、落ち告いた気分になるからだと思います。  さて、余すところ約9分。
ゆっくりと揺りを行い、発力をしたあと4分ほど這いをして、今日一日とにかく練習らしきことはやりました、 と自分に言い聞かせて一日の締めくくりとなります。

こういった風に書くと、太気拳というのは大変楽な拳法だと誤解する向きが多々出てくることでしょう。
あえて言うと、楽ではありませんが、効率的な拳法であることは間違いありません。

つまり、上記のメニューだと、スロートレーニング+加圧トレの姿勢で乳酸を身体に溜め込み、 成長ホルモンを出せ、と中枢神経に命令を送った後、瞑想的リラックスで状態中枢神経のリセットを行い、 成長ホルモンが分泌される状態を維持しながら、 同時にゆっくり正確に実戦を意識しながら動いて精妙な動きに関する情報のコード化 (あるいはデータ圧縮)と中枢神経へのインプットを促して終わる。
今流行りのトレーニング法満載なのです。

(注)情報のコード化については、「上達の法則」という面白い本があります。

子供時代、週刊誌の通信販売欄に「一日30分で君も強くなれる」といった広告があったのを覚えている方々も多いことと思います。
定期的に合同稽古に参加して、一人稽古を続けることを前提にすれば、 "あの"広告を現実にするのが太気拳のシステムと言えるのではないでしょうか。

 

 


6月28日(日) 夏になると思い出すこと、そして太気拳 by 武田

2000年2月も残り1週間を切った頃、丸7年間に及ぶアメリカ駐在から帰国した。 

湿度が少なくて日陰が凌ぎやすい土地柄に加え、 カジュアルクローズが平均となった業界でスーツ姿に疎遠な夏に慣れ親しんだわが身にとって、 5ヶ月後の東京は、さながら80年代初頭、 生まれて初めて踏んだ外地であるマドラス(現チェンライ)とカルカッタ(現コルコタ)を髣髴とさせるほどのインパクトがあった。

そんなとき、同じ大学の先輩にあたり、わが元上司の親友にあたるCさんの訃報が飛び込んできたのだった。
Cさんは、現在メディアでも良く知られるK教授(当時は助教授?)の旧友であり、 私の上司MさんもCさんを通じてK教授とは面識があったようだ。 
Cさんの葬儀に参列するため幕張に向かうにあたり、私にはもうひとつの憂鬱があった。 前述のMさんが、96年来不治の病に罹っていたのである。 しかも、普通の速度では歩けないほどに肺活量が落ちていたのだ。 
そこで私は丸の内線東京駅のホームでMさんと落ち合い、 その後は、Mさんに付き添いながら葬儀が行われる臨海マンション区画内の集会場に向かったのだった。
天頂に小さく白く輝く太陽の下、呼吸を整えながら歩を進めるMさんの後姿が今でも真夏日になると脳裏に浮かんでくるのだ。 
Cさんとの最後の別れのとき、私の記憶が正しければ、Kさんは棺に両手を付いて身体を支えながら、男泣きした。
お互いに在日韓国人のアイデンティティーを選択する志を同じくし、 ともに苦労を語りあいながら励ましあってきた、真の親友への愛惜の念が偲ばれる光景だった。
(最近の著作の中で、親友の死に触れた部分があるが、私は誠に勝手ながらこのときのことではないかと思い込んでいる。)
私にはそのとき、縁起でもないことなのだが、翌年の夏にはもうひとつの別れがくる予感がはっきりしたのを覚えている。 Kさんについて、将来は名を成すだろうと葬儀からの帰途、車中でMさんが語っていたのを思い出す。 自分より年下のCさんにも、ビジネスマンとしての成功を、健康状態次第の条件付で確信していたMさん。 普通のサラリーマンとは違う、特殊な個人に対する鋭敏な嗅覚を持っていたのは事実である。

私の予感は悲しいことに的中し、2001年8月初め、Mさん永眠。 その二日ほど前、病院へお見舞いに行こうとしたのだが、ご家族の希望もありお会いすることもなく、永久の別れとなってしまった。 勘が当り過ぎるにもほどがある。

20数年前、業務命令的に私を神宮に向かわせたMさんは、私の中に何かを感じていたのだろうか。 

2001年8月のあの日、太気拳は稽古事の範疇を超えて、ひとつの使命を帯びたのだった。

 

 


 

5月31日(日) by 武田

日誌を少しサボっている間に、小皿に乗せた鰯の頭がいつの間にやら鯛になってしまったようで冷や汗一斗。
誇大広告の謗りを受けないうちにどんどん日誌を更新することにしよう。
そもそもこの日誌が「牛の穴」と銘うたれているのはなぜなのか。
それは私が北海道生まれで畜産学、特に牛に興味があるから、ではないのです。

「虎だ! 虎だ! お前は虎になるんだ!」、「とぉー!」が、 あの虎の仮面をかぶった我らが往年のヒーローであるならば、 月に一度だけ高木先生の指導を受けられる自分は、ただただ、毎月第二週の週末に習った事柄を反芻して吸収するのみ。 だから、自分は牛だ、という訳です。

反芻すると問題意識が、無意識レベルでも継続する結果、時として一気に全ての仮説の断片がつながって、 大きなパズルが出来上がる瞬間があるものですが、 私の場合、「やがて、全てが太気になる。」の一説が、確信に変わったのはつい最近のことです。

皆さんの中にはすでに観た方もおられることでしょうが、 NHKの衛星放送で、高次脳障害のため重度麻痺状態の患者さんが、 脳の視床下部もしくは延髄の周辺だったかに電極を埋め込まれ、 一回十五分の電気刺激を 一日六回、計九十分受けることで、全身の機能が顕著に回復し、 意識レベルも上がったという事例が放映されました。
その患者さんは、番組の終盤、結果的に自分の意思で身体を少しずつではありますが、動かせるようになったのでした。
まだ、学会では慎重論もあるリハビリ手法だそうですが、 私の目には、これこそまさに、太気拳の立禅や揺り、這いにおける、 不動、微動、小動を中心にした稽古法にオーバーラップして見えました。

「脳と身体をつなげる」とは高木先生がよく口にする言葉ですが、 蓋し、太気拳は動かさない身体を動かそうとすることで、それまで動かなかった部分を動くようにし、 動きのレベルを上げる武術だと思うのです。
だから、時間と回数は重要。
でも、蹴り1000発とは違う。
自らの意思で電気信号を毎日15分以上、自分の肉体に送る訓練が立禅だと捉えれば、 練習の質は送る信号の内容次第ともいえますね。(これはまた後ほど)
障害のためにかない身体の代わりに、動かさない姿勢を意図的に作り、 それを意識的に動かそうとするのですから、常に、神経系統という光ファイバーの中で双方向通信が行われます。
また、この手法は、意識がはっきりした患者さんであれば、リハビリ面でも良い効果があると容易に推測できます。
何かを仕掛けながら、何かを同時に感知する能力も同じレベルで持ち続けるようになる稽古体系。
すばらしいですね。

されどこの稽古、言うは易く、行うは難し。

 


5月18日(月) 猪名川牛の穴日記 by 武田

このほど新たに日誌を担当することになりました。大阪の武田です。
個人的な自己紹介は後回しにして、単刀直入に本論に入りましょう。

脳ブームや新手の科学的肉体トレーニングブームの中でメディアが発信する情報の断片に触れるたび、 澤井先生が残したあの言葉、「やがて全てが太気になる。」の重さが私の中で日に日に増して行きます。
「強い爺」への道は確実に我々の前にある。
(「強い婆」の実例は今後兄弟弟子達の中から出現することに期待するにして。)

過去数十年にわたり太気拳の世界で連綿と継承されてきた(あのある種退屈な)練習システムの効果を、 科学が解き明かす時代が漸く訪れました。

60歳を過ぎた修行者が、その数年後、なぜ見違えるように強くなって来日できるのか。 その道程は大げさに言えばリハビリテーションだとも言えるはず。
私が辿り着いた答えは、太気拳が脳を鍛える武術(ブレイン・コンフー)だからだという事。 

「大動は小動に如かず。小動は微動に如かず。微動は不動に如かず。」

単なる武術的強さの境地だけを意味するのだろうか。
しばしば脱線と雑談を繰り返しながら、続けて行きますので、皆さんよろしくお付き合いのほどを。 

P.S. バダ・ハリがセーム・シュルトにKO勝ち。 It's Showtime ヘビー級タイトルを奪取!