甫の木道を巡ったあと、
ふたたび国道220号を走り、鹿屋方向へ向かいます。
やってきたのは旧笠之原海軍航空基地跡。

…ですが、当時をしのばせるものは余り残っておらず、
基地があった場所は広大な農地と、住宅地になっておりますかお





$海とひこうき雲


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数少ない遺構の、地下司令部入り口。
東西に走っていた滑走路へ通ずる地下道へも通じていたらしい。
ただし内部は土で埋められ、入れません。
コンクリート製の壁面には機銃掃射による弾痕が生々しく。


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沿革です。

笠之原飛行場は大正11年に建設され、昭和20年8月15日まで24年間にわたり、旧陸海空軍の飛行場として使用されていました。数々の航空隊が練習練成に使用し、昭和16年真珠湾攻撃に参加した第2航空戦隊艦爆隊もこの飛行場を使用しました。

「天空からの拳 艦爆の神様・江草隆繁の生涯」
によると、昭和16年の半ばころ、真珠湾での急降下爆撃の精度を上げるべく、空母「蒼龍」の江草隊長のもと激しい訓練が笠之原をベースに実施された、とあります。
各地から選りすぐりの急降下爆撃の精鋭たちが集まり、錦江湾の人目に付かない港に造られた実物大目標に対して、猛訓練が繰り返されたそうです。

戦局が悪化してきた昭和19年1月15日に基地が設置され、第221海軍航空隊(通称「嵐」部隊)が開隊。フィリピン防衛の主力戦闘機隊として、戦闘・特別攻撃に従事します。昭和20年1月には第203航空隊が進出、沖縄戦線で戦闘に従事。同3月には第721海軍航空隊神雷部隊の初出撃を護衛しています。

戦争末期のこの頃、本土防衛に備え陸海軍併せて最大の航空兵力が集められたのは、当時東洋一の広さを持ち、本土防衛の要となっていた海軍鹿屋基地でした。米軍は沖縄攻略を前に、日本の航空兵力を叩くために九州各地に攻撃を開始しますが、B29の出撃目標で一番多いのが鹿屋でした。笠之原基地へは302332352海軍航空隊が連合した防空部隊「竜巻隊」が進出し、来襲したB29を多数撃破するなど、本土防衛の一端を担いました。

終戦後は農地として無償で払い下げられ、現在に至っています。






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東西滑走路跡の東端から撮影。


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南北滑走路跡の北端から撮影。
串良基地は滑走路跡がそのまま道路となっていてわかりやすいですが、
笠之原基地は全くの農地になっています。

ここからも、特別攻撃へ飛び立った若者がいたっすね…




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基地の南部に残る掩体壕。航空機を敵の攻撃から守るための格納庫です。






他に銃弾跡がのこる民家があるらしいが見つけられず。

以前は基地施設の遺構がもっと残っていたらしいです。
掩体壕などの施設は農具置き場などとして利用されていましたが、農地や宅地化の為に排除され、当時を偲ばせるものは殆ど消失してしまったとのこと。

笠之原飛行場は鹿屋基地や串良基地よりも長く使用されたそうです。
…が、1つだけ残る掩体壕は今にも崩れそうだし、時の流れの前にそのうちすべて無くなってしまう気がして、非常に心配です。


↓僕が所持する中でも、笠之原基地は沢山の戦記に登場。
これは、かなりの顔ぶれです。今は畑と住宅に変わった笠之原ですが、そうそうたるメンツが訓練に励んだすごい場所です。艦爆好きな僕は、畑を歩いてて感慨深いものを感じざるを得なかったです。。

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↓かつての滑走路は2本ありました。

より大きな地図で 笠之原基地 を表示





↓基地はこんな感じで広がっていました。
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さて、旅の2日目の日程は全て終了。
宿泊地の鹿児島市へ戻ります。
つづく