2月21日は「国際母語デー」
全ての言語を尊重し、多言語社会の平等を目指す
2月21日は、国連の国際教育科学文化機関(ユネスコ)が定めた「国際母語デー」。
由来は1952年2月21日、バングラデシュ(当時の東パキスタン)で、
ヒンズー語を公用語とする政府に対して、日常語であるベンガル語を公用語にと
求めるデモが発生、その際警官隊が発砲し、大勢の死者が出たことに因んでいる。
言語は民族のアイデンティティであり、禁止や強制は差別や自由の弾圧に繋がる。
(「星の王子さま」台湾語で読もうと呼びかける頼清徳次期総統)
台湾の頼清徳次期総統は、国際母語デーの昨日、
台湾語で書かれた「星の王子さま」を手に、
「台湾語は美しく、表現力豊かな言語です」と語り、一層の普及を呼び掛けた。
そのうえで「台湾は多言語社会であり、夫々の母語を尊重しましょう」と話した。
(高雄市で開催された世界母語デーを祝うイベント)
世界母語デーの昨日、台湾各地では母語の大切さをPRするイベントが開かれた。
4群社会と言われる台湾には本省人(台湾語)、外省人(中国語)、
客家人(客家語)、原住民(各民族の言語)の多言語があり、
近年は新住民と呼ばれるベトナムやインドネシアの人々も増えている。
台湾は長いこと他国の言語を強制されたり、制限・禁止されてきた歴史がある。
日本統治時代は、公共の場で台湾語や客家語、原住民の言語の使用は
原則禁止とされ、太平洋戦争末期には皇民化政策として、
日本語の使用が奨励された。
戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党(中国人)は、
公共の場での台湾語や客家語、日本語を禁止、
教育は日本語に代わって中国語(北京語)で行われることになった。
さらに、38年間の戒厳令下では、ラジオやテレビ放送は中国語しか
許可されなかった。音楽や映画も中国語以外の言語は禁止された。
このため、家庭内では世代間による言語の断絶が起こった。
日本統治時代に教育を受けた世代は、戦後に強制された中国語を話せず、
台湾語を話せない子や孫との会話が不自由となったしまった。
客家人の家庭では、中国語で教育を受けた子供たちの多くが客家語を
話さなく(話せなく)なった。
原住民社会では、言語の異なる部族間の共通語として日本語を強制したこともあり、
各部族の言語は、消滅の危機に瀕している。
(ブックフェアを視察する蔡英文総統)
こうした言語の回復と社会での保証を初めて政策に取り入れたのは、
蔡英文総統である。
蔡総統は、2016年の総統就任直後から
それまで対立感情が強かった4群の「宥和」を訴えて、中国語(台湾華語)での
教育以外に、台湾語、客家語、原住民語の教育を導入した。
多言語の普及は、台北(中国語)と高雄(台湾語)の南北対立の解消にも
大きく貢献した。
言語を尊重することは相手を尊重する第一歩である。
本で戦後史を知る時、思うことがある。
戦争で負けた日本が米国から英語を強制されたら、
この国はどうなっていただろうか。