阪神大震災29年 情報は乏しかった | 洋左右的人生

阪神大震災29年 情報は乏しかった

 

 第一報は「京都付近で強い地震」 メディア間は連絡取れず

 

1995年1月17日、午前5時46分、

淡路島北部を震源とする震度7の大地震が発生、

死者6434名、負傷者4万3千人のけが人、

全半壊した建物25万棟という大被害が出た。

 

当時、私はTVの朝の生放送でニュースを担当していて、

午前2時半にTV局に行き、放送するニュースの選択や海外のTV局が

報じているニュースをチェックしていた。

午前5時過ぎ、出演者などスタッフが揃い、夫々が放送内容の最終確認を

行っていた。

 

午前6時前、NHKが番組の途中で地震情報を速報、

画面には関西の地図が映し出され、京都付近に赤い×印があり、

アナウンサーが「京都方面で震度5の強い地震がありました」と伝えた。

当時、ニュースの速報は全国に支局や通信部を持つNHKに民放は敵わなかった。

 

我々はすぐに大阪にある系列局に電話したが、全く繋がらず、

イライラしながら、NHKのニュースを見続けていた。

朝の放送開始30分前に、大阪の局から連絡があり、

「神戸が酷いことになったいるので、ヘリを飛ばし、カメラを出した」とのこと。

そこで、番組は急遽放送内容を変更、

「関西方面で起きた地震に全面切り替え」となった。

 

今と違い、携帯電話の普及率が3%の時代、最も早い情報源はTVだった。

 

東京には全く情報のないまま、午前7時放送が始まった。

「阪神大震災を伝える最初の映像は、神戸の街中から立ち上る黒煙を移した

ヘリからのものだった。

この時は、車で神戸を目指したカメラクルーが神戸に到着していないため、

街の壊滅状態など被害の全貌は分からないままだった。

 

政治部が首相官邸に問い合わせると、

「村山富市総理はNHKのニュースを見ている」との事で、

会見は未定という、今では信じられないような状況だった。

 

番組終了直前、神戸に着いたカメラがめくれ上がった高速道路や

倒壊したマンションを映し出し、被害の甚大さにTVを見ていた多くの人が

気がついた。

 

番組終了後、翌日は現場から生放送することが決定、キャスターとスタッフが

自分たちの食糧と水を積み込んで、昼前ミニバンで神戸に出発した。

私はそれから3週間連続で、地震のニュースを担当することになった。

 

近年にない大地震を伝えるべく、全国の記者やカメラマンが神戸に派遣され、

連日被害の大きさを視聴者に伝え続けた。

報道がひと段落した4月末、知り合いのディレクターや新聞記者など

数人が過労で亡くなった。

 

今回の能登半島地震のニュースを見ていると、

報道の映像と同量の映像がSNS上に投稿されている。

そこには貴重な映像と共に、偽の情報も多数あり憤りを感じる。

被災者を傷つけることに繋がるそのような悪意を

誰が何の目的で流布するのか。

 

阪神大震災、東日本大震災、熊本地震、能登半島地震、

日本はこの30年で震度7の大地震を4度経験した。

日本列島に揺れない地はない、私たちはこの覚悟を持って生きるしかない。