書物連鎖
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あやめ

 御挨拶

 生年月日 大正十年六月十五日、大東亜戦争中の人間です。
 ここにあらためて申し上げる程のことではありませんが、唯読書が好きで書く
ことにことかかないだけでめづらしい事ではありません。唯私は口で説明するこ
とが下手で書くことの方が相手の方によく伝わるような思いがします。
 私のかくれた性格の中には非常にユーモアな所が文章の中にも出て来ますが、
人間はただ真面目なだけでは面白くないと思います。
 こうゆう面もあるのだなあと思って頂いた方が気が楽ではありませんか。どう
ぞお気楽なお気持ちで又楽しく人生を歩みたいと思います。
 目を通して戴けると有難く思っています。  以上

平成二十一年三月吉日


 随筆
  旅と杉の木
 
 今年の夏は長梅雨で暑い日が来なかった。
 蝉も一向に鳴かず、夏を味わう余裕もないままいっぺんに秋に入りそうな不安

を感じたほど、雨の日が多かった。元来山の旅が好きな私、この度も青葉薫る清

澄山へ登ろうと思い立ち、スケジュールを組んだのである。
 梅雨明けを待ち切れず羽ばたく思いで七月のある日清澄山に向かった。美しい
情景のまだ見ぬ清澄山を、夢見る思いで心がはずんだ。
 今まで同じ県内に居る人でも清澄山を見る機会もなく今日に至った人も多い。
 運良く私達三人は雨にも降られず、小湊駅を通過頃には、日射しも出て予報を
くつがえす晴天になった嬉しさにすっかりルンルン気分になった。
 九十九折の山峡を眼下に車は走った。初秋の紅の山はまだ固く緑の山脈に萩の

葉裏が軟かい。

地元の人が往古より愛して来たであろう南総の深山幽谷のこの地、杉山に囲まれ

たこの地、杉山に囲まれた部落が点在し、関東の雄峰として崇められてきた山で

ある。
 季節により山の色は異なるが、はれ日の清澄山は太陽の反射線を浴び山全体が

きらきらと緑に輝く。人畜は朝に晩にこの清澄山を仰ぎ大気の中に育まれてきた

ことであろう。
 参道まで来ると人影はなく土産店は閑散である。
 山頂には雨あがりの紫陽花が色濃く、鮮烈さに心惹かれた。
「小母さん、ここの紫陽花はいく色ですこと」土産店の小母さん曰く「酸性土の

ためでしょうか、いつまでも咲いてくれて一日に七色も変化するのですよ」ちょ

っとオーバーかなと思いつつ紫陽花は清澄山にふさわしい花の感じがした。私は

紫陽花が好きなので讃めつつ山門をくぐる。。

 清澄山は千二百年の歴史を持つ古刹であり、日蓮ゆかりの千光山清澄寺と称し、
昭和四十六年日蓮大聖人御生誕七百五十年慶讃記念報恩事業として大祖師堂が建

設、徳川お万の方のご寄進の日蓮聖人ご尊像が安置されている。日蓮正宗の開祖

としてこの寺で御勉学御修行されたと承まわる。
 境内には五六人の手を要するほどの杉の巨木がもの憂い梅雨空に伸びている。
この木は国の指定の天然記念物。太い幹に清澄山に近づいた日射しと、裏山の杉
が仏のように林立し、三万四千百坪境内に時鳥がキヨキヨと啼きながら渡る。御

手洗に供養銭が沈み、偉容を誇る大堂、客殿、霊宝殿、観音堂、その他諸々の寺

格を現わす建物が紫峰の間に点在している。
 古きゆかしき時代を彷彿とさせられ、暫く佇んだ。
 帰途に杉の山中に炭焼窯を発見。杉の丸太が井桁に組まれ、苔深い杉の木肌と
密林の中に、これまた藁屋根小屋が原始的な素朴さで迫った。
 人影すらないので炭焼の煙は見られず杉や樫の伐採の丸太がころがっており、

草いきれを踏んで山道に出た。これが私が願い続けてきた風景であった。
 夢によく見た杉の山道、とっぴりと暮れかかった人跡未踏の奥山に、夢と現実

との焦点が合っていたことに納得し、満ち足りたやすらぎを覚えた。
 試みに訪ねた民宿は湧かし湯ではなく、房総にも温泉があったとは思わぬ穴場

を探し出したものである。
 観光客も帰りには温泉に浸り肌を暖める。
 房総にも温泉がひそかに息づいたなどお釈迦さまでもご存知云々と。
 葦簾を建てかけた硫黄の露天風呂から笑い声が聞こえて来た。身を寄せてくつ

ろいだ民宿。やっとかなかなを聞くことができた。
 食卓は磨かれた杉の大臼の切株であった。のどを潤すお茶に、初蝉を聞きなが

らひとり食卓の切株に見入っていた。
 今まで諸々の杉を見た。木曽の杉、永平寺の杉、平泉の杉、日光街道の杉、鎌

倉の杉、神社仏閣には必ずある杉、鉾杉は自在に、雪の日も晴天の日も自然の調

和美として高い寺格を誇り、守り続ける風土の壮観なのかも知れない。