お母さんの死 | 赤野コーチの「禅 メンタルトレーニング」 本当の自分の力を発揮する心のキーワード

赤野コーチの「禅 メンタルトレーニング」 本当の自分の力を発揮する心のキーワード

私に出会うと心が許される気持ちがする。 本当に嬉しい言葉をいただきます。
一つの出会いが人生を大きく変える、 そんなコーチでありたいと日々奮闘中!!
これまでの出会いから学んだ 本当の自分の力を発揮するためのキーワードを お伝えしていきます。


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妻の母親が亡くなりました。

 

心筋梗塞で本当に突然のことでした。

先週、妻が会ったときにはすごく元気だったのに。

親子丼を作ってくれて、笑いながらいっしょに食べたそうです。

 

いつもの優しいお母さんの顔。

本当に眠っているようにしか見えませんでした。

でも、もう何か語りかけてくれることはありません。

 

葬儀の準備のため立ち寄ったお家の台所には晩ご飯のおかず、炊飯器には炊きたてのご飯。台所に立つとそこだけ時間が止まっているように感じました。

 

妻は何かの拍子でお母さんのことを思い出すのでしょう。

そのたびに涙が溢れています。

心の中にはいるのに、現実にはいなくなったとまどい、寂しさ。

見ていると、私も涙が出てきそうです。

 

妻の実家が曹洞宗だったのですが、葬儀では修證義を読みました。

修證義は曹洞宗のお経の一つで、在家の我々に生死を分かりやすく解いてくれています。

 

第一章 生を明らめ死を明らむるは佛家の中一大事の因縁なり、生死の中に佛あれば生死なし、但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし、この時初めて生死を離るる分もあり、唯一大事因縁と究儘すべし。

 

少し難しいので、現代語訳するとこんな感じになります。

 

生きるとは何なのか、死ぬとは何なのか。

気付けば大地の上に立っていたこの自分という存在の「生き死に」を明らかにすることが、真実の道を歩もうとする者にとって何よりも重要な問題である。

 

自分の思いと関係なく生まれ、死ぬこの人生は、思いどおりにならない苦しみで満ちている。

しかしその苦の真実、生きること死ぬことの真実を悟ることができれば、人はこの世を安らかに生きることができる。

だから、人生を嫌わず、この人生のほかに安らかな世界が存在するとも考えず、今生きているこの人生のなかで、幸せをその手で摑んでほしい。「幸せとは何か」を知ることこそが、人生において究め尽くさなければならないもっとも重要な事柄なのである。

 

 

焼かれて、骨だけになってしまったお母さんの姿をみて、

ある老師の言葉を思い出しました。

 

水を砂浜にまくと、水はどうなるでしょうか?

 

水は吸い込まれて、見えなくなります。

見えなくなりますが、水はどこかにあります。

 

私たちの命、生や死も目に見えません。

生や死は、私たちが意識で作り出した概念なのかもしれませんし、死は、水が砂浜に溶け込むようなものかもしれません。

 

ちなみに以前は、私自身にこのような問いをよくしていました。

 

何のために生きている?

何のために仕事をしている?

何のために生まれてきたのか?

 

でも、最近は少し問い方が変わってきました。

 

何が自分を生かしてくれている?

私がお役に立てることは?

今この瞬間できることは?

 

簡単には答えが出ない問いです。

問い続けても意味がないかもしれません。

でも、問わない人生よりは、私は問い続ける人生が好きです。

 

お母さんがいたからこそ、妻と出会うことが出来ました。

大事な娘さんと残されたお父さんを守りますと

最後に約束しました。

 

安心して、旅だってくださいね。

 

 

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