シンクロニシティ~意味のある偶然の一致~ 「まるっとゆるす」 わたなべこうの自遊人ブログ

ココロと身体がゆるゆるになるブログです。ココロのセラピストをしながら沖縄で自遊にシンプルライフを愉しんでいます\(^o^)/



ジュリアの音信5からの続きです。



「ジュリアの音信―不朽の霊信」 (スピリチュアル新書)ウィリアム・トマス・ステッド著の続きを、皆さんとシェアーしたいと思います。





掲載に際して一部の文章を割愛しております。




ジュリアの音信 27


ジュリアのお話(13)


1908年10月12日



私、昨日言いおとした性の問題に後戻りしてお話したいと思います。



でも、もっと深い意味で、罪人の状態のお話から致しましょう。



罪人はそちらに居た時と同じで、当界に来ましでも反抗をします。



何でもかでも見ようとも聞こうともしませんで、ただただ、愛など少しもない相手と同棲する快楽にうつつをぬかすのです。



死者は何もかもそちらに残して当界に入るのですが、でも持って来るものがあるのですよ。



倣慢な霊は、財産の一切を失ったからといって、決して謙そんにはなりません。



嫉妬心なんかも死んでも消えません。



それは、親切心だとか同情心だとか愛と同じことで、存続するのです。



罪を背負って来た者達は、現世の時より、こちらに来てからがその受ける苦痛は大きいんです。



現世と当界との違いは、現世での物質を失う、ただこの点ですわね。



ですから、こちらに来た時は、地上に生まれた時と同じこと、裸体なんです。



ただ両界の違いと申しますと、そちらへ生まれた時は記憶の一切を失いますけど、当界へ来た時は記憶が一層増すんです。



もちろん、私達だって物忘れってこともあります。



ですけど逆に思い出すことがとても多いのです。



そちらで覚えていた事で忘れるものもありはします。



人名とか住所とか、もう当界では無用の所持品名、物品名、とにかくこちらでは使わないから記憶から消えるのです。



ですけど、当界に来てからものをいうことになる事柄は、はっきり覚えていて、まるで奇跡と思える程に覚えているのです。



でも時がたちますと、時にはすぐって事もありますが、いろいろ新しい学習などで謙そんの心を起こして、



現世で身に付いていた罪から離れていくようにはなります。



天界ではお互いに心の中が見透しです。



ですけど、万人にその力があるのではありません。



現世では「神様が見ていらっしゃる」なんて、ふと思うことありますね。



でも当界ではそれが日常の感覚なんです。



その上にまた、霊の多くには人の心までが見通せるのです。



こちらでは誰しも、相手の真人格を見る感覚が備わってますけど、その看破力には人により差があるのです。



私達は幸いにして、愛の乏しい人達から見透されることはありません。



愛の深い人達はまるで印刷物を見るように、はっきり人の心を読むことが出来ます。



当界では仮面を被るってことが出来ません。



自分の思想とか気持ちを隠すことも出来ません。



同じ程度の愛の持主の間では、心と心が見透しなのです。



そうして、こういうことが進歩の原因になるのですね。



第一が、物質を失うから裸体になることですね。



第二が、自分の人格を隠す仮面とか手段が消え失せて、それで裸になること、これが当界での裸体の真相です。



こちらの実情は右のとおりで、丁度脱落前のエデンの園ですね。



このことは暗い世界に入っている人達も同じことで、ただ彼らは光がないから、はっきり自分の裸体の姿が見えないのです。



いわば私達はアダムとイブのように裸でして、自分の姿を見ることは恥ずかしいのです。



もし神が婚礼の衣装のようなもので身を被うことをお認めにならなければ、神の前からも同輩の前からも逃げ出しましょう。



「岩よ落ちて私を隠せ」とそう言いますでしょう。



私達にはもともと何を為すべきか、人間の理想のようなものが備わっています。



ですから、自分の現実と見較べる時、神の前に立っておのずから刑の宣告を受けているようで、その処刑に服さざるを得ません。



ですけどその服罪、それがすなわち愛に入る門戸です。




ジュリアの音信 28


ジュリアのお話(14)


1908年10月13日



今日お話することは、今までお伝えしたことのないお話です。
それは輪廻の問題です。



先頃、生まれ変わりは本当のことだけど、一般的な法則ではないと申しました。



私は一度地上に生まれましたが、それ以前に肉体に宿った記憶はありません。



当界でも多くの人達がそのように言っています。



もう一度私が地上に再生するかどうか、私は知りません。



ですけど、貴方には到底理解できない真理がございます。



それは人は部分的に肉体に宿るということです。



宗教を人が信じるのは常識です、そのように再生を常識だと言うのは正しいことです。



ともあれ、貴方が尊重なさる自我について考えて下さい。



その幾分かがウィリアム・ティ・ステッド氏に宿っているとしましょうか、そうです沢山ではありません。



そのごく僅かな部分が教育と修養のために、物質の中に浸されているにすぎません。



今ここに金属製の車輪があるとします。



その車輪には沢山の輻(や、スポーク)がついています。



その輻(や、スポーク)を取りはずして熱火に投じ、鍛錬して加工して、このような輻をパーツとして車輪は完成されます。



輪廻の観念もほぼこれに似ています。



自我はこの後、再び、いいえ過去未来ともに、その全部がそっくり物質に浸ることはないでしょう。



自我は永久にこちらにありまして、その生命力と元質を保有しています。



つまり車輪のハブ(車輪の中心部)はこちらにあって、そのスポークは肉体に宿っている、そういうことです。



貴方のいろいろな疑問にすべてお答えするのは難しいことです。



一つだけ次のようにお答えしておきましょう。



現在の私の知るかぎりでは、私のスポークは一つも地上の肉体には宿っていないと思います。



当界でも何もかも知ることは限りがありまして、知識は相対的で狭いものです。



特に存在の秘密に関してはそうなのです。



それを知っていけばいくほど、ますますその知識の狭さを感じます。



慈悲深い神は私達を完全にしようとして、常にみ心を尽くしておいでです。



私共は一輻(や、スポーク)ごとにその形を整えられていきます。



そうして遂には完全な車輸に仕上げられるのです。



その間に、場合によっては一本毎のスポークに記憶が与えられることがあります。



またある場合には、一本のスポークが度を重ねて肉体に宿らされることもあります。



車のハブである自我が、天国にありながらそのスポークは地獄にあるということもあり得ます。



ある時はスポークが一時、ハブに連結されることもあり、ある時は一個以上のスポークが肉体に宿ることもありましょう。



存在の問題は実はお互が想像するよりも、ずっと無限に複雑に入り交じったものなのです。



ですけどこれだけは確かです。



人格とは結局、ただ一個であって不可分ということです。



完全な進化を遂げている間には、人格はいろいろな形をとっていろいろな進み方をし、



その間にあって一本一本のスポークはそれぞれに人格をもちます。



これらの人格が種々な経験をへ、いろいろな記憶を保ちながら、遂には一つの大人格に融合してその一部となります。



そうです、貴方はお分かりになったようですね。



さて貴方のことですが、いま貴方の身体に宿っている貴方のスポークは、以前に数度肉体に宿ったことがあります。



そのほかにも数個のスポークが貴方にあります。




ジュリアの音信 29



ジュリアのお話(15)



1908年10月11日受信




今日は当界での男女関係についてお話します。



バイブルには、他界では人は、



「めとらず嫁がず、天に在る御使たちのようである」



と書いてあること、よくご存知でしょう。



本当にそのとおりなのです。



なぜかって、天使の性と人間の性とでは違っていますから。



私達はもう天界にいますから、地上にいる貴方たちには必要ないろいろな制約に拘束されることがないのです。



当界で私達は、性の問題を地上でのとらわれなどから離れて、考えることが出来ます。



私達は天使のようなものです。



地上の貴方たちには当然の制約に関係なしに、私達は自由に交際し、性のための制限というものがありません。



そうね、ウィリアムさん、地上の性の観念は生殖の必要から、生理的な肉体機関にとらわれてしまいますわね。



すから、そういったところから多少悪くなっていますわ。



もう生殖の目的は終わっていますから――私達こちらでは子供を産みません――生殖器の性感に狂奔する必要がないのです。



ですから、私達は心に愛があれば、その愛のままにお互いに接します。



そのために特別な器官の作用は必要がありません。



そんな器官はもう時代はずれの付着物になってしまってます。



でも貴方の場合はその器官は二重の用があります。



一つは、人類を残すためです。



これは肉体的な見地から見たものです。



このため母性愛が生じてこの母性愛から世界の宗教や道徳も芽生えてきます。



第二に、心霊的に見ますと、生理器官は一時の悦楽という、ごくせまい目的のためのようですが、



実はそれによって、すべての真理の中の大切な幸福、つまり人間が一人では達成できない「無限」に対する悦楽、



それを予め暗示しようというものです。



それは克己の交換です。



すべてを与えてすべてを所持すること。



すなわち造物主と被造物との接合、すべてを捧げてそれによってすべてを発見する、



宇宙万有の中にある法則を象徴するものです。



昔、旧約聖書にはいろいろ法律や戒律がありました。



でもそれが手がかりとなりつつ、キリストを迎え信じる手順になりました。



そのように、地上の学校にはいろいろな法則や制限がございます。



でもそのことから、人々はすべての者を抱擁し、自分を犠牲にして、すべてを所有する、そのような無限の合同へと入っていったのです。



私達は娶(めと)らず嫁ぎません。



それは天使のようなものです。



私達は自分の霊と波長の合った他の霊、または沢山の霊と、波動が調和している限り、自由無制限に全身全霊をあげて交わります。



その喜びといったら、地上の肉体愛の比ではございません。



それは何と申しますか、人体の全面積と生殖器官の面積の差とでも言っておきましょうか。



当界では恋愛に制約はありません。



当界へ来た人で、地上の配偶者の外に誰も協調し合える相手がいなければ、地上同様に一夫一婦の生活をしてもよいのです。



ですけど、二人きりしか愛さないという生き方は、最高の道義とはならないのです。



もちろん性の区別は続きますとも。



でも、地上では性は一時の目的の器官だったのですが、当界ではもっと深い意味をもっているものです。




終わりです。


如何だったでしょうか?


100年ほど前の霊界通信のお話ですが、いまのスピリチュアルなお話と、ほぼ変わらないですね。


私たちは、死んだら終わりではなく、魂は永遠なのです。


光の世界に帰ったら、亡くなった愛する人たちとも、再会できま~す。


愉しみですね♡


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