ロシア・ピアニズムの系譜を紡いできた9人のピアニストの演奏(計14曲)を収録したサンプラーCD。DENONレーベルはソフロニツキーをはじめとして、ロシアのピアニストの名盤をシリーズ化してリリースしてきた。どの演奏も歴史や伝統の重みとともにリスナーの胸に迫る重厚で心に残るピアノであり、それらの一端をここで味わうことができる。

 

 

 

 

 

 

「ロシア・ピアニズム名盤選」と題するシリーズは2003年以降3回にわたりリリース、計55タイトルに及ぶ。アナトリー・ヴェデルニコフ、ゲンリヒ・ネイガウス、ウラジーミル・ソフロニツキー、マリヤ・グリンベルク、スタニスラフ・ネイガウス、オレグ・ボシュニアコーヴィチという顔ぶれ。今では製造中止になっているので、その価値は高まる。僕はソフロニツキーのアルバムを何枚か入手したことがあった(行きつけの図書館でも借りたことがある)。スクリャービンを中心にしたリサイタル盤だったが、当時は難しすぎて取っつきにくかった。演奏がどれも「神がかっている」という評判で、もはや伝説的な存在。アファナシエフも一目置くほどのピアニストである。当サンプラーにも勿論含まれている(しかも冒頭に。それもシューマン&スクリャービン!)。他にはスタニスラフ・ブーニンの祖父であるゲンリヒ・ネイガウス、アナトリー・ヴェデルニコフの演奏が収録、それに加えアファナシエフやトロップ、メジューエワなど流派を継承している現代のピアニストの音源も含められている。

 

 

 

有森博ピアノリサイタル ロシアピアニズムの系譜Vol.2「ロシア五人組」 ESPA.342 | エスパスセンター | Espace Center

*画像はネットより拝借―。

 

 

 

今から15年ほど前になるだろうか―イギリス音楽をこよなく愛するクラシックの知人を訪ねて札幌市をおとずれた際、あのカール・ライスターも来店したという老舗のレコード店を紹介してもらったことがある。そこの、多少クセのある店主(それもまた味わい深い)はロシア・ピアニズムに拘り、それ以外は認めないほどであった。青森から訪ねてきた僕のためにLPを聞かせるというので、ピアニストはお任せにして「シューベルト/即興曲D899-2」をリクエストした。誰の演奏かは覚えていないが、そのピアノの響きは残響のように僕の心に余韻を残してくれた。今でもうっすらと思い出すことができる―左手の個性的な表情と全体を貫く重厚なルバート。音質も素晴らしく、生々しさすら感じられたほどであった。当時も僕はポゴレリチやアファナシエフが好きだったので、このことを店主に告げると、(当然のように)頷いていたのも、今書きながら思い出したのであった。

 

ピアノを弾く人たちにとって「ロシア・ピアニズム」=「ロシア奏法(重力奏法)」の存在は、憧れであるとともに悩ましくもあるかもしれない。このブログのために少しだけ調査したが、「ピアニストが行き着く究極の奏法」と位置付ける見解もあれば、存在自体を疑うものもあり(日本だけの呼び名であるらしい)賛否両論である。但し、1つだけ確実なのは、そのピアニズムが聴かれるピアニストたちの中に、僕が好んで聴くグレゴリー・ソコロフやイーヴォ・ポゴレリチの名前があったことだ(他にもホロヴィッツやアルゲリッチなどが挙げられている)。彼らのピアノ演奏から聞かれる豊かな音色には豊かな倍音を生み出す奏法が関係していることだろうし、その重厚さは誰彼からも聞かれるものではない独特な音楽なのである。当サンプラー盤で聴かれるピアニストたちがこの奏法を継承しているのはほぼ間違いないだろうが、奏法についてはピアニストであれば誰であっても、究極的にはピアニストそれぞれが自分で見出してゆかなくてはならない類の命題であり、ピアノ(音楽)と向かい合う度に生じる永遠の課題といえるものなのかもしれない。

 

ソコロフの圧倒されるシューベルト。札幌と店主への思い出に―。

 

ポゴレリチによるシューマン。2023年4月のライヴより。


 

 

 

 

 

 

 

アルバム最初は(前述通り)ウラジーミル・ソフロニツキー(1901-61)である。ライナーノーツに記載されている「系譜」によれば、彼はネイガウス流派に属さない存在ながら、マリア・ユージナやショスタコーヴィチと門下をともにする伝説的なピアニスト。異様なまでの求心力ある演奏で、聴いた途端引き込まれてしまう―かつてこの芸術的に昇華されたピアノを受け止められなかった自分を恥じる思いである―。彼の言葉通り、リスナーは凝縮された灼熱のピアニズムに身も心も焦がされてしまうのである。

 

真の偉大なる演奏芸術、それは、溶岩が真っ赤にたぎっていて、その表面が7つの鎧で固められているようなものだ。

 

ここでは1959年の「オール・シューマン・リサイタル」から「交響的練習曲Op.13」~冒頭テーマと幾らかの変奏の抜粋が6分弱ほど、さらに晩年の1960年のライヴから、アンコールで演奏されたと思われる「スクリャービン/練習曲 嬰ト短調Op.8-12」が収録されている。シューマンの方は、第1変奏のあと、すぐに遺作変奏(ブラームスが後に出版)が加わるスタイルを採る。コルトーの録音でも聞かれる配置だが、後年アファナシエフもこれに近い配置をしていたのが興味深い。スクリャービンのエチュードはホロヴィッツの壮絶な演奏が有名だが、ソフロニツキーの方は壮絶さに加えて行き場のない鬱積した感情をより強く感じる。オーディエンスの熱狂ぶりは著しく、曲が終わるのを待ちきれないかのよう。シューマンはこのまま全曲を聴きたい思いに強く駆られてしまった。

 

ここではその1959年の「オール・シューマン・リサイタル」の全曲を―。

最初の「アラベスク」から惹き込まれる―。

 

当盤音源のスクリャービンとホロヴィッツのライヴとの贅沢な聴き比べ。

やはり後者の音はキラキラしている―。

 

通常より抑制された別版による貴重な演奏。岡城千歳のピアノで―。

 

 

 

 

 2人目のピアニスト、ゲンリヒ・ネイガウス(1888-1964)は年代を見てもわかるように、ロシア・ピアニズムの祖のような雰囲気がある―現にこれ以降紹介するピアニストは全員、ネイガウス流派に属する―。リヒテルやギレリスの師であり、ブーニンの祖父という事実だけでも「凄さ」が伺える、というもの。息子スタニスラフ・ネイガウスとの区別が付かないほど無知だった僕が、こうしてロシア・ピアニズムについて語っているのは滑稽極まりないが、父ゲンリヒの音色はより強度のある堅固なイメージを抱く。この強靭さがリヒテルやギレリスに継承された気がする。ここでは「ショパン/即興曲第3番変ト長調Op.51」と「ブラームス/カプリッチョ嬰ヘ短調Op.76-1」が選ばれているが、後者の方がより即興的なのが面白い。ショパンでの「変ト長調」という調性は珍しいが、この穏やかで仄かなロマン性が香る楽曲を聞くと、ある意味ショパンらしい選択のようにも思える。この演奏もたおやかさを感じ、中間部では一転、思索的な表情を浮かべるのである。

 

シューマン/交響的練習曲のレッスンの音源より―。

 

当盤音源と思われるショパン。以下の孫ブーニンとの比較も面白い―。

 

 

 

ブラームス/8つのピアノ小品Op.76~第1番カプリッチョ嬰ヘ短調。

刷り込みが深すぎて、未だにこのポゴレリチ盤から逃れられない。

 

フォロワー様のブログでも紹介されていたスタニスラフ・ネイガウス

によるショパン。つい聞き惚れてしまうほどの味わい深い響き。

これも豊かな倍音を引き出す奏法ゆえなのか―。

 

ゲンリヒの門下であったラドゥ・ルプー。息子スタニスラフとも

親しい仲であったという。唯一無二の音色が素晴らしい。

 

 

 

 

 3人目はアナトリー・ヴェデルニコフ(1920-93)。彼もネイガウスから直接学んだピアニストである。「悲劇の巨匠」というキャッチコピーが嘘ではない境遇に置かれていたからか、紡ぎ出される音楽の真摯さが評論家たちから高く評価され、今は無きレコード芸術では何度も特選に選ばれていた記憶がある。僕はこの度が初聞きであるが、収録されているベートーヴェン/ ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」~第3楽章からも説得力に富んだ音楽が聞こえてくる。

 

1974年録音の「テンペスト」全曲を―。流派は違うが、バックハウスに

通じる手堅さを感じる。

 

ヴェデルニコフのドキュメンタリー番組。来日もしてたらしい。

番組では何故か亀山郁夫氏も出演している。

 

 

 

 

続くピアニストはヴァレリー・アファナシエフ(1947-)である。彼はネイガウスの弟子であるヤコブ・ザークに師事しているが、より注目できるのはもうひとりの師エミール・ギレリスであろう。アファナシエフは往年の敬愛すべきピアニストたちへのオマージュとしてアルバム「オマージュ&エクスタシー」を制作しているが、当然そこにはギレリスも含まれており、ソニークラシカルに移籍した後の2016年に録音されたモーツァルトやベートーヴェンのソナタ・アルバムは、ギレリス生誕100年記念として捧げられているのである。限りなく透明で美しい音色はあの翼をはばたかせるような独特のタッチから生まれるのだろう。ピアニストのみならず詩人で作家、思想家でもあるアファナシエフは見事「アファナシエフ」を完璧に演じ切っているようだ。

 

アファナシエフのファンといっていい僕はほぼ全てのアルバムを所有し愛聴してきたが、当盤に収録されているブラームスの後期ピアノ曲集は、アファナシエフの沼にハマるきっかけとなった―「私はこの1枚のディスクのために、ブラームスの交響曲や協奏曲のさまざまなディスクの一切を惜しげもなく投げうつだろう」という評論があったくらいだ(浅田彰氏による)。その気持ちがわかるほどの演奏である―。全13曲から選ばれたのは変ホ短調の間奏曲Op.118-6(ジャケット表記ではホ短調と誤記)。おそらくはブラームスが作曲した全てのピアノ曲の中で最も厭世的な音楽であろう―アファナシエフのピアノは(ライナーノーツの形而上学的な文章がなくとも)メランコリーの極致といえる時間を現出させている。演奏が終わると、ここが現世であることが確認できて安堵を覚えるほどである。

 

アファナシエフによるショパンのマズルカ。沈黙と語り合っているかのよう。

今年の晩秋に来日してショパンも弾くようである―。

 

 

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*まだ間に合うかな…。

 

 

「ソフロニツキーの思い出に」捧げられたのはスクリャービンの前奏曲。

コーダの余韻には、弔いの鐘のような響きがある―。

 

「ギレリスの思い出」にはグリーグ/抒情小曲集から―。

 

ブラームス/6つのピアノ小品Op.118。ここでは全曲を―。

 

 

 

 

5人目のピアニストはウラジミール・トロップ(1939-)。50代後半からCDデビュー(先日亡くなったアナトール・ウゴルスキを思い出す)という彼は、この後紹介するリツキ―やメジューエワの師でもある。派手さがない落ち着いた含蓄に富むピアニズム―トロップの演奏と向き合うのは今回初めてだが、ここで聴かれるスクリャービンやラフマニノフが、技巧を超えて美しく響くことに驚く。タッチの透明感と美しさに今回気づかされた。「本物」という言葉は「天才」と同じくらい扱いが難しいが、トロップの演奏にはその言葉を使いたくなる「何か」があることは間違いない。

 

スクリャービン/24の前奏曲Op.11より。豊かな響き。こうやって

聞くとショパンの影響を感じても、僕にはより魅力的に聴こえる―。

 

録音当時珍しいメトネルの即興曲の一部を。メトネル再評価の動きは

弟子たちに引き継がれている。

 

ラフマニノフ/前奏曲嬰ハ短調Op.3-2。有名なこの前奏曲が何と美しく

響くことか!力みかえる演奏が多いなか、大変貴重で素晴らしい―。

 

チャイコフスキー/四季Op.37b~10月「秋の歌」。トロップの再録音盤より。

 

 

 

 

ブログの流れから6人目は後回しにして、トロップの弟子である2人を先に紹介―その1人目がミハイル・リツキ―(1968-)である。実はリツキ―のアルバムはラヴェルの「左手」を含むCDを苦労して入手した思い出がある(以前ブログにも書いた)。それまでは名前だけ知っていた程度であったが、ソコロフを思わせる巨漢から溢れる豊かな音楽に魅せられたのだった―大きな躯体が如何にピアノ演奏に有利かがよくわかる。コンクールのために増量した反田氏の判断は正しかったといえよう。食欲の秋に相応しい内容だ―。

 

 

 

当サンプラーに収録されたリスト/忘れられたワルツ第3番&メフィスト・ポルカは彼のデビュー・アルバム「メフィスト」(1995)からのもの。有り余る技巧と力を音楽のみに奉仕させている様を感じ取ることができる。とはいえ、そこはフランツ・リスト。華やかな音世界が拡がり、リツキ―の演奏も決してストイックなものではない。むしろ全身で音を浴びるような快感すら覚えるのである。ちなみに彼もメトネルの作品を積極的に取り上げ演奏&録音している。

 

ここではチャーミングな「忘れられたワルツ第3番」に加え、大名演の

メフィスト・ワルツ第1番を―。16分以上かけて濃密に弾き込んでいる。

 

 

2021年3月のコンサートライヴ。モーツァルト/ピアノ協奏曲第13番を

気持ちよさそうに弾いている―。

 

 

 

 

京都在住のイリーナ・メジューエワ(1975-)もトロップ門下のひとり。妖精のようなチャーミングな容姿とは裏腹の、しっかりと構築された音楽。日本でのファンも多いようだ。当DENONレーベルのほか、若林工房(近々販売を終了するようである。アファナシエフやリツキー、リフシッツも参加していたレーベルなので残念だ)など複数のレーベルから数多くのアルバムをリリースしている。今年のラフマニノフ・イヤーに向けて、ラフマニノフ自身が使用していた(修復した)スタインウェイを弾いたコンサートが話題にもなった。

 

 

でも「メジューエワといえばメトネル」というイメージが定着してしまっているほど、彼女はメトネルとその作品の普及に貢献した第一人者である(おそらく師トロップの影響が大きかろう)。ここで選ばれているのもメトネルの作品―「6つのおとぎ話」Op.51~第2番イ短調&第3番イ長調―だが、これがデビュー・アルバムというのだから、彼女のライフワークに位置付けられる作曲家なのだろう。ラフマニノフやスクリャービンと同時期の人らしい、哀愁と独特の和声感が感じられる作風だが、収録曲はもっと素朴な美しさがあり、魅せられる。

 

1995年録音のデビュー・アルバムより。メンデルスゾーン&メトネルを―。

 

2016年12月の新潟リサイタルのライヴ録音より、ショパンのワルツを―。

 

BIJIN CLASSICALから2022年にリリースされたブラームス・アルバムより。

 

 

 

 

 ここでアルバム6番目のピアニストに戻る―紹介されている9人の中で唯一僕が知らなかったのがイーゴリ・ニコノーヴィチ(1935-2012)である。実際ロシア国外ではほとんど知られていなかったらしい。何とソフロニツキーとネイガウス双方に師事した(できた)恵まれた人で、ソフロニツキーの娘婿でもあったらしい。それもあってか、彼はソフロニツキーの貴重な録音を監修し、全集をプロデュースする企画をメロディア、DENON各レーベルで2度も取り組んだそうである。伯父と同様スクリャービンを得意としたようだが、ここでは日本国内初リリースとなった「リスト/詩的で宗教的な調べ 」~第9曲「アンダンテ・ラクリモーソ」が収録されている(1993年録音)。

 

当盤収録曲だが、ニコノーヴィチの音源が見つからないのでリヒテル盤を。

 

亡くなる前年2011年のライヴ。貫禄のあるスクリャービンのソナタ第5番。

多くの花束とキスとリスペクトを受けてからのアンコールのスクリャービン。

端正に弾く姿からは想像できない、熱を孕んだ演奏―。

 

 

 

 

 最後に紹介するピアニストはコンスタンチン・リフシッツ(1976-)。ネイガウス流派に属するタチアーナ・ゼリクマンに師事、CDデビューが13歳というから驚きだ。15歳でダンテ「神曲」を原語で読んだ、という逸話が有名らしい(僕は初めて知った)。その後、レオン・フィッシャーやアルフレッド・ブレンデルなどに師事し研鑽を積んだ逸材である。これまで複数のレーベルに録音された数多くのディスクを俯瞰すると、バッハへの深い傾倒を感じる―デビュー盤にも含まれていたし、後年「音楽の捧げ物」をピアノ・ソロで演奏した珍しい録音もある―。当盤に収録された「ゴルトベルク変奏曲」は若干17歳でレコーディングされ、グラミー賞にノミネートされたというのだから、世界が注目した才能であることは否定できない(2015年に再録音盤がリリース)。ここではアリア・ダ・カーポを含む終盤の変奏が幾つか選ばれ、当サンプラー盤のコーダとして機能している。

 

デビュー・アルバムより、バッハ&メトネルを―。1989年録音盤。

 

翌年の1990年、モスクワでのデビュー・リサイタルより、シューマンを。

 

当盤音源のゴルトベルク変奏曲、ここでは第13変奏を。1994年録音。

 

Orfeoレーベル・デビュー盤の「音楽の捧げもの」。驚愕すべき録音―。

 

当盤と20年後のゴルトベルクの再録音盤との聴き比べ、アリア・ダ・カーポを。