ポルトガル出身のピアニスト、マリア・ジョアン・ピレシュ(「ピリス」「ピレス」とも)による現在唯一のバッハ・ソロ・アルバム。パルティータ第1番を筆頭にイギリス組曲第3番、フランス組曲第2番という、バッハ/鍵盤楽器による組曲の代表作が収録されている。1994~95年、ミュンヘンでの録音。DGが誇る4Dオーディオレコーディングによる優秀録音である。

 

 

 

 

 

 

日頃読ませていただいているピアノ・ブログの中で集中的に扱われていたこともあって、久しぶりに食指が動いたバッハの鍵盤楽組曲。当アルバムではパルティータ第1番がメインのような感じだが(ジャケットのプリントからして)、僕が注目したのは「フランス組曲第2番ハ短調」のほうだった―。

全6曲ある中で一番好きな第2番―しっとりとして優美なアルマンド、哀愁あふれるサラバンドは特に魅力的だった―。かつてはグールドやリヒテルなど多くの演奏に接してきたが、いつもきまってジーグのギクシャクした音楽に躓いていた(チェンバロで聞くとさほどではないのだが、モダン・ピアノでは特に酷かった)。でもピレシュだけは違っていた。バネが四方八方に飛んでゆくような感じではなく、絶妙な表情と柔らかなリズム感覚で、実にソフトに弾かれていたのだ。これには心底驚かされた。

アルバムの最後に置かれているのも素晴らしい配慮だと感じる―彼女の(想定外の大胆さに満ちた)バッハを締めくくるのにふさわしい演奏だからだ。


 

ピレシュといえば2018年に引退を表明していたが、情報によると完全引退ではなく、ワールドツアーといった大規模なコンサート活動からの引退のようだ。音楽、殊にピアノへの情熱が削がれるはずはなく、今後も音楽(教育)活動は続けられるようだ。実際、去年の2022年に実に4年ぶりの来日を果たし、1日のみのピアノ・リサイタルを聞かせてくれたのだった―。

 

 

 

彼女はそもそもメディアと国際的な音楽ビジネスに非常に批判的で「キャリアを作ることは音楽に反する」と考えているようだコンサートホールの喧騒よりもレコーディング・スタジオの親密な雰囲気の方が合っているらしい―その点についてはグールドと同意見のようである。

 

音楽は単なる人間の創造物ではありません。他に何かがあります。作曲家は自身の中に説明できない力と可能性を持っています。しかし作曲家もまた、どこかから、全世界から、宇宙からそれらを享受しています。私は単なるパフォーマーとして音楽を伝えるにすぎません

 

…まさに「音楽の伝道師」の純真さを見る思いがする―。

 

 

2度にわたるモーツァルト/ピアノ・ソナタ全曲録音や、ショパン/ノクターン全集(確かレコード・アカデミー賞を受賞したはず)、シューベルト・アルバム等のレコーディングが深く印象に残るピレシュ。僕が所有していたのはシューマン・アルバム。オーボエとの共演盤だった。デュオといえば、夫であるオーギュスタン・デュメイとの一連のヴァイオリン・ソナタの録音も高く評価されているが、僕が印象に残っているエピソードが、ブラームス/ヴァイオリン・ソナタ録音をピレシュが当初躊躇していたということだった。最終的にデュメイが説得してピレシュが渋々応じることになったのかどうか、録音に至った過程は定かではないが、そこに僕はピレシュの誠実さを感じた―彼女は自分の限界を一番よく知っているのである。それは限定されたレパートリーからも明らかで、「音楽」と「自分」に対して実に謙虚な姿勢を保ち続けているのである(こういう資質はルプーのようなピアニストとも共通している)。

 

ピレシュによるシューマン。美しい奏楽、身の丈に合った音楽。

 

ピレシュのモーツァルト。彼女との親和性を強く感じる―。

 

ピレシュのシューベルト&ドビュッシー。

 

TV番組「スーパーピアノレッスン」の総集編から―。

 

 

 

 

 

 

 

今回収録された3種のバッハ/クラヴィーア組曲。作曲年代順で観ると、フランス組曲(1715)、イギリス組曲(1716)、パルティータ(1726-31)となる―イギリス組曲の方が最も古い(1710)という説もあり―。この順番は(僕にとっては)示唆的だ―明らかに音楽的内容の拡大が観察されるからである。それぞれ6曲セットで舞曲からなるが、イギリス組曲では「前奏曲」が冒頭に置かれるようになり、パルティータに至っては「シンフォニア」「ファンタジア」など個性的な性格の楽章が登場する。それぞれの組曲には特色があり、フランス組曲は番号を追うごとに楽章数が増える(第6番では第8楽章まである―これらの作品に「楽章」という表現が相応しいかどうかは微妙だが、便宜上用いている)。イギリス組曲は短調の比率が高い(全6曲中4曲。ほかの組曲は3曲)。パルティータは初めて出版されたバッハ/鍵盤音楽で、集大成的存在である。

 

昔からこれらクラヴィーア組曲の決定的な録音といえば、グールド盤が挙げられるだろう(レコ芸が企画する名曲名盤シリーズでは必ず第1位になっていた。無理もないことだが僕はやや辟易していた。今はどうなんだろう?)。それに加えチェンバロやクラヴィコードによるピリオド演奏が増えてきたこともあり―あのアンドラーシュ・シフも遂にクラヴィコードでのバッハ録音に着手したそうだ―、バッハをモダン・ピアノで弾く際、時代考証が必須となった感がある。「当時存在していなかったピアノで如何にしてバッハを奏するか」はピアニストにとって大きな課題となっているはずだ―グールドのような例外的な存在からは励みを受けられそうにない―。でもポゴレリチやソコロフ、そして今回のピレシュの演奏は、モダン・ピアノでもバッハの豊饒な音楽に浴することが可能であることを示している(ハイレヴェルな次元であることに変わりはないが…)。

 

以前聞いてたブーニン盤のバッハ。パルティータ第1番、イギリス組曲第3番

などを収録。彼のピアノにはリヒテルのようなロマンティシズムを感じる。

 

ガヴリーロフによるバッハ/フランス組曲第4番。サクサク進む。

彼の場合バッハを自らのピアニズムで捻じ伏せてる感がある。

 

アルゲリッチによるバッハ/パルティータ第2番。こちらも擦り切れるほど

聞いた名盤。ポゴレリチと同様あまりポリフォニーに拘っていない感じ。

 

 

 

 

 

 

アルバム1曲目は「パルティータ第1番変ロ長調BWV.825」。バッハが「クラヴィーア練習曲第1巻」として初出版した組曲集の冒頭を飾る名作である。

スコアの標題にはこうある―。

 

クラヴィーア練習曲集。プレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、メヌエット、その他の典雅な楽曲を含む。愛好人士の心の憂いを晴らし、喜びをもたらさんことを願って、ザクセン=ヴァイセンフェルス公宮廷現任楽長ならびにライプツィヒ市音楽監督ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲。作品I。自家蔵版。1731年。

 

 

せっかくなので(僕自身のために)各舞曲の特徴に触れておきたい(ほとんどがフランス語である)―。

 

アルマンド」(ドイツ風舞曲の意)はお菓子のようなタイトルだが、パヴァーヌより若干速いテンポの舞曲とされ、続く「クーラント」とペアで扱われる。クーラントはフランス語で「走る」を意味し、実際の舞曲でも走って跳躍するステップを指すようだ。「サラバンド」は中央アメリカ、パナマに起源があるとされ、後にスペインで流行した舞曲(語源は不明)。イタリアを経て、フランスでは荘重な舞曲へと変化する。「メヌエット」は最も有名であろう―何となくドイツのイメージがあるが、実はフランス発祥の穏やかな舞曲だ(こちらも語源がはっきりしない)。「ジーグ」はアイルランド由来の民俗舞曲。古い英語で「古いダンス」を意味し、フランス語では「ジャンプする」を意味するようだ。

このように各舞曲の由来を少しでも知ると、奏者が何故このテンポを採用したのか、このようなリズムの取り方をするのかが見えてきて、大変興味深いものがある―。

 

ところで1つだけ気になることがある―パルティータ第1番において「クーラント」(フランス語)が「コレンテ」(イタリア語)とされていることだ(実は他のナンバーでもそうで、6曲中4曲は「コレンテ」と表記されている)。同じ舞曲を指すことに変わりはないのだが、他にもイタリア由来の名称が曲集全体に見られるため、ここにバッハの「イタリア趣味」を指摘する音楽学者も多く、他の組曲に倣ってパルティータを「イタリア組曲」と呼ぶことも可能だという指摘がある。

 

 

さてそのパルティータ第1番だが、僕は最晩年のリパッティによる、病を押してのラスト・リサイタル盤がひどく印象に残っている―冒頭の指慣らしまで録音されていて、切実なほどのライヴ感が凄まじい。そういえば、ピレシュによる「ショパン/ワルツ集」の曲順はリパッティのそれに倣ったものであった―。

構成は「プレリュード/アルマンド/コレンテ/サラバンド/メヌエット(3トラックに分かれている)/ジーグ」からなる。ピレシュの演奏には気品が漂い、一瞬たりとて優雅さを失うことがない。冒頭のプレリュードからしてそうで、絶妙なタイミングで装飾音が付され、柔らかなタッチで奏でられてゆくが、気付かないほど巧妙なクレッシェンドが全体を貫いており、意外なほど堂々と曲を閉じるのが印象的。一転してアルマンド以降は心地よいスピード感を楽しめるが、所々ハッとさせられるピアニッシモが表現の深さを増しているように感じられる。バロック音楽では必須のセオリーだが、反復後の音楽は以前と同じ弾き方をしない。そんな当然のことを改めて教えてくれる演奏でもある。サラバンドも必要以上に重くならないのがいい。それにしても録音が実に良い。ピレシュの資質を十分に生かし、最大限引き出すようなレコーディングは特筆に値する。続くメヌエットが3トラックに分かれているのは「第1メヌエット-第2メヌエット-ダ・カーポ」となっているからで、大抵のアルバムでは1トラック扱いである。コラール風に響き、やや短調に傾斜する瞬間がある第2メヌエットが僕の好みである。最後のジーグはニュアンスの絶妙さに聞き惚れてしまう。山脈から流れてくる清水を口にした時の爽快感に似ている。すぐに終わってしまうのが勿体ないくらいだ―。

 

チェンバロではこのスコット・ロス盤が気に入っている。何より音が美しい。

テンポ配分も独特だが絶妙である―。

 

当音源より。CDの方が音が良いのは当然だが、YouTube音源からも

その素晴らしさは伝わると思う。

 

ソコロフの演奏で「ジーグ」を。「ジャンプする」左手がとても面白い。

鍵盤の上で踊っているかのよう―。カメラワークも秀逸。

 

 

 

 

2曲目は「イギリス組曲第3番ト短調BWV.808」。6曲ある中で最もよく知られたナンバーである。自筆譜がほとんど失われ、コピー譜のみで知られる組曲だが、「(ある)イギリス人のために作曲」という書き込みがタイトルの由来とされる(バッハ自身の命名ではない)。イギリスで活躍していた作曲家シャルル・デュパール/「クラヴサンのための6つの組曲」(1701)の影響が確認されるため―第1番でモティーフが引用―、オマージュ的作品という見方もあるそうだ。

 

デュパール/クラヴサン組曲第3番ロ短調。ガヴォットがバッハ/

イギリス組曲第6番の同曲によく似ている。

 

ヨハン・クリューガー/讃美歌「イエス、わが喜び」(1650)。

バッハのモテットが最も有名だが、イギリス組曲全体にも

このモティーフが行き渡っているという。今回初めて知った。

 

 

第3番の構成は「プレリュード/アルマンド/クーラント/サラバンド(2種)/ ガヴォット (3トラック)/ジーグ」となる。冒頭にプレリュードが置かれているのが大きな特徴だが、この第3番ではサラバンドのあとに「同じ装飾のサラバンド-Les agrements de la meme Sarabande-」)が続く(第2番も同様)。奏者によって扱いが異なり、サラバンド本体に組み込むかたちで演奏されるのが一般的だが、ピレシュはまるっと1曲として扱っているのが興味深い。そのため演奏時間は9分半に及び、彼女は「受難曲」を演奏するかのような崇高さを持って、サラバンドと向き合っているように感じる。

 

今回のブログ執筆のためにピレシュ盤を繰り返し聞いているうちに気づいたことがあった―ピレシュはこのサラバンド演奏をアルバム全体の中心と据えていたのではないか、という閃きである。傑作中の傑作である「バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ」が全6曲からなり、BWV番号順に配置すると、あの「シャコンヌ」が作品全体の心臓部に位置する、という事実とリンクするのではないか―という(いつもの深読みの)僕の推測である。もちろん「装飾」と「変奏」を同じ土俵で論じることはできないのかもしれないが、ここに来て深遠な面持ちで奏されるサラバンドを聞いて、つい思い巡らしてしまったのであった。

 

ポゴレリチの演奏でサラバンドを。彼もピレシュと同様に扱っている。

リヒテルもそうだった―。

 

 

長年ポゴレリチ盤で親しんできた第3番だが、ピレシュ盤で聞くと、特に左手のパートに思わず耳が行き、音の綾を楽しむことができた(ポゴレリチのように楔を打ち込むような左手の弾き方はしていない)。アルマンドでは息をひそめるようなピアニッシモで弾き始め、そのニュアンスに改めて驚くと同時に魅せられてしまう。そして沈痛なサラバンド。ここでもピアニッシモを基調に、声高に叫ばず、苦しみを静かに受け止めるような音楽が続く―それでも装飾パートで僅かに感情が高ぶる。

 

彼は痛めつけられ、苦しんだ。だが、口を開かない。屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

 

 

続く「ガヴォット」はフランスの舞曲。名称は地名に由来するそうだ。ここでは「Gavotte I alternativement」と表記されているが、「alternativement」=「組み合わせた舞曲を交互に自由な回数を奏する」という意味合いがある。軽妙な味わいの音楽。そして「Gavotte II ou la Musette」になるが、ここで登場する「ミュゼット」はフランスの民俗音楽だが、その起源は「バグパイプ」という楽器であるようだ。そのことを意識してか、ピレシュはバグパイプのような響きを模倣して見せる―前打音がドローンのように引き延ばされるのだ―このような演奏は初めて聞いた。きわめて印象的な場面である。ダ・カーポでガヴォットⅠが戻ってくるので、このアルバムでは3トラックに分けられている。最後のジーグは決然とした表情で奏されるが、リピートで音量を落として再現するのは流石である。

 

当音源より―。今まで聞いた中で最高の演奏の1つ。

 

曽根麻矢子の演奏で「イギリス組曲第6番ニ短調BWV.811」~ガヴォット。

彼女はスコット・ロスの弟子である。

 

 

 

 

最後は「フランス組曲第2番ハ短調BWV813」―このアルバムの中で僕が一番楽しみにしていた曲である。ほかの楽曲と同様、タイトルはバッハ自身のものではない。伝記作家フォルケルにより「フランスの様式で書かれた」と記されているのが根拠の1つかもしれないが、実際はむしろイタリア様式が大半だったりする(もっとも、名前は記号でしかないので、作品が特定されれば、目的の1つは達成されたことになる)。

よく言われるのはパルティータやイギリス組曲に比べて平易である、ということ―僕は決してそうは思わないが―。その理由にホモフォニックな書法で歌謡性を重視したギャラント様式によるから、と説明されることがある。確かにポリフォニックな書法はほとんど使われていないようだが、その代わり、装飾音の扱いやリズムなどにセンスが求められると僕は感じている。よくドメニコ・スカルラッティのソナタが「リトマス試験紙のようにピアニストの全てを露わにしてしまう」といわれるが、同じことがフランス組曲の演奏にもいえるのではないだろうか―。

 

第2番は「アルマンド/クーラント/サラバンド/エール/メヌエット/ジーグ」で構成されるが、ここで初登場するのは「エール(Air)」。「アリア」(イタリア語)と同じといえば、すぐにわかるだろう。そもそもは「空気」を意味するラテン語が由来で、音楽の中では歌謡的な楽章を指して用いられる。ただ、この作品のエールは特に際立った美しい旋律が聞かれるわけではなく、むしろ舞踏性が強調されるので「G線上のアリア」のような歌謡性は期待できない。

 

ピレシュの演奏は、装飾音の扱いといい、テンポ配分といい、同曲の最高の名演といっていいくらい素晴らしい(記事冒頭で述べた通りだ)。彼女のセンスが遺憾なく発揮されたのが終曲「ジーグ」だと思う。本来であれば速いテンポが普通のジーグで、あえてゆっくりとしたテンポを採用し、リズムの綾を解きほぐす。そこに優雅な舞踏のイメージが明確に呼び起こされる―実に見事な解釈である。

 

当音源より―。実に素晴らしいセンス。

 

 

 

 

今回のバッハ・アルバム―ピレシュの素朴で純粋なイメージばかりだけでなく、様式を踏まえつつ自らが信じる解釈を大胆に盛り込む彼女の音楽的スタンスを知ることができ、とても充実したひとときであった。

 

 

 

ピアノは、音の世界を見つけるための大切な方法で、私はそこに強い情熱を感じました。そして音の世界は、人類、生命、宇宙などすべての要素と関連していると気づいたときから、世界のあらゆることが大切に感じられました。ピアノと音の世界を通して、私はいろいろなものごとを理解するようになったのです

                

                                            ― Maria João Alexandre Barbosa Pires

 

 

 

 

 

それにしても(記事冒頭で触れた)ピアノ・ブログの中の人が、どうして僕がこのピレシュ盤を選んだことを知っていたのか―それだけが今以て不思議である。