イェルク・デームスによる全集からの2枚目。この全集で聞かれる地味で渋い音質は1970年代の録音のせいもあるだろうが、おそらく弾いているピアノが「ベーゼンドルファー」である可能性が高いためでもあるように感じられる。シューマンに相応しい音ではないだろうか―。

 

 

 

 

 

【CD 2】
1. 謝肉祭 Op.9
2. アルバムの綴り(音楽帳)Op.124
3. ヒンメルの「われ送らんアレクシスに」によるカノン 変イ長調 WoO 4
4. アラベスク ハ長調 Op.18
 

 

 

1曲目は「謝肉祭 Op.9」。

「4つの音符による面白い情景」(Scènes mignonnes sur quatre notes )の副題がつく。

シューマン作品の中でも、華麗で良く知られているピアノ曲集だと思う。

昔TVのCM(ハウス「ザ・カリー」だったはず。懐かしい)で、この曲の終曲が使われていた記憶がある。確か中村紘子が出演してたはずだ―。

 

何とYouTubeに残っていた。嗚呼、何と偉大なるYouTube―。

 

 

この曲では「動機操作」が行われている。一時期シューマンと交際し、結婚の約束にまで至っていたエルネスティーネ・フォン・フリッケンの出身地「アッシュ」の音名象徴「ASCH」を音列化して随所に用いているようだ(これが副題の「4つの音符」だ)。

 

この「ASCH」は、シューマン自身の名「SCHumAnn」にも含まれる文字であり、「謝肉祭」のドイツ語読みである「fASCHing」にも見られる。そして「ASCH」は「灰の水曜日」(キリスト教における「聖なる日」。「レント」と呼ばれる)との関わりを感じさせる―。

「祭り」は古来、宗教的意味合いを帯びたものがほとんどであった。

実際「カーニバル」の語源は、俗ラテン語 「carnem」(肉を)「levare」(取り除く)に由来し、「断罪」の意味が込められているようだ―。

 

この「謝肉祭」の、一見楽しげでウキウキした雰囲気の中に密かに「喪」の意識が入り込んでいるとしたら、とてつもなく深い意味合いを感じずにはいられないのではなかろうか―。

 

 

 

冒頭、1曲目の「前口上」には原曲が存在する。

シューマンが1827年に発見したシューベルトのワルツに基づいて変奏曲を仕上げる予定だったが、結局完成には至らず、このテーマを「謝肉祭」に用いた経緯があるのだ。

 

残っていた原稿から再構築し完成させたヴァージョンでの世界初録音盤。

 

 

2曲目以降、「祭り」に付き物の「ピエロ」や「アルルカン」、「パンタロン」のような道化師が登場する。ユーモラスでお茶目な雰囲気の音楽が場を盛り立てる。ただ、「ジョーカー」ではない が、「変装」や「仮面」の裏では涙を流しているのかもしれない―。

 

5曲目と6曲目には「ダヴィッド同盟」の主要メンバー、自身の分身でもある「オイゼビウス」と「フロレスタン」が登場する―。前者は変ホ長調。夢見るようなムードに満たされる―。

後者はト短調。不思議にも「蝶々」Op.2の上昇音型が引用される。

因みに「パピヨン」のテーマは終曲にも現れる。

 

ウラディミール・アシュケナージの流麗な演奏で―。

 

 

8曲目の「返事」の後には、「スフィンクス」(Sphinxes )と呼ばれる箇所がある。

 

 

「音名象徴」によるこのフレーズは、作曲者によって「演奏するには当たらない」とされている。「フモレスケ」Op.20でもそうだが、時折このようにスコアに存在するだけで音化されないケースがあるようだ―。ただ、演奏者の判断で音化しているケースも少なからず存在する。

 

ガヴリーロフ盤。音を任意に追加しているようだ。一気に不気味さが増す。

 

 

10曲目は「A.S.C.H. - S.C.H.A. 躍る文字」と題され、「音名象徴」のフレーズがタイトルのように踊りまくる。ただし、タイトルにもかかわらず、使用されるパターンは「As-C-H」だけである。

 

11曲目は「キアリーナ」(Chiarina)ハ短調。イタリア語で「クララ」を指す。情熱的な曲だ。

ロベルトの目にはこのように映っていたのだろうか―。

 

12曲目は「ショパン」(Chopin)変イ長調。打って変わってノクターンのような優しい音楽。

 

13曲目は「エストレラ」(Estrella)ヘ短調。「エルネスティーネ」の肖像。熱情的で、短いながらも情念を感じる。

 

このように「女性」を表わす楽曲が短調で激しい音楽になっているのは、当時のシューマンの恋愛感情の発露だったのでは―と容易に感じることができる。

 

前曲9曲目の音が被ってしまっているのはご愛敬。

 

 

16曲目は「ワルツ・アルマンド」(ドイツ風ワルツ)。中間部に「間奏曲」(パガニーニ)を挟む。

このワルツはクララの作品「ロマンティックなワルツ」Op.4の冒頭部分の引用である。

 

クララ15歳の時の作品とされる。すでにロベルトへの恋心が芽生えていたようだ。

 

 

19曲目の「休息」(Pause) で第1曲が再現され、アタッカで20曲目に繋がる。

『フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進』と題されたこの終曲は、フィナーレに相応しい高揚感を身にまとっている。タイトルは旧約聖書に出てくる、「フィリシテ人」の巨人ゴリアテにたった1人で「石投げ器」を武器に立ち向かい、勝利する少年「ダヴィデ」の物語に由来している。

「フィリシテ人」は昔ながらの時代遅れで芸術的な理想を持つ人々を表し、彼らを撃退し、新しい音楽を擁護する自分たちのコンセプトとして「ダヴィッド同盟」が生み出されたのだった。

曲中では冒頭第1曲のテーマや「蝶々」Op.2のテーマが何度か顔を出す。

この「マーチ」はダヴィデの故事に基づき、勝利感のうちにコーダを迎える―。

 

「後の祭り」という言葉があるが、「祭りの後」には「レント」が待ち受けているのだった―。

 

ラヴェル編曲版。4曲が選ばれている。他にもグラズノフらが編曲を試みている。

 

 

 

そう言えば去年の夏、約6年ぶりに村上春樹が書いた短編小説「一人称単数」(2020)の中にも「謝肉祭」(Carnaval)というタイトルの小説が含まれていた。主人公曰く「無人島に持っていく1曲」だそうだ―。いずれこのブログでも取り上げたいと思う―。

 

 

 

 

 

 

2曲目は「アルバムの綴り(音楽帳)Op.124」。

作品番号が大きいが、それは出版した時期に関わることで、曲の素材は古くは「謝肉祭」が作曲された時期にまで遡ることができるようだ。全体は「謝肉祭」と同様、全20曲から成り、すべてにタイトルが付されている。

 

印象的なのはまず第2曲。「Leides Ahnung」(苦悩の予感)。イ短調。タイトルが意味深だ。1分半くらいの曲だが、急に深い話をされて戸惑う状況に似ている。

 

第8曲「Lied ohne Ende」(終わりのない歌)。ヘ長調。これはある意味いわくつきの曲だ。実は、「Leid ohne Ende」となっていたのを、クララが「Lied」と読み間違えて出版してしまった可能性が指摘されている。つまり本来は「終わりのない苦悩」であったのだ―。デームス盤でも「歌」となっている。曲はどこまでも優しい「歌」が流れる―確かに「苦悩」や「苦痛」を感じさせるものはないように見えるが、果たして真実はどうなのだろうか。

 

ホリガーと共演したデーネシュ・ヴァーリョンによる演奏で。表記は「Lied」。

 

エリック・ル・サージュ盤。ジャケットが美しい。表記は「Leid」だ。

 

 

第16曲「Schlummerlied」(子守歌)。変ホ長調。この曲集で第8曲と並んで演奏時間が長い。

安らぎに満ちた曲だ。それもそのはず、生まれて間もない長女マーリエへのクリスマスプレゼントとして作曲された作品なのだ。子供好きだったシューマンの優しさが伝わってくる。

 

シューマン夫妻と子供たちのポートレイト付き。デームスのピアノ演奏で。

 

 

 

 

3曲目は、ヒンメルの「われ送らんアレクシスに」によるカノン変イ長調WoO 4。

フリードリヒ・ハインリヒ・ヒンメル(1765-1814)が作曲したリート「われ送らんアレクシスに」

(An Alexis send ich dich)に基づく曲のようだ。このテーマはどうやら、ドイツではよく知られている通俗歌のようなものらしく、チェルニーも同じ主題による変奏曲を作曲している。

 

オリジナルの曲(と思われる)。クラリネットとピアノによるヴァージョンで。

 

シューマンの没後1859年に出版されたため、「作品番号なし」とされているが、作曲そのものは前2曲と同じ1830年初期のものであるようだ。

 

 

 

 

最後の4曲目は「アラベスク」 ハ長調 Op.18。

シューマンのピアノ曲でも親しまれている小品だが、意外なことに「アラビア風」という意味のこのタイトルを音楽で用いたのはシューマンが初めてとされている。

「アラベスク」とは、アラビアの建築や工芸などにみられる唐草模様の装飾のことを指す言葉で、音楽も装飾を思わせるフレーズが聞かれる。第2エピソードに相当するホ短調の部分は「思い悩む」風情が感じられる、とても魅力的な音楽だ―。

コーダの「夢見るような」音楽はシューマンの独壇場といえるだろう―。

 

「アラベスク」はバレエでの用語でもあるようだ―。

 

スタニスラフ・ブーニンのロマンティックな演奏で―。彼にはもっとシューマン

録音を果たしてもらいたいものだ。

 

誰もが知ってるブルグミュラー/「アラベスク」。中学の音楽室を思い出す。