2位の日に | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

ご覧いただきありがとうございます



わたしに出会うとあなたがひらく

開宝サポーター 日楽ようこ

です

 

 

 今日はお母さんの葬儀




棺の中に故人の大切にしていたものを入れる

と言うけれど



あれなんでも入れられる

というわけではない



火葬場により差はあるのだと思うけど

地球環境保全に配慮し

ダイオキシン発生防止のために

入れてはいけない種類がたくさん 

注意書きに書いてあった




葬儀屋さんに聞くと

「紙製のもので本のように分厚くなければ

 入れられます

 あと少しなら食べ物も」





お通夜の食事の後

旦那さんと長男、次男にお留守番を頼み

お父さんとわたしで買い物に出かけた





お母さんとの思い出をたどりつつ

スーパーの食料品売り場へ



このスーパーには

昔お母さんと一緒に来ていた




たしか小学生低学年頃

この売り場で

人生で初めて女装した男性を見たのだw



白いブラウスに水色のスカートを履いた

男性がお買い物をしてる姿をww



昭和60年代の田舎なので

かなりショッキングだった

その方めちゃ勇気が要っただろうに…



そんなことを思い出しつつ

売り場を周った



選んだのは

フルーツの定番リンゴ



半分に切って砂糖をかけて

食べるのが流行っていた頃に

よく食べていたグレープフルーツ




お母さんの好きな果物

桃と梨は

今の季節にはないので断念



あっデラウエアーもよく食べたなと

これを書いてて思い出したけど

たぶん売ってないよね…




一緒に食べた思い出のあるお菓子たち

ルマンド 1974年発売開始

パイの実 1979年発売開始

チョコパイ 1983年発売開始

コアラのマーチ 1984年発売開始

ほぼロッテ

 


買いすぎたかな

全部入れられるかな

スタッフさんが大丈夫だと言ってくれた

長男が並べてくれた




紙製のものは

お母さんのアルバムにあったポストカード

右下の紅葉のものは黒部峡谷
それ以外は北海道の湖 摩周湖など


北海道は高校の修学旅行で
汽車に乗って行ったのだと聞いたことがある
昭和38年ごろかな


京都の私立高校に通っていたからなのだろう
北海道ってわたしも行ったことないし!
そんなに昔に京都から北海道って
お嬢様だったのねぇ


写真を見ていると
東京にも寄っていたようだった


小学生では定番のお伊勢さん
中学生では東京のようで
高度成長期なのか豪華だなーと思った


そしてその時代の写真があることにも
驚いた 

 

おばあちゃんが写真を撮るのが好き
だったからちゃんと残してあったのかな


ちなみに
お父さん、お母さん、わたし
の写真はほぼない


貧しかったからというのと
お父さんは写真が嫌いだったので
我が家にカメラがなかった


わたしの子どもの頃の写真は
おばあちゃんの家に行った時と
学校行事のもの



我が家にカメラが来たのは
中学生くらいの時だったかな



それでも3人での写真は結婚式までなく
その後も3人のはなくて


去年5月
お母さんの病院転院時に
わたしの希望で撮ったのが最後となった





出棺準備の時
フルーツとお菓子を入れ
お花をお顔の周りを中心に敷き詰めた


お花畑で安らかに眠るお母さんが
とても可愛く喜んでいるように見えた


出棺前の最後のお別れ時間
冷たくなった額に触れた
頬はまだ柔らかさが残っていた

長男次男も触れてくれた


お父さんに
「キスしいや!!」
と言ってみたww




実はわたしは
お母さんが亡くなった数十分後
病院のベットで寝ている
お母さんの頬にキスをした

その時お母さんの頬は
すでにわたしの唇よりは冷たくなっていた





いくら最後のお別れだと言っても
お父さんが人前でお母さんに
キスするわけないのだが



お父さんはお母さんに声をかけた



わたしは聞こえなかったのだけど
長男が聞いていてあとで教えてくれた




お父さんは




「またな」




と言った


それを聞いた長男は
おじいちゃんっておばあちゃんのこと
やっぱり好きなんやなと思ったと言った

 

 



葬儀には同居の義両親にも参列して頂いた


お義母さんがお母さんに言葉をかけて

くれた








「ようこさんを大切にしますね」







なっ!!なにぃーーーーーーっびっくり

えーん

えーん

えーん




そっそれって

わたしが嫁いだ時に

お義母さんを大切にします

と決意する感じのやつやーーーん



その言葉が出てくるって

凄すぎるーーー!!

お義母さんすごっ凄すぎるーーー!!



えーわたし子どもたちのパートナーに

そんな風に思えるやろか

いやーわからん




その発想なかった

すごいお義母さん

尊敬の眼差しキラキラ




こんな嫁ですが

そしてもうすでにわたし

大切にしてもらってますラブラブ







みんなで蓋を閉め

男性陣で棺を担いで霊柩車に乗せ

お見送り




わたしたちも自家用車で後に続く



火葬場に到着

お別れのお焼香

お顔を見てお別れ




そして

お母さんは空へ







新しい火葬場で煙突も煙も見当たらず
不思議な感じだった




次男は13歳

火葬場には13歳から行ける



次男はお母さんが亡くなってから

毎日火葬場に行くかどうかを悩んでいた



普段怖いYouTubeを見てるのに

やっぱり本物を見るのは怖いのだ



それは自然なこと



「できれば来て欲しいけど

 無理にとは言わないよ

 家のおじいちゃんおばあちゃんと

 家に帰ったらいいからね

 それに離れたところから見ててもいいよ」



わたしは次男へ伝えた




この3日



怖いよー

どうしよー



散々繰り返した次男は

葬儀の前に


「よし!決めた!行く!」


わたしに言い

ちゃんとお骨拾いもしてくれた





子どもたちにとっては

初めての身内の葬儀になる



祖父、祖母、祖父、父、母

そして結婚したのなら

相手のご親族も見送ることになる子どもたち




そして

死ね死ね

殺すぞ

とフツーに言う世代の子どもたち




まぁ言ってる

意味合いは直球だけでなく



語彙や

気持ちの表現力のバリエーションの

少なさから

それを使ってる感じが多々あるのだが




そんな子どもたちが



おばあちゃんの死

ホンモノの死

命の終わり



を経験し

たくさん感じたことがあるだろう



それらを

自分を生きるチカラに変えていって

くれることを信じている








久々に制服を長時間着た次男w



帰宅後

つかれたー

つかれたー

と連呼していたが



この流れで

これからの登校は体操服でなく

制服登校にしてみようかと提案したら

そうだね

と言っていた



早速

金曜日に試してみる予定ウインク






小春日和の2月10日

今日の空には

飛行機雲をよく見かけたので

この歌を口ずさんでいた




空に憧れて

空をかけて行く

あの子の命はひこうき雲




お母さんの命日には

"紅の豚"のポルコロッソの声

俳優の森山周一郎さんも

お亡くなりになったとニュースで知った




"ひこうき雲"は"風立ちぬ"の主題歌なので

"紅の豚"ではないのだけど

飛行機の歌



そして

"紅の豚"の主題歌を歌っておられる

加藤登紀子さんの歌は

お母さんも好きだった



100万本のバラの花を〜

と思いがちなのだけど




滋賀県民なのでね

こちらです


滋賀県民以外の方は

あまり知らないのかな

 



あと


も好きだったので貼ってみた



湖、海、川がでてくる歌たち 



でもお母さんは泳げなかった

自転車も車も乗れなかった



もうお空を飛んで好きなところに行けるね



行きたいところにたくさん行ってみてね

そしてみんなのいる故郷へ

無事に帰れますようにキラキラ



わたしはわたしを生きますウインク



また会う日まで



あなたの娘

陽子




あっ今日は蟹座2位でした



ご褒美は
美味しいお店で買った
シュークリームを食べたのと
お風呂の後にパックをしよーっと口笛