母に対しての

ずっと以前からの気持ちや

現在の母の言動に

苛立ちながらも 

なんだかんだ関わるのは

どうしてだろうね。



…と考えていた。



心底イヤなら、拒否すればいい…

のに、それは選ばないんだよなって。





それが親子ってもの…?


う〜ん…

親子の情愛がないわけではない…と

思いたいけど…

でも、それだけではないなあ…












……と、ある時。

コレだな、って思った。












私は母に将来の自分を

見てるんだな、きっと。


母の現在の状況を考え、

自分が同様の立場に置かれたとしたら

やはり

寂しくて体が引きちぎられそうな

気持ちになると思うし、

不安で心がざわつくだろう。



その想像が私に

電話をかけてくる母にやさしくしろと

仕向けるんだろう。












さすが、私。

自分基準。












でも、本当に思うのだ。

語弊があるのを承知で言うが

情けは他人の為ならず

巡り巡って自分のため

だと。


たとえ親子であっても、だと。













昔、私が結婚した頃、

母は、私に怒りをぶつける時に

「私はあんたに迷惑かけんし」

「あんたの世話なんかならんし」

と言っていた。


当時の母は、本当に

そう思っていたのだと思う。


母方の祖父母は

まだ母が若い頃に亡くなっていたので

いわゆる老人になった家族を

間近に見ることがなく、

年老いた生活のイメージが

皆無だったのだろう。


でも、体力も思考力も

年齢とともに衰える。

ずっと同じ生活はできなくて当然。

いつかは、子ども世代に

何かしらの頼りを寄せることに

なるものなのだ。


その時、どんな関係性の中で

それらが成立するか…

それまでの親子の関係が

反映されるような気がする。



そして、親自身の考え方や価値観も

色濃く出てくるようにも思う。




私たち母子の場合は、

大人になってから気づいた

いろんな理不尽さに抱いた気持ちを

私が昇華できておらず

私の中のわだかまりになっている。


そして、母自身はおそらく

自分以外の誰も信頼しない

という心根があり、

また他人の世話になるなど恥だ

という価値観があると思う。


自分以外の誰かに指示されることに

ものすごい抵抗感がある

という性格も関わっている気がするし

自分の干渉をする者は拒否

という姿勢も崩さない。


さらに

以前抱いた負の感情が、

根強く残り、渦を巻く

のも時々表出する。









そのような母を見つめつつ、

私はあれこれ考えるのだ。










一つ目は、先ほど書いたように

未来の自分を見る気がして

放置はできんな、やっぱり…

ってこと。








二つ目は、実際自分が老いていくに

当たり、

親子といえども誠実に接しよう…

ということ。

せめて、理不尽な気持ちを

抱かせることはないように

努力しよう…ということ。









三つ目は、自分の

いろんな物事の受け止め方に

気をつける…こと。

自分以外の言葉や気持ちを

聞く意識を持つこと。


猜疑的にネガティブに受け止めて

ばかりいるとよくないな…と思う。












私も年老いる。

その時に、娘や息子が

嫌な思いをしないように

困らないように…しておきたい。


せめて、

過去の関係のフラッシュバックで

悩まないようにしておきたい。




母を通しながら、考える…。












そうは言っても

未来のことばかりでなく、

現在のことも考えを巡らす。




差し当たって、母vs私なのだ。


その気持ちの持ち方も

工夫をしてみよう…

と思うことがあり、

あまりうまくできてないけど、

意識づけをしているものがある。









そのことも、また

言葉にまとめてみようと思うけど

今回はこの辺で…。