中学生の夏休み、知り合いの田舎に泊まりがけで遊びに行った時の話。

 

 かなりの田舎で、周りは山と田んぼのみ。ガキの娯楽といえるものは十キロほど歩いた渓流のトロ場位。水深は2メートルほどあり、透明度はかなり高くゴーグル越しに水中を見れば薄緑の宝石で、底まで潜ると筋縞どじょうやら、鮎、オイカワなどの淡水魚が婚姻色を際立たせ群れていた。

 

暑いし遠いので毎日は行けず家でゴロゴロとしていた時、おやっさんがドライブ行こかと誘って来たんでついていく事に。

 

が、走れど走れど見える景色は田んぼと山。時折沢。正直きつい...

 

 40分ほど走り、一ヶ所寄っていくと言われて着いたのは一人暮らしの親爺さんの家で、丁度昼時に掛かっており「何も無いけど飯食ってくか?」と言ってくれて御相伴に預かる。

 

 出してくれたのは炊き上がりの米と糸瓜の味噌和え小鉢と言う質素な食事に本音は魚やら肉やら欲しいな〜なんて大変失礼な事を考えてしまう。食欲も湧かぬままやや消沈気味に熱々の米を一口....。!

 

「何じゃぁ!!この米!甘い!旨すぎる!」香りも未経験の初めて実感したコメの旨さだった。糸瓜の淡白な食感と米に絡む味噌とが相まって素材の甘さが際立っており、一瞬で茶碗がからになってただただ感動した。旨さの三竦みや〜❣️

 

ごめんなちゃい。ショボいと思ってすみませんでした...。後光の射す御米、なめて掛って釣りが来ると思うてました!有り難う御座います、御馳走様でした!拝。

 

あの香たつ白ご飯は今でも甘味が鮮明に思い出せる程に美味しゅう御座ったのです。

 

 予告も無しに四人でお邪魔して、施し迄受けておいて浅ましい思慮の自分に

厨房ながら後悔した。それ程に受けた施しにもが心に染みたのです。

 

 何にも無い山間道路にポツンと一軒家。まして一人暮らしの老人が四人分振る舞う事の大変さはまさに椀飯振舞と言うやつです。米も瓜も横の田畑で出来たらしい。

 

 稲は日の霊気ウルを溜め、月の霊気ナミを取り込んだ糸瓜。御土からの神気と家主のおもてなしの心が金剛昇華した奇跡の昼食を垣間見せた瞬間だったのだろう。

ショボいと思った一膳の椀が四十年経っても色褪せない最高のご馳走となった記憶。

 

しみじみ日本って良いなと思う訳ですよ。

 

ー陰とI陽組み十となり、産土力に転んでX 。働き重なり米となる。アウワの真理ここにあり...。

 

おい!レジ袋郎。国の保食(ウケモチ)の司である米農家さんを売ったら承知せんぞ!!稲荷の五柱が御一柱保食之神様も酷くお怒りぞ。

 

 

 終わりに維新の会さん、斉藤さんの後釜に石丸さん嵌めるんはやめてくれよ。みんな思ってるけど維新の会が中共の犬小屋って実績補強するだけや。

 

 脳味噌使うて仕組んでみても九分九厘でひっくり返ってあろがな。

敵対心剥き出しで道徳心が存在せない中共の腐った人間性は肥しにさえならんぞ。

くれぐれもミソとクソを一緒にするでないぞ。