Добро пожаловать!

ありがとう、Dima。
あなたの歌は永遠です。


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Dimaが亡くなって2週間以上が経ちました。

 

喪失感というのは日に日に増すといいますが、今、身をもってそれを感じています。

 

まだDimaの歌を聴くこと、写真を見ること、映像を見ることは辛いのですが、ここ数日、皆さんが書いてくださった追悼記事にようやく目を通すことができました。

 

ただ・・・やっぱり日本語で書いてあると・・・こたえますね・・・。

言葉が直接響くので、どの追悼記事も読みながら泣きっぱなしでした。

 

下記に、4名の方の追悼記事をご紹介させていただきます。

 

 

 

 

もう一つ、カウフマンのファンサイトを運営されているiltrovatoreさんによる追悼記事⇒ディミトリ・ホヴォロストフスキー

 

皆さん、愛のこもった追悼記事をどうもありがとうございました。

 

 

そして、9日の朝日新聞の夕刊に素晴らしい追悼記事が出ました。

文責は編集委員の吉田純子さん、そしてシカゴ・リリックを中心にご活躍のバリトン、大西宇宙(たかおき)さんの言葉も添えられています。

 

 

紙面の字数制限のある中、よくこれだけDimaのことを的確に捉え、まとめてくださったと感激しております。

 

編集委員の吉田さんとはどんなお方なのかと、失礼ながら検索させていただきましたら・・・なんと、東京芸大・大学院の楽理科を出ておられる方でした!すごっ・・・あせる

⇒音楽インタビュー Vol.2 吉田純子さん

 

「テノールの華とバスの風格まで携える、稀有な器のバリトン」

・・・まず冒頭のこの言葉で引き込まれました。

 

「この人ほど温かな血を通わせ、共感を束ねられる歌手はいなかった。」

・・・温かい、共感・・・そうなんです。

 

初めてDimaに恋に落ちたトロヴァトーレのルーナ伯爵。

悪いヤツには違いないのですが、どうしても憎めない、むしろルーナに肩入れしてしまう。

それは彼の容姿がカッコ良かったから・・という、そんな単純な理由だけではないのです。

 

彼の歌にはいつも愛があふれ、そして温かかった。

ステージドアで素っ気ない彼を見て、冷たい人だと思った人も多かったようですが、心根は本当に優しい、温かい人だと感じていました。

そうでなければ、あんな歌は歌えない・・・・。

 

人に媚びない、自分にいつも正直な人でした。

 

「誰にでも気さくに声をかけ、歌劇場の裏方たちから愛された。」

・・・劇場スタッフに愛されてるというのは時々感じました。

 

そして、大西さんの

「名もなき人々を思いやる心根に、音楽を分かち合う歌手という人生の本懐を教えられた」

という言葉にも泣かされました・・・。

 

Dimaのやりたかったことは、ちゃんと多くの人に伝わっていたんだな・・と嬉しく思いました。

 

歌には歌詞があるので、意味がわからなければ伝わらないと思われがちですが、Dimaは、自分の歌は歌詞の意味を超えて心を動かすことができる・・・と語っていたことがあります。

 

22歳の時、故郷クラスノヤルスクから列車で移動し、片田舎のパン工場で歌った際、誰も言葉の意味がわからなかったはずのヴェルディなどのイタリア・オペラを聴いて、観客が涙してくれたこと…これが、ずっと彼の支え、そして自信になっていたようです。

 

歌には言葉を超えた力があるのです。

 

記事には余命宣告のことも書かれていました。

これに関しては、私が毎日涙にくれる要因でもあります。

それについては、また日を改めて書きたいと思います。

 

今日メールをくれた友達によると、ロシア正教では永眠後、40日までは魂は地上にいるので、故人のことを思い出したり話したりするとのこと。

 

40日といったら、日本ではちょうどお正月の頃。

その頃までに、もう一度ブログでたっぷりDimaに話しかけてみようと思ってます。

ええ、まだまだ言いたいことあるんです!

 

話は戻りますが、吉田純子さん、大西宇宙さん。

お2人にDimaへの追悼の言葉を書いていただけて良かった。

素晴らしい記事になっていて嬉しいです。大事にします。

ありがとうございました!

 

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11月27日、モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールでDimaのお別れの会が行われました。

 

今のところオンデマンドでまだ見られるようです。

見逃した方でご興味のある方、下記リンクからどうぞ。

約3時間48分あります。

 

Farewell To Dmitri Hvorostovsky

 

これはお葬式ではなく、本当にその名の通り「お別れの会」。

舞台の真ん中にDimaの棺。

下手側に親族ほか、関係者席。

 

スクリーンにはDimaの在りし日の写真がスライドショーで映し出され、時折合唱団による宗教曲も歌われますが、BGMに使われているのはDimaの歌声・・・。

 

もちろん予想された演出ではありますが、これは本当に耐えられなかった・・・。

 

笑顔のDimaの写真、朗々と歌うDimaの声・・・・これらはもう二度と見ること、聴くことができないんですから・・・・・!

 

 

一般市民も献花に多く訪れ、ステージの上に花と祈りを捧げていました。

 

 

会場外の様子も映りましたが、入場規制をするほどの多くの人が列を作り、寒空の中待っているのを見て、Dimaは本当に多くの人に愛されていたのだと、改めて実感しました。

 

セレモニーは粛々と進み、主に政界からの来賓によるスピーチが約10人ほど挟まれました。

 

スピーチはロシア語なので、当然私は何も意味がわからなかったのですが、教えていただいた情報によると、イーゴリ・クルトイ氏(Dimaのポップ・ミュージックデビューに関わった作曲家)が、Dimaに関するある事実を公表したとのこと。

 

Dimaはアメリカの医師から、余命18ヶ月の宣告を受けていた。

 

1年半・・・じゃ、Dimaはそこから1年頑張ったんだ!

・・・初めはそう思いました。

実際クルトイ氏も「余命宣告よりさらに1年持ちこたえた」と、スピーチの中で語っていたそうです。

 

ただ、そうなるとMETのトロヴァの時には、余命宣告を受けていたということになります。

 

あの当時のDimaにはそんな影が見えませんでした。

インタビューでも、ドクターから「あなたは死なない!」と言われたことを語っていましたし、前向きな発言ばかりでした。

 

今、過去のスケジュールを見ていたのですが、少なくとも2016年の北米ツアーまでは好調だったような記憶があります。

 

4月のウィーンでの「仮面舞踏会」。

初日だったか、ラジオ放送で聴いたDimaの声は、珍しく調子が悪く感じました。

 

もしかしたら・・・この頃に余命宣告されていたのか・・・。

だとしたら、そこから18ヶ月・・・ほぼ計算が合うことになります。

 

夏ごろからは、Dimaの笑顔がいつもと違うように感じました。

自然ではない、無理して笑ってる印象を受けたのです。

 

Dima・・・余命宣告を受けてからの毎日、どんな思いで過ごしていたのか・・・・。

それを思うと本当につらいです。

 

話がそれてしまいました・・・・。

 

セレモニーの最後は、親しい人たちが棺に別れを告げました。

この時BGMにかかっていたのは、Dimaが歌う戦争歌の「鶴」

 

死んだ兵士が鶴になって語りかける・・・そういう内容の歌で、日本でもダークダックスなどによって歌われていたそうで、ロシア人に大変愛されている曲です。

 

手拍子の中、Dimaが歌う「鶴」が流れます。

Dima・・・自分の歌で送られることになるなんて・・・・。

 

 

この最後で耐えられなかったのは、なんといっても、Dimaのご両親の姿です。

 

ご両親はステージに現れた時から両脇を抱えられていて、憔悴しきっておられました。

それでも、お父様は気丈に弔問客にご挨拶されており、その姿は痛々しかった。

 

お父様は本当にDimaに似ていらっしゃいます。

お父様の悲しい、お辛い顔はDimaと重なってしまいました。

 

Dimaはお父様がかなえられなかった歌手になる夢を叶え、世界的な評価と人気を得ました。

ご両親にとってDimaは誇りであり、Dimaも最大の親孝行をしたわけです。

 

しかし、最後にDimaは最大の親不孝を犯してしまいました。

ご両親をこんなに悲しませるなんて・・・Dima、ひどすぎる・・・・!

 

 

そして棺は運び出されます。

 

 

Dimaの遺影。いい写真です。

Dima・・・自分で選んだのかな・・・・。

 

 

棺は会場外へ運び出され、車に乗せられて出発しました。

 

 

 

寒い中、Dimaの出棺を見送る人々・・・。

 

 

ここまでの写真は、友人Mちゃんからの提供です。

彼女とは11年前に一緒にロシア旅行をしています。

今回、お別れの会の中継をずっと見てくださっていました。

ありがとう、Mちゃん。

 

 

そして、今日は納骨がありました。

Dimaの遺体はとうとう荼毘に付されました。

 

納骨の様子は下記のページからご覧いただけます。

コムソモリスカヤ・プラヴダ

 

お別れの会では気丈にふるまっていた次女ニーナちゃんも、灰になってしまったDimaに泣き叫んだと書いてありますね・・・。

 

今は遺影を飾った墓標ですが、おそらく後日、石碑になると思われます。

 

 

周りにたくさんの方が眠ってはいますが、見るからに寒いこの時期、あんなところで一人ぼっちなんて・・・Dima、可哀そう。

彼、寒いのは嫌いなのにな・・・・。

 

これからクラスノヤルスクへの納骨も行われることになっています。

 

 

彼の訃報を聞いてからというもの、ずっと泣き続けている毎日ですが、まだ涙は残ってるのかというぐらい、次から次へと泣かされる材料が出てくるのがたまりません。

 

この記事も涙を流しながら書いています。

だから、ちょっと感情的になってしまったかもしれません・・・ごめんなさい。

 

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Dimaのお別れの会は11月27日、モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールで行われるようです。

 

※追記

モスクワ時間11:00~(日本時間17:00~)より、ライヴ中継があるようです。下記のリンクよりご覧いただけます。

Tchaikovsky Concert Hall

 

 

その後、彼の遺体は火葬され、1つのカプセルはモスクワのノヴォデヴィチ墓地に、そしてもう1つのカプセルは彼の故郷クラスノヤルスクへ埋葬されるとのことです。(РЕН ТВ

 

 

 

また、Dimaと数々のコンサート、録音で共演した指揮者のコンスタンティン・オルベリアン氏が、Dimaの最期の日々について語った記事が出ました。(コムソモリスカヤ・プラヴダ

 

オルベリアンさんは21日の夜9時にDimaと会っており、お別れを告げることができたようです。

 

そのわずか6時間半後、Dimaの奥様より電話があり、Dimaが旅立ったことを知ったそうです。

 

Dimaのご両親は亡くなる前日に到着され、Dimaとお別れができたとのこと。

 

もうDimaは話すことができなくなっていましたが、親子の間ではコミュニケーションが取れていたようです。

 

長男・長女は数日前にやってきており、夕方には次男・次女もホスピスにやってきて、Dimaは大事な家族に見守られて旅立つことができたようです。

 

亡くなる1週間前にいわゆる危篤状態となって入院、5日前からは会話もできなくなった・・ということのようです。

 

あんなに元気だった人が・・・まだ信じられません。

 

喪失感は日に日に募り、私も毎日泣かない日はないのですが、ご家族は私の10倍も100倍もお辛い。

私なんかが泣いてちゃいけないですよね。

 

でも、もう少し・・・もう少し泣かせてください。

 

なお、Dimaのご家族は癌研究所への寄付をお願いしています。

私も僅かな額ではありますが、寄付をさせていただきました。

 

下のリンクから簡単に寄付できますので、皆様にもぜひご協力をお願いいたします。

 

 

 

 

CANCER RESEARCH UK

 

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もう皆さんご存知のことと思いますが、ホロストフスキーが旅立ってしまいました。

 

ロンドン時間の11月22日、午前3時20分、彼の自宅近くのホスピスにて、家族に囲まれて穏やかに亡くなったとのことです。

 

 

 

既に各方面から追悼コメントなどが出ていますが、それらを目にするのはとても辛く、ここで皆様に紹介することができないことをお許しください。

 

1つだけ、ここで皆様にお知らせしたいのは、彼が遺言を残していたということです。 (Sputnik日本

 

【遺体は荼毘に付し、遺骨の一部はモスクワに、あとの半分はクラスノヤルスクに埋葬してほしい】

 

やっぱり彼はロシア人、そしてシベリア人です。

彼の心は常にロシアにあったのです。

 

1年の半分はロシアでのツアーだったような気がしますが、決してお金のためだけではなかったのだと思います。

ロシアで歌うことに喜びを感じていたのです。

 

埋葬の件は、最終的に奥様のフローレンスさんが判断するそうです。

 

荼毘に付されてしまうのは悲しいし、ロンドンに遺骨がないのはご家族としてはやりきれないでしょうが、彼の気持ちを是非受け止めてあげてほしいと思います。

 

当然のことですが、彼は自分の死期が近いことを悟っていました。

いつからその覚悟だったのかはわかりません。

 

とても歌えるような状態ではなかった、6月のクラスノヤルスクでのコンサート。

彼はコンサート後のスピーチで、涙を抑えることができませんでした。

そして、「また戻ってくる!」と言った。

 

これが全てだったような気がします。

 

あの時こうしてれば良かった、あれが良くなかった、色々思うことはありますが、Dimaはきっと後悔していないと思います。

 

やり遂げた、精一杯生きた、そう思っていると思います。

そう思いたいです。

 

本当は彼の歌や笑顔でお別れの記事を締めくくりたいところですが、彼の笑顔の写真、あの素晴らしい歌声が漏れ聴こえてくるだけで、今はとてもとても辛いので、どうかこの気持ちをお察しいただければ・・と思います。

 

Dimaには感謝の気持ちしかありません。

 

私はこの14年半、Dima一色の毎日でした。

彼のいない人生なんて考えたこともありませんでした。

 

明日から何を生き甲斐にしていいか、途方に暮れていますが、Dimaの歌に囲まれて送る生活を再び取り戻せるよう、時間がかかっても努力していきたいと思います。

 

Dimaはいつまでも私たちの心の中にいます。

彼の歌を聴かなくなってしまったら・・・きっと、それは彼が一番悲しむこと。

 

彼の歌で幸せになったあの時に、きっと戻れる日が来ると信じて、明日から生きていきたいと思います。

 

涙が止まりませんが・・・・もう一度。

 

Dima、本当に今までありがとう!

何度ありがとうと言っても足りないくらい、あなたには感謝しています。

毎日幸せでした。

2年半、辛かったよね、苦しかったよね。

今度は天国でたくさんの人を幸せにしてあげてね。

 

本当に今までありがとう。

そして・・・さようなら。

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10/16の55回目のバースデーには、世界中からお祝いの言葉を送られたDimaですが、その後1週間近く、バースデーに関連するポストは全くなく、奥様やお子様たち、ロンドンの自宅に招かれたと思われる方々のSNSも完全にシャットアウト状態。

 

7月のお子様たち、奥様のバースデーには、本人も一緒の写真がアップされましたが、今回は写真は難しいだろうな・・とは思っていました。

 

しかし、ここまで何も出ないとなると、Dima自身が緘口令を敷いているとしか思えず、そうなると病状はやっぱり思わしくないのか・・などと、色んなことが頭をよぎってしまい、バースデー後もずっと胃が痛い毎日でした。

 

しかし、昨日20日にようやくDima自身のSNSが動きました!

 

おそらく、文章はスタッフさんの手によるものでしょうけど、写真にある直筆メッセージとサインは、Dima自身の手によるもの!

 

ファンの間では、あの直筆文字も本人のものとは違う・・という説があるようですが、私はDimaの字だと信じています。

 

あのサインと全く同じものを持っていますし、そうなると上に書いてあるメッセージも、サインと比べて筆圧などに違和感がありません。

 

だいたい、人に書いてもらうほど大したメッセージじゃないですよね?苦笑

それだったら、直筆メッセージの写真がなくたって、コメントだけで済ますことできるわけですし。

 

5/28に転倒して右腕(肩)を怪我した後、右手をかばうような仕草の写真が多く見られたので心配していたんですが、右利きの彼がこれを書いたとなると、とりあえず字は書けるようになったんだな・・と少しホッとしました。

 

実はこのポストが出る直前、私はこんなことがありました。左下矢印

 

突然のことで自分でも驚いたのですが、湯船につかりながら何度も泣きながらつぶやいてたんですよね・・・あせる

こんなこと初めてでした。

 

その直後、Dimaのポストがアップされていて・・・なんだかとっても不思議な感覚でした。

 

ところで、このコメント。

"dear friends"となっていて、おいおいファンにはメッセージないのかよぉ~!とツッコミたくなるところですが、ロシアメディアは一斉に"поклонникам"という言葉を使っていて、これは"fans"と英訳できるようです。

 

お!ファンはとうとう彼の"friends"に昇格したのかな?にひひ

 

もしかしたら、Dimaは今後公の場に姿を出さないかもしれませんし、こういうちょっとした動きだけでも、昨夜は本当に嬉しかったです。

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