私は裕福な家庭では育っていません。
私が4歳、妹が生まれてすぐに両親が離婚し、母は私と妹を連れて祖母たちの住む家(都営住宅の団地)に戻ったのです。母はすぐに大手のデパードで働きはじめ、シングルマザーとしての生活がはじまりました。祖母、祖父もその当時は働いていて、うちは貧乏だなぁと思いながら育っていたわけではないです。新しい服を買ってもらったり、学校に必要なものもちゃんと買ってもらえていました。たまにだけど外食することもあったし、年に一度は箱根に旅行に行ったり、なによりもお金がなくて食べたいものも食べられない。。。なんてことはなかったです。今思うと、そんなに裕福ではなかったんだなぁと思うくらいです。
でもやっぱりお金にはシビアだった母。お金がかかることには渋い顔をしていたのを覚えています。
そんなの贅沢よ。とか、そんなお金ないわよ。とかよく言われていたなぁ。たぶんそのせいで私のお金に対するネガティブなイメージ。。。お金は使うとなくなる。お金がなくなることは怖い。贅沢するのは悪いこと。という思い込みが頭の中にしみついて、今でもお金を使うことに罪悪感を感じてしまうんだと思います。(たいぶよくなってきたけどね)
お金にはシビアだったけど教育にお金をかけることには寛大だった母。
私がまだ小学生低学年の頃、絵を描くのが好きだった私が描いた絵があまりにも上手だったので(母はアートに関して詳しかったとかではないですョ)美大生が教える絵の教室に通うようになったのをはじめ、お習字、そろばん、そして水泳も習っていました。
仕事が忙しい母の唯一の楽しみが映画を見ることでした。母は邦画だけでなく、洋画も大好きだったのです。映画館にもなんどか連れて行ってもらった記憶があるけど、だいたいは家のテレビで見れる古い映画を見ていました。
その洋画をよく見ていた母に影響されたのかどうか定かではないけど、小学校高学年に近づくに連れて、なぜか私は英語を習いたいと思うようになっていました。
正直言って、うちはもちろん海外へ旅行に行くなんてありえなかったし、親戚にも外資系の会社で働いているとか、海外に仕事で行くとかそんな人がいる。。。わけでもなく。ほんとになぜかわからないのです。なぜか、小学校5年生のときには
”将来英語を話せるようになりたい”
と思っていました。その当時、テレビでセサミストリートがやっていて、私は母に教えてもらって、副音声(日本語の吹き替えではなく、英語)でそれを見ていたのを覚えています。母がそうするように教えてくれたのか、自分でやりだしたことなのか記憶にないのですが。。。
ある日、放課後のそろばんのクラスで仲良くなった友達がYMCAで英会話を習い始めたと知った私は、その友達にそのYMCAについて詳しく聞いて、すぐに母に私もそこに英会話を習いに行きたいと言いました。さっきも言ったように、教育にお金をかけることには寛大だった母です。すぐにYMCAに申し込んでくれました。今でこそ小学生から英会話を習う子供も増えたと思いますが、1980年代はじめに英会話を小学生5年生で習っていたなんて、世間よりちょっと先を走っていた子だったと思いませんか?(自画自賛)しかも、YMCAで教える先生はみんなネイティブの先生でした。
斎藤ひとりさんがこんなことを言っていました。
中学生の時に先生にひとりくん英語をちゃんと勉強しないとだめだよ。
いつか道で外国人に英語で話しかけられることがあるかもしれないだろ?
いまだに英語で話しかけられたことなんてありません。。。(笑いをとる)
俺は英語を勉強する必要がなかったから興味がなかったんだよ。
でも将来英語が必要になる人はちゃんと英語を勉強したいって思うんだよ。
(だいだいこんな感じの内容でした)
この話を聞いた時に、だから私は小学生の時に、なぜかわからないけど、英語を将来話せるようになりたい英語を習いたいと思ったんだと腑に落ちました。潜在意識では自分が将来英語を話せないと困る。。。ということがわかっていたんだわ
やっぱり潜在意識って凄いなと思った瞬間でした。
小学生だったか、中学生だったかはっきりと覚えていないのですが、卒業文集だったかなにか。。。で、将来の夢という作文を書いたんです。作文自体は残っていないのですが、記憶に残っています。
そこに私が書いたこと。
アメリカで一軒家に住んで牧場で働く。
この夢は叶ったのかな?