いやはや。やはりと言うべきかずばりと言うべきかは対して変わらないとして、



私の足首はこんなにも反らなかったのか。それも痺れてる左足首ではなくまさかの健康な右足首…

まぁ身体が左よりな人間なのは前々からわかってはいたが、、、




ダメだ。何もいえね~







こんな身体でサッカーしようものならアキレス腱をきるか、靭帯損傷してチャンチャン!!だ…






帰ったら体幹トレーニングだ…そして朝とシャワー上がりのストレッチだ…
昔から立ってやる測定はゼロ以下まさかの-40㌢




先生から言わせればこれで運動していて大きな怪我をしたことがなかったとはある意味脅威とまで言わせたその身体の硬さは




立って下に下ろせば膝までしか行かない…







典型的な猫背で友人から背中がガチャピンの様になってる~




つまり恐竜みたいな感じくらい背骨が張り出しているらしい




少し骨が良くなったら接骨院を紹介してもらおう。






身体普通化プロジェクト!~1年の軌跡~ここに始動。






随時硬さがわかる写真を掲載予定!








乞うご期待。





苦しみの森を抜け出してようやく一歩を踏み出した。



生と死の狭間で8年間を過ごし自分がやりたいことを笑顔と嘘で隠して過ごして来た日々。




後悔がなかったかと尋ねられればもちろん後悔だって憎しみだって、負の感情が消える事はない。そこだけは嘘をつけないし、事実だから。





ただそれをマイナスのまま8年間を切り捨てるのか?




マイナスを経験と言う言葉に置き換えプラスに使いたい。





リセットするのはこれまでの嘘で固めた8年間の自分。生きて来た軌跡は道標として残す。




これだけの経験をしたのにそれを切り捨ててしまっては宝の持ち腐れだ。





だからこれを活かせる最大限の職業に着きたいと思っている。












そうさせてくれたのはいつもどんなときも側に居てくれた家族、心配してくれた友達、親身にしてもらった看護師の方々、命を繋ぎリレーのバトンを落とさずにサポートして頂いた医師の方々。





多くの人に支えてもらったから今の自分があり、これからの自分があると思っている。




命がずれて行く軌道を修正して頂いた医師の方々




自暴自棄になりかけた時に母は懸命に道を修理し直してくれ、




それて行く歩幅を調整してもらった看護師の方々





こんな人生はこの病気になったからそこ
最高の経験の何ものでもない。

一人でも欠けると自分はここにいなかっただろう。








今を「生かされている」自分をしっかりと見極め、これからの人生は後ろを振り向く暇もないくらい前だけ向いて障害物をしっかりクリアし未来を形成「したい。」ではなく「する。」

21歳からのリスタート。可能性は∞。

勝つも負けるも逃げるも自分で選択して生きる。









ウルフルズの『笑えれば』と言う曲で「最後に笑えれば、ふふふと笑えれば」
死ぬ間際にこの曲が流れる人生にしたい。




これから始まる新しい自分に送りたいのは



尾崎豊の『僕が僕であるために』
「僕が僕であるために勝ち続けなければならない。正しいものが何なのかそれがこの胸にわかるまで」

今はとにかく逃げずに挑み続ける。そう誓う。








《感謝》と《尊敬》この言葉を胸に刻みリスタートの第一歩を歩み出す。









ほんとに「病気」には8年間自分を成長させてくれてありがとう。



いろいろな経験が出来大変充実した濃い生活だった。







そして今まで支えて下さった皆さん、ほんとに数え切れないほどお世話になりました。そしてこれからも影から見守って頂ければ幸いです。





戦国時代の3武将を例えた俳句を思い返してみた



「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」

織田信長






「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」

豊臣秀吉







「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

徳川家康








これはごくごく当たり前の事だがちょっと捻りを加えて武将の気持ちではなく




ホトトギスの気持ちだったらどうだろう







ホトトギスだって鳴けない理由があったかもしれない。





もしかしたら

「鳴きたいさ風邪を引いたよホトトギス」



風邪を引いて声がでなかったかもしれない



「鳴けないよ舌を切られたホトトギス」



したきりスズメのばあさんにスズメと間違えられて舌を切られたかもしれない




「鳴きたいさ求愛まだいいホトトギス」




鳴いたら求愛かは気にしないで
今はまだ一人で気楽に過ごしたいかもしれない




「鳴こうかなでも辞めようかホトトギス」



凄い優柔不断なホトトギスかも知れない







こんな風にホトトギスの心情になってみるのも楽しいかも知らない。



ちなみに私の心情は




「泣けるなら泣いて見たいさホトトギス」

泣けない立ち位置にいる苦しさから出たナチュラルな気持ちである。