あの東日本震災の数日前に母は、くも膜下出血で倒れた。もう10年が経過しようとしている。



 3月上旬、まだ寒い日が続いていた。母は、その日、馴染みの美容院で洗髪とパーマをする予定をしていた。



 美容師に身を委ね、気持ち良く洗髪してもらえると考える。そこは、母、汚れた髪を洗ってから美容院に行こうと思った。親しい美容師さんに、気を遣った。



 寒い朝、朝シャンプーをする。くも膜下出血が高血圧を患う母をおそった。



 救急車で運ばれ、開頭手術にとなった。生命の危機を脱したが、意識障害となった。会話も食事をとることもできない状態となった。父も家族も母の生命維持を望み、「胃ろう」処置をお願いした。



 その日を境に、母も家族も生活は一変した。いつもと同じ時間が流れるはずだった。



 母との食事も旅行も遠ざかってしまった。したい事が沢山あったであろう母の時間が、日常が寸断されてしまった。父の無念さが切ない。



 病院では、話は届いていると思い、沢山おしゃべりをした。写真を見ながら思い出を語った。



 そして、5年半が過ぎた。8月末、静かにあの世に旅立った。88歳を迎えていた。その日は、早世した弟の月命日だった。


(2021、3、9)