孤独なお花見

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 孤独という言葉に惹き付けられて、下重暁子著『極上の孤独』という本を読んだ。私はもともと群れることが苦手だし、独りの方が自分の意思で動けるので楽なのだ。そういうこともあって、その孤独がどのように描かれているか、興味があった。

 特に印象に残ったところを引用して、私の思うところを記してみたい。

 

   仏教では、人の恨みは人間関係に起因すると分析していて、人とのつながりが全ての悩

   みの原因になるから、そこから離れて一人に なってみることが大切だと説かれている。

   悩みの原因となる対人関係から距離を置くことをすすめている。

 

 例えば家族でも職場でも、そこから離れて一人になることが難しい場合が多い。しかし、心理的な距離を置くことはできる。相手の受け入れられない言動に捕われず、自分の今の、一つ一つの目的に逆らうことなく、ただひたすら成し遂げていく。それが私の心理的距離なのだ。相手の人生は、私の人生ではないのだから。

 

   孤独とは、思い切り自由なものだ。誰も気にする必要はなく、自由で満足感はあるもの

   の、その時間をどう過ごすかの全責任は自分にある。誰も助けてくれる人はいない。

 

 私はひとり作業が好きだ。 自分で考えて、納得しながら進めていると、自分の身になっていくからだ。出掛けるのも、ひとりが好きだ。誰かに合わせることもなく、自分の意思で自由に行動することができる。たとえ迷うことはあっても、自分でじっくり、その迷いを解いていくことに満足感さえ覚える。

 

   孤独を恐れ、自分を抑えて他人に合わせていると、孤独感が逆に増すばかりである。孤

   独を噛みしめながら自分のホンネに向き合い、あれこれ考えるからこそ、人間は成長で

   きる。

 

 周囲と違う考えを持っている自分は、おかしいのだろうか。そう思って仲間外れにされたくなくて、無理に他人に合わせることが多かった。しかし、本当の自分ではいられない人間関係は疲れる。偽物の自分でいることに、罪悪感さえ覚える。人との関係の中で自分のホンネをしっかり感じて、自分に嘘をつかない。そこから、自分にふさわしい関わり方が見えてくると思う。

 

   年をとるにつれて、だんだんいい顔になる人といやな顔になる人がいるが、その差は品

   性にあると思う。その人の持っている内面が見事に表情に現れてくる。賑やかなもので

   はなく、静かに感じられる落ち着きである。自分を省み、恥を知り、自分に恥じない生き

   方をする中から、誇りが生まれる。それがその人の存在を作っていく。そして、冒すこと

   のできない品になる。自分を作るためには、孤独の時間を持ち、他人にわずらわされな

   い価値観を少しずつ積み上げていく……。 

 

 年をとって、いやな顔にはなりたくない。内面を磨いていきたいと思った。それには自己肯定感も大事な役割をはたすと思う。自分はこれでいい、自分のことが好きだと思えること。人の話に入れない自分を感じても、無理に会話に加わらなくてもいい。寡黙に、ただそこに居るだけでいいのだ。いい顔のお年寄りになるために、私の価値観を大事に積み上げていきたい。

 

 筆者は母親の死についても触れている。筆者がつれあいと実家からマンションに移った後、老人結核で療養所に入っていた父親が亡くなった。そして母親が亡くなった時、ベットの枕元を整理していると、長さ30センチほどの、下重の家に伝わる懐剣が出てきたという。護身用かとも思われたが、等々力の実家で一人生きるための覚悟が、母には必要だったと。余計なことまで面倒を見てしまう暁子命の暁子がいなくなってから、母を支えるものが、この懐剣だったのだろうと、筆者は回想している。

 

 私も結婚して4人家族になったが、一人結婚して出ていき、三人になった。そのうち一人二人と減っていき、最後はどちらかが一人になる。必ず孤独はやってくるのだ。孤独に慣れ親しんで、その時のために無理のない覚悟をしておく必要があると思った。一人の時間を大切にする、孤独でいることが好きな自分を肯定できた一冊でした。

 

 周囲の言動に振り回されることなく、自分の今の目的を、一つ一つ成し遂げていく。無理に会話に加わらなくてもいい。ただひたすら人の話に耳を傾けられる、自分の声にも耳を傾けられる、そういう人に私はなりたい……なー!

 

 

 四月の第一週、東京は桜満開である。仕事を終えたのは午後五時少し前、今年こそはひとり花見をしたいと思い、約十年振りで千鳥ヶ淵に行った。東西線九段下駅でおりて、田安門から北の丸公園、武道館、千鳥ヶ淵、半蔵門、国立劇場を桜景色で眺めて、とうとう東京駅まで歩き続けて、携帯電話の歩数計は自宅から1万8千歩を示していた。花見客に交じって歩き、皇居ランナーに交じって歩き、やっぱり独りは自由である。自宅に到着した頃には、足が悲鳴をあげていたのだが……今度は横浜界隈のお花見をしようかなー。