鈴乃 -5ページ目

Scene26:エイミーの家

「たまにはね。今日は、麻理衣はお友達と映画を観て、帰りにファミレスでご飯を食べたいって言うから」


 エイミーは、琴音の「エイミーが一人で夕飯なんてめずらしいわね」と言う台詞を受けてそう答えた。


「麻理衣がいなくて寂しいわ」


 琴音がそう言うと、エイミーは「まあね。でも、彼女、もう子供じゃないし」と言った。少し、ふさいだ顔で。


 エイミーと麻理衣の二人が後姿で並んだら、ふくよかなエイミーと痩せた麻理衣の体型はともかく、髪の毛の色は相違がないだろう。そう考えながら、琴音は、キッチンで料理を作るエイミーの後姿を、ワイングラスを片手に見ていた。


 エイミーも麻理衣も、少しウェーブのかかった細い髪である。麻理衣がポニーテールにしていると、ハイスクール時代のエイミーの姿と重なる。その頃のエイミーもポニーテールだったから。あの頃、エイミーは、くせのある髪質を利用して、髪を上手にまとめていた。


 そして、髪の色は、二人とも日本人の色ではない。緑がかった深い茶色。琴音の色の知識から言えば、煤竹茶色にオリーブ色を混ぜた茶色。簡単に言えば、赤茶色に緑色を少しだけ混ぜた色。それは、人工的に作られた茶色とは違う、血統による髪の色である。


 エイミーのマム、ルーシーは、日本にルーツのあるアメリカ人、すなわち日系アメリカ人だけど、ダッド、ロバートは生粋のニューヨーク生まれのアメリカ人。


 エイミーと麻理衣の髪は、ロバート側の遺伝子を受け継いだと見られる。


 さて、そのロバート譲りの色の髪をアップにまとめたエイミーは、ワインを飲みながら、そして、琴音とおしゃべりをしながら、てきぱきと作業を進めた。ガス台をフルに使って、茹でたり煮たり焼いたりする合間に、材料を洗ったり、切ったり、すったりしながら、あっという間に何品かのワインのお供をテーブルに並べた。


「あなたの手際のよさには、いつもながら驚かされるわ」


 琴音は、テーブルに並んだたくさんの皿に本気で感心していた。料理が盛ってある食器も料理が映えるものである。


「さあ、召し上がれ」


 エイミーは、ワイングラスを持ってキッチンから移動して席についた。


 琴音は、エイミーのグラスにワインを注ぎながら言った。


「お料理上手は、マム譲りね。ここにいると、ハワイの家を思い出すわ。あなたがここでお料理する姿を見ていると、ハワイのマムを思い出す」


 エイミーの家のキッチンは、アメリカの映画で観るようなL字型の大きなキッチンである。窓がついていて開放的で、冷蔵庫も大きい。家を建てるときのエイミーの要望で、キッチンはハワイの家のキッチンと同じような造りにした。


「マムと私は、外見はあまり似ていないけどね」


 エイミーは、笑いながら、ガラスの器に盛られたマッシュルームサラダをスプーンとフォークで和えて、琴音の皿に取り分けた。


 確かに、エイミーは、日系人であるルーシーの面影はあっても、どちらかと言えば、ロバート似で外国人の顔つきである。


「麻理衣は、顔は一樹さんに似ているけれど、資質はエイミーね」


「資質?」


「生まれもった髪の色とか、肌の色のこと。髪質も目の色もあなた譲りだわ。でも、全体的に見ると、麻理衣は一樹さん」


 エイミーは、アメリカ人として、アメリカ式で育てられたが、日系人の祖先を持つわけだから、日本人の血が流れている。その半分だけ日本人であるエイミーと日本人の一樹の間に生まれた麻理衣だから、麻理衣が日本人の顔つきであることは納得できる。


「麻理衣は、一樹ね・・・」


 エイミーが、急に消沈した面持ちになってうつむいた。


「あら、どうしたの?エイミーにも似ているって言ったじゃない」


 琴音は、そう言って、エイミーの顔を覗くと、エイミーの目は涙で潤んでいた。


「エイミー、どうしたの?」


 エイミーは、無言で首を横にふった。何でもないわ、と言ったふうに。そうして、涙を堪えながら「早くもワインに酔ったわ」と言って笑った。


 琴音は、難しい顔をした。なぜならば、エイミーは、他人に心配されることを極端に嫌がるからだ。琴音は、エイミーが、何か悩みを抱えていることに気づいていた。でも、エイミーの性格を知っているだけに、エイミーが自分で解決することを願って、見て見ぬふりをしてきたのだ。


 しかしながら、琴音は、今回は、そうしてはいけない気がしていた。


「何かあったのね?一樹さん?」


「ううん。大丈夫」


 エイミーは、もう一度首をふった。そして「I am sorry」と小さな声で言って、潤んだ瞳を琴音に向けた。


 エイミーは昔からそうだった。悩み事があっても、誰にも相談せずに一人で抱え込む。
アメリカ人は、精神的なトラブルが起こると、その状況を継続させないため、セラピーのカウンセリングを受けるのが自然とされている。それなのに、アメリカで育ったエイミーが、セラピーや家族や親しい友人に頼らず、一人で苦しむのは理由があった。


 それは、幸せな家庭に育ったエイミーならではの、決まりごとのようなものであった。
水準以上の優しい両親の愛を受けて育ったせいで、エイミーは、優しい両親に悩みを打ち明けるどころか、自分の苦悩を伝えにくくなってしまったのだ。

 
 エイミーは、大好きな両親のために、いつも笑顔で「私はハッピー」と言い続けなくてはならない状況に陥っていたのである。


 だから、エイミーは常々ポジティブシンキングをモットーに生きてきた。でも、その前向きさがかえって仇となることもある。自分は前向きに生きようと思うと、それが見えないところでストレスとして、心に負担をかけることもあるのだ。


 はたから見て、幸せな家庭に育っているようであっても、人それぞれ抱えるものは違うのである。シンプルに物事を考えられれば、残るものは決まっているというのに、人の感情とは何と複雑なことか。


 琴音は、向かい側に座るエイミーの手を取った。


「エイミー、もうこれ以上無理をしないで。私には教えて。だって、私たち姉妹じゃないの。私は、いつもあなたに助けられている。だから、私もあなたの力になりたい。わかる?一体、一樹さんとの間に何があったの?」


 エイミーの顔が見る見るうちに真っ赤になった。そうして、一筋の涙が頬を伝った途端、堪えきれなくなった涙が溢れ出した。


「私たち、離婚するかもしれない・・・」


 エイミーは、そう言うと、わっと泣き出した。


「どうしたというの?あなたたちは、仲良しだったはずよ?」


 エイミーは、泣きじゃくりながら、激しく首を横にふった。


「仲良しではないの。私は一樹を愛しているけれど、彼は、私を愛していない。いつも家にいないし、私の作ったお料理も食べてくれない。私は、ダッドとマムのような関係を求めているのに」


 琴音は、返答に困ってしまった。エイミーと一樹の「理想の家庭」の食い違いは、二人の結婚当初から、薄々感じていたからである。


「一樹さん、忙しいだけだと思うわ。日本人男性は家庭を持つと、家族を守るために戦士として外で働くものなのよ」


「わかっているけれど、愛を感じないの。ねえ、日本人って結婚すると、どうしてダッドとマムのようにハニー、アイラビューって言い合わないの?一樹に言ったら、『日本人はそういうことを言わない』って言うの」


 琴音は、小さくため息をついた。


「一樹さんにそれを望むのは難しいと思うわ」


 一樹は、大手商社勤務。去年、五十代に突入した一樹が、常々言っていること。


「あと数年で取締役になれなかったら、会社にいる意味がないから自分で会社を興す」 


 一樹は、仕事一筋のビジネスマンで、同期の人間の中では、上司からも部下からも人望が厚く、昇進も早かった。だからこそ、エイミーの希望通りのキッチンがある家を作ることができたのだ。


 それに、野心が人一倍強いのだ。大きな望みを持っていたからこそ、海外出張や残業や接待に時間をとられても、当たり前のように仕事をこなしていた。


 琴音は、一樹と似たような父、宗一郎の姿を見て育っているので、一樹の思いは理解できた。でも、エイミーは、仲良しな両親の愛を一身に受けて育っただけに、忙しくて家庭を顧みないような一樹の態度が許せないのだろう。


「ねえ、エイミー、愛しているのなら、まずは、お互いを理解し合うことに最善を尽くして。あなたたちは、育った環境が違う上に、文化も言葉も違う国で育ったのだから」


 エイミーは、キッチンタオルで涙を拭きながらうなずいた。


「ケイティの話を聞くはずだったのに、ごめんなさい。麻理衣が成長しているのを見ると、自分が一人になってしまうようで不安になるの」


 琴音は、エイミーの手をさすりながら、微笑んだ。


「映画の後でお友達とファミレスで語り合いたいんでしょ。あの年頃なら当たり前のことよ。あなたを忘れるわけじゃないわ。確かに、麻理衣はこれからどんどん大人になっていくのでしょうが、マミィを愛する心はかわらないはずよ。だって、あなたの娘ですもの」


 エイミーは、琴音の顔を見ながら「ベイルアウト」と言った。


「エイミーのベイルアウト?」


「ええ。あの日・・・あなたがハワイの海に消えそうになったあの日にダッドが言っていたベイルアウト。おぼえてる?」


 琴音は、うなずいた。


「ダッドが言っていたわよね。ベイルアウトの対象は、依存するものであってはいけないって。何か自分が打ち込めるものにしなさいってダッドは言ったわ」


「私にはわかるわ。エイミーのベイルアウト」


 琴音は、瞳を潤ませた。


 そうして、目の前の皿のブロッコリーにフォークを突き刺して、にっこり笑ってエイミーに差し出した。そして「これでしょ」と言って大きな口を開けて、ブロッコリーを一口で食べた。


「まさか、ブロッコリーって言うんじゃないわよね」


 エイミーがくすくすと笑った。


 琴音がつられて笑った。すると、エイミーは琴音を抱きしめた。エイミーは、からだを震わせて笑った。


 二人の大きな笑い声がダイニングルームに響いていた。




To be continued・・・   Written by 鈴乃@Akeming

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