先日、家族で深谷市まで出かけました。コロナウィルス対策の為、なかなか遠出はできませんが、近隣でも刺激を受けることができました。
深谷市は有名な渋沢栄一の出身地です。新しいお札の肖像になる方で、来年はNHK大河ドラマの主人公にも決まっています。「そういえば」と、渋沢栄一の著作「論語と算盤」の下巻が本棚に眠っていることを思い出しました。
「論語と算盤(下)」を読んで、今の私に響いたところを書き留めます。
人格を修養する
「自分さえ金持ちになれば満足だ」といって、国家や社会に目を向けないのは、嘆かわしい極みです。
国民が大切にするルールが確立され、人々がそれを持ちながら社会で活動する。と、こういうことであれば、人格は自ずと磨かれ、社会が「自分さえよければいい」という方向にどんどん流れていくようなこともない。
だから、私は若者に向かって、ただひたすらに「人格を修養してほしい」と言っているのです。若者と言うのは、ひたむきで飾らなくて、しかも情熱にあふれ、エネルギーにあふれているものです。だからこそ、「威武も屈する能わず(暴力でも権力でも屈服させられない)」くらいの人格を養ってほしい。
高いレベルの人格を養い、それで正義・正道を行い、その結果としてカネと地位を得る—--------------こうでなければ「成功」とは言えないのです。
【私の感想】
数々の事業を興して成功してきた渋沢さんは、「お金持ち」になることより、人格を磨くことを若者に説いています。カネと地位はその結果であるわけです。稲盛和夫さん著「生き方」のなかでも「人生の目的は、人格を高めること」とあったのを思い出しました。お金はほしいですが、人格を磨いた結果として得たものでなければ、意味はない。渋沢さんは、論語を通じてそれを教えてくれていると、受け取りました。
社会的にメリットのある事業を
私は、常に事業経営について、その仕事が国家に必要であるかどうかを考えるだけでなく、「道理にかなうようにやりたい」と心がけてきました。たとえその事業が吹けば飛ぶようなものでも、自分の利益がわずかであろうと、国家にとって必要な事業を経営するという思いがあれば、どんなときも楽しい気持ちで仕事ができるのです。
そんなわけで、私は「論語」を商売のバイブルとし、孔子の教えから一歩も出ないようにしようと努めてきました。
さらに私は事業におけるポリシーとして、
「一個人に利益のある仕事より、たくさんの人、社会全体の利益になる仕事をしなければならない」と、思っています。
たくさんの人、社会全体に利益を与えるためには、その事業をしっかり発展させ、儲けを大きくしていかねばならない。そういうことを常に心してきました。
【私の感想】
事業を行うのに、目先の自分たちの利益を優先するのでなく、社会全体のために事業を発展させるために儲けを大きくしていく。自分だけ儲けるのでなく、たくさんの人を豊かにするために事業をやっていくんだ。渋沢さんは「論語と算盤」でそのバランス感覚を人々に教えてくれようとしていると、受け取りました。
私も仕事上の判断、選択には、目先の自分たちの利益の金額の多寡だけではないバランス感覚を持とうと思いました。
武士道とはすなわち実業道である
武士道の神髄というのは、正義・廉直(まっすぐなこと)・義侠(弱い者を助けること)・敢為(筋を通すこと)・礼譲(他人への礼儀)といった人間の美点をすべて合わせたもの。
昔の商工業者は、武士道を誤解していて、
「そんなことをポリシーにしていたら、商売なんかできっこない」と考えていました。それはとんでもない間違い。
孔子の言葉に、
「カネと地位は誰だってほしいものだが、正しい方法で得たものでなければ身につかない。貧乏でみじめなのは誰だって嫌なものだが、それも正しい方法(怠惰など)でなければなかなかそうはならないものだ」
とあるのは、武士道の神髄と一致する。
実際のところは、聖人も賢者も富貴を望み、貧賤を避けたがったわけで、彼らは道義を優先して、富貴や貧賤を後回しにしただけなのです。
日本人は、あくまで大和魂の権化である武士道を拠り所にしなければなりません。
【私の感想】
武士だけでなく、事業を行うひとこそ武士道を学ぶべきだ、と私は受け取りました。
私が働く組織のトップも、武士のような一面があって、なんとなく理解できるように感じました。
金儲けと武士道(正義)のバランスがとれたところを捉える。お金が大好きでも、目先のお金に流されずに、道義を大事にせよ、と私の言葉で解釈しました。
渋沢栄一は、日本の「資本主義の父」と言われる方です。資本主義が「自分だけ儲かればそれでいい」というものではないことを、教えてくれているところがカッコいいし、私もそのマインドを忘れず仕事にあたります。
ありがとうございました。