心理学あるあるの一つ。
心理学を勉強している、というと、よく、「営業に使えるテクニック何かありませんかね?!」
と真剣な表情で聞かれます。
「心が読めるんでしょ?!」
よりは少数派ですが、それでも仕事がらみで心理学の知恵を援用したいというご要望は多く、
答えられる範囲ならば誠意をもってお答えしてきました。
テクニックというのは、たくさんあります。
学問的に裏付けられたものや、都市伝説的なものも含めると、世の中には数多くの営業テクニック
が出回っています。
その中で、よく目にするもの、
"Foot in the door technique"(フット・イン・ザ・ドア)
"Door in the face technique"(ドア・イン・ザ・フェイス)
という2つのテクニックがあります。
Foot in the doorの方は、「本命の大きな目標を相手に飲んでもらうために、最初は小さなお願いから
聞いてもらっていき、段々と要求を大きくしていくというテクニック」のことです。
たとえば…
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「恵まれない子供たちのために、募金しております!どうぞ、1口300円からですので、
みなさまご協力お願いします!」
ご苦労様。はい、300円!
「ありがとうございます!助かります!」
ーーー次の日ーーー
「あ!昨日の方ですよね?!昨日は募金ありがとうございました!」
いえいえ。暑い中ご苦労様です。
「はい!ところでなんですが…実は本日から、子供たちの学習支援金ということで、日々の学習用具を
購入する募金もスタートしているのですが…そちら、もしよろしければ一口1000円からですが、
ご都合よろしい範囲で募金願えませんでしょうか?」
う…うーん…昨日も募金してあげたしなあ…なんか、断り辛いよなあ……じゃ、じゃあ、1000円なら…
「ありがとうございます!」
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たいてい私たちは、「考え方や態度が一貫している人」と見られたがります。
コロコロ意見を変えるよりも、首尾一貫としている方が、人として「かっこいい」と思いがち、
な心理的作用が働きます。
そうしますとですね、最初OKを出したことを、段々要求が大きくなってきているからと言って、
なかなか断り辛くなってしまうわけです。
スモールステップでOKをもらっていくと、本命をいきなり出すよりもOKもらいやすくなる、という技術ですね。
これに対して、Door in the faceの方は、「本命よりもかなり大きな要求を出して、いったん断らせます。
そしてその後、少し難度の低い本命のお願いを出すと、いったん断った手前、2度断りづらいために、
OKが出やすくなる」というテクニックです。
たとえば・・・
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「どうか恵まれない子供たちのために、募金活動を行っております。ぜひ、彼らの入学金支援のため、
一口5000円で募金をお願いできませんでしょうか?」
と切り出します。
5000円かあ…ちょっと高いなあ…うーん…大変申し訳ないけれど、5000円はちょっと……
「そうですよね。無理を言って大変申し訳ございませんでした。」
ーーー次の日ーーー
「あ、昨日の方ですよね?昨日はお忙しいところ、無理を言って申し訳ございませんでした。
ところで……実は本日、恵まれない子供の学習活動支援募金というのもお願いしておりまして、そちらは
一口1000円で募金をお願いしてました。もし、もしご都合よろしければそちらはご検討いただけませんか?」
う、うーん……昨日断ってるしなあ…1000円かあ……まあ、5000円に比べたら、少しくらいならいいかあ。
「ありがとうございます!」
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一旦断ることで、相手に「貸しを作ってしまった」と思わせることができるようです。
そうなると、返報性の原理(恩には恩で報いる、貸しを作ったら必ず返す)が働き、貸しを作ってしまった、
相手が譲歩してくれた(別に本当は譲歩していない)のだから、貸しを返さなくてはならない!
と、そういう気持ちになるらしいのですね。
ですので、上記の例のように、譲歩してもらったら「払ってあげようかな」ということになるわけです。
さてさて、こういう話はインターネット社会、どこにでもありふれた話で、営業の人が見ても珍しくも
なんともないくらいありふれたテクニックになってしまっています。
でも、真剣に心理学(の一部)を学んで、そうか、明日からこいつを使ってみよう!
と考える人も少なくないわけです。
「テクニック」と名の付くものは要注意です。
特に人間関係が絡んでくるテクニックに関しては。
(スポーツだったり、作業や数式処理とか、そういうときに使うテクニックは別にどうぞそのままお使いください)
Foot in the doorも、Door in the faceも、どちらも人間が人間に対して使用する「説得」のためのテクニックです。
対人間になると、テクニックはあくまで「道具」の一つとなります。
「道具」ということは、それを使用する自分物の習熟度・修練度によって、ものすごい威力を発揮するときも
あれば、まるで効果を発揮しないときもある、ということになります。
たとえば、私たち素人が斧を持ったところで、薪をきれいに割ったり、木を切り倒すことは容易ではありません。
しかしながらその道のプロ、アウトドアの専門家や木こりさんが斧を持つと、それこそ紙でも割くように
スパスパ木を切ってしまうわけです。
テクニックは使い手次第で素晴らしいものにもなるし、使い方を間違うと無意味どころか凶器にもなりえます。
なので、心理テクニックと世にあふれる者たちは、「使うもののレディネス(心構えや向き合い方)」が大切。
たとえば、上記の例で「恵まれない子供たちへ募金を!」とお願いしている人が、
A 「どこかはかなげだが凛としたまなざしを持ち、真剣に、思い切り声を張り上げている
制服を着た女子中学生」
B 「いかにも金持ちそうな服装で、ごてごてした宝石の指輪を付け、
イヤイヤやらされているふてぶてしい態度の中年の女性」
の2名がいるとしたら、あなたはどちらに募金しに行きますか?
つまり、そういうことなのです。
たとえ二人が同じメッセージを同じ声で発したとしても、たぶんAに行くんだと思います。
このように、説得的コミュニケーションは説得をしようとしている人物の
・信頼性
・専門性
・親近性
・誠実性
など、諸所の要件を加味して効果が決定されます。
むしろ、テクニックよりもこちらの方が重要な場面も少なくありません。
とうぜんこういった性質は、見た目や生まれながらに身についているものもあるのですが、
話している人の態度や話している内容でも上下することがよく言われます。
つまり、努力次第で道具の使い手の部分も向上させることができる、ということです。
テクニックばかり身に着けても、この重要な使い手の要素に思いが至らなければ、
決してよい営業はできません。
だから、テクニックばかり羅列している「テクニック本」は、いいようで半分しか的を得ていない、
そういうわけですね。
ちなみに、ですが。
私の師匠何人かいますが、そのうちのお一人が、今から20年位前に……
「いいか、飲み屋の姉ちゃんを見習え。営業やるなら飲み屋の姉ちゃんに学べ。カウンセラーもだ。
あそこは相手の心に語り掛けるすべての技術(テクニック)と心構えが学べるぞ!」
と酔っぱらいながらお話しされていました。
それが本当の学びになるかどうかはこの年になるまで定かではありませんが、
お師匠様は日本を代表する心理学者になったのは、なんだかそのこと抜きの偶然ではない気もしています。