あの日から3年の月日が流れた。
今でも目をつぶると、あの時の光景が映る。
3/11
東日本大震災があった日。
当時参加していた全日本プロレス一行は、宮城県石巻市での試合の為に東北自動車道から乗継ぎ高速道路を走っていた。
仙台空港を過ぎ、もうすぐ石巻というところで異変は起きた。
「今日から東北巡業だ~」とのんきにバスに乗っていたら、
バスの中に聞いたことの無い音楽が流れた。
選手が持っている携帯電話からそれぞれ不思議なメロディが流れた。
そして一人の選手が叫んだ。
「地震が来るって携帯から警告が流れました!」
次の瞬間、突然バスの運転手が大声で叫んだ。
「地震です!緊急停止しますっ!」
ん?地震?
ちょっと大袈裟な…そう思った矢先に路肩に停めたバス。
んんん?地震なんて…
言いかけた途端に「ドーン!」という音と共にバスは揺れた。
うわわっ
地震だ…
焦って立ち上がったオレは余りの揺れの大きさに隣の座席に吹き飛んでしまった。
どれぐらい揺れただろうか…
今まで感じたことの無い大きな揺れと共に恐怖感が襲ってきた。
運転手が再び大きな声で叫んだ。
「ココは橋状になっている場所で危険なので移動します!」
ゆっくりバスが動いた。
すると今まで自分達がいた場所が崩れ、真下を走っていた水道管が破裂し水が噴水の如く噴き出した。
再び揺れ始めた。
バスはまた緊急停止した。
今度は冷静に周りをみる。
高速道路の外灯の柱が、まるで釣竿を振り回しているかのようにビュンビュンと曲った。
乗っていた高速道路は、まるではためく旗のように波を打っていた。
直感した。
ヤバイ…
なんとか揺れが収まった。
辺りを見渡すと見えるのは変形した高速道路と田畑ダケ。
尋常ではない何かが起きたコトはわかるが、そこから町の変化は見られなかった。
即座に高速道路は通行止めになり、次の出口で降りることになった。
降りた所は周りを全て田畑に囲まれたところだった。
このまま停車し、状況を確認することになった。
携帯電話で各方面へ連絡をとることになったのだが、どこの携帯電話も繋がらない。
不安の中、運転手の「ココは安全」という判断でその場待機になった。
でもこのままではラチがあかない。
何とか外部と連絡が取れた選手が言った。
「とりあえず会社の判断で今日の試合は中止です。その先は今後の状況を見てから決めます。とにかく状況が全くわかりませんが、東京も含め大惨事になっているみたいです。今から動くのは危険です。奇跡的にこの場所は大丈夫そうなので今晩一晩はココで明かし、明朝の早朝に東京へ出発します。これから暗くなるので、道路や町がどうなっているのか確認出来ないので危険だからそうします。これは運転手さんの判断で、こうゆう時はムリしてでも動かないと帰れなくなるという判断です…」
偶然、巡業用に持っていた大量の水。
これを敵味方関係無く配った。
それで一夜を明かした。
外は雪が降ってきた。
寒い。
運転手さんが東京に戻るのに十分なガソリンが入っているとのことで、エンジンをかけ暖房を入れてくれた。
そして車載テレビをつけると、そこには信じられない光景が映っていた。
まず目に飛び込んできたのはヘルメットをかぶり、必死に視聴者に安全確保を訴えるアナウンサー。
次に映ったのは仙台空港が津波にのまれる映像。
さっき通って来たところだ。
とたんに皆青ざめた。
すると、再びゴゴゴゴゴ~っという音と共に揺れ始めた。
恐怖と不安の中で夜を過ごした。
さすがに一睡も出来ずにいたが、うっすら空が明るくなって来た頃に出発します!との声。
そこから17時間くらいかけて一般道で帰って来た。
そこで見た光景…
ペシャンコに崩れた家…家…家…
その家の前で泣き崩れる人…人…人…
亀裂の入った道…
コンビニに群がる人…
目を覆いたくなる様な光景…
でもオレは目をそらさずに見続けた。
一度、道の駅に降り、トイレ休憩。
そこで一人の青年がバスをみつけ話しかけてきた。
振り絞る様な声で、
でも目はまっすぐに、
力強く話しかけてきた。
「ジツは昨日石巻の全日本を観にいく予定だったんです。観にいく途中に街がこんなになっちゃって。今も家族とは誰とも連絡がとれてません。でも、でも、街は必ず!必ず僕達がなんとかします!みなさんは早く東京に逃げて下さい。そして街は僕らが必ず…必ず元通りにします!プロレスは僕らにとって本当に大切なものなんです。必ずまたプロレスをみせに来てください。街は僕らがなんとかしますから。お願いします。」
最後は涙混じりの声だった。
その時は確証なんかなかった。
だけど、そのまっすぐな目をそらすことは出来なかった。
「大丈夫だよ。必ずまた来るよ。ありがとう。」
青年と固い握手をし、別れた…。
バスは一路東京へ向けて出発した。
頭の中で繰り返される青年の言葉…。
あれから3年…
今もまだ大変な生活を送る人達がいる。
オレは何か出来たのだろうか?
オレはプロレスラーとして、まだ何か出来ることがあるんじゃないか?
プロレスラーだからしなければならないことがあるんじゃないか…。
過去に起きたコトは風化されて行く。
しかしオレの中であの日のことは風化されることはない。
3/11
またあの日がやって来た。
今も正直にこう思う時がある。
「オレはあの日、本当は逃げ出したんじゃないのか?」
「あの日こそ何かをするべきだったんじゃないのか?」
しかしあの日決意して今も心にある言葉がある。
「オレはプロレスラーとして最後まで逃げない」と。
これからも胸を張って日本中の人達にプロレスを届けたいと思う。
もうひとつ。
今でも目をつぶると、あの時の光景が映る。
3/11
東日本大震災があった日。
当時参加していた全日本プロレス一行は、宮城県石巻市での試合の為に東北自動車道から乗継ぎ高速道路を走っていた。
仙台空港を過ぎ、もうすぐ石巻というところで異変は起きた。
「今日から東北巡業だ~」とのんきにバスに乗っていたら、
バスの中に聞いたことの無い音楽が流れた。
選手が持っている携帯電話からそれぞれ不思議なメロディが流れた。
そして一人の選手が叫んだ。
「地震が来るって携帯から警告が流れました!」
次の瞬間、突然バスの運転手が大声で叫んだ。
「地震です!緊急停止しますっ!」
ん?地震?
ちょっと大袈裟な…そう思った矢先に路肩に停めたバス。
んんん?地震なんて…
言いかけた途端に「ドーン!」という音と共にバスは揺れた。
うわわっ
地震だ…
焦って立ち上がったオレは余りの揺れの大きさに隣の座席に吹き飛んでしまった。
どれぐらい揺れただろうか…
今まで感じたことの無い大きな揺れと共に恐怖感が襲ってきた。
運転手が再び大きな声で叫んだ。
「ココは橋状になっている場所で危険なので移動します!」
ゆっくりバスが動いた。
すると今まで自分達がいた場所が崩れ、真下を走っていた水道管が破裂し水が噴水の如く噴き出した。
再び揺れ始めた。
バスはまた緊急停止した。
今度は冷静に周りをみる。
高速道路の外灯の柱が、まるで釣竿を振り回しているかのようにビュンビュンと曲った。
乗っていた高速道路は、まるではためく旗のように波を打っていた。
直感した。
ヤバイ…
なんとか揺れが収まった。
辺りを見渡すと見えるのは変形した高速道路と田畑ダケ。
尋常ではない何かが起きたコトはわかるが、そこから町の変化は見られなかった。
即座に高速道路は通行止めになり、次の出口で降りることになった。
降りた所は周りを全て田畑に囲まれたところだった。
このまま停車し、状況を確認することになった。
携帯電話で各方面へ連絡をとることになったのだが、どこの携帯電話も繋がらない。
不安の中、運転手の「ココは安全」という判断でその場待機になった。
でもこのままではラチがあかない。
何とか外部と連絡が取れた選手が言った。
「とりあえず会社の判断で今日の試合は中止です。その先は今後の状況を見てから決めます。とにかく状況が全くわかりませんが、東京も含め大惨事になっているみたいです。今から動くのは危険です。奇跡的にこの場所は大丈夫そうなので今晩一晩はココで明かし、明朝の早朝に東京へ出発します。これから暗くなるので、道路や町がどうなっているのか確認出来ないので危険だからそうします。これは運転手さんの判断で、こうゆう時はムリしてでも動かないと帰れなくなるという判断です…」
偶然、巡業用に持っていた大量の水。
これを敵味方関係無く配った。
それで一夜を明かした。
外は雪が降ってきた。
寒い。
運転手さんが東京に戻るのに十分なガソリンが入っているとのことで、エンジンをかけ暖房を入れてくれた。
そして車載テレビをつけると、そこには信じられない光景が映っていた。
まず目に飛び込んできたのはヘルメットをかぶり、必死に視聴者に安全確保を訴えるアナウンサー。
次に映ったのは仙台空港が津波にのまれる映像。
さっき通って来たところだ。
とたんに皆青ざめた。
すると、再びゴゴゴゴゴ~っという音と共に揺れ始めた。
恐怖と不安の中で夜を過ごした。
さすがに一睡も出来ずにいたが、うっすら空が明るくなって来た頃に出発します!との声。
そこから17時間くらいかけて一般道で帰って来た。
そこで見た光景…
ペシャンコに崩れた家…家…家…
その家の前で泣き崩れる人…人…人…
亀裂の入った道…
コンビニに群がる人…
目を覆いたくなる様な光景…
でもオレは目をそらさずに見続けた。
一度、道の駅に降り、トイレ休憩。
そこで一人の青年がバスをみつけ話しかけてきた。
振り絞る様な声で、
でも目はまっすぐに、
力強く話しかけてきた。
「ジツは昨日石巻の全日本を観にいく予定だったんです。観にいく途中に街がこんなになっちゃって。今も家族とは誰とも連絡がとれてません。でも、でも、街は必ず!必ず僕達がなんとかします!みなさんは早く東京に逃げて下さい。そして街は僕らが必ず…必ず元通りにします!プロレスは僕らにとって本当に大切なものなんです。必ずまたプロレスをみせに来てください。街は僕らがなんとかしますから。お願いします。」
最後は涙混じりの声だった。
その時は確証なんかなかった。
だけど、そのまっすぐな目をそらすことは出来なかった。
「大丈夫だよ。必ずまた来るよ。ありがとう。」
青年と固い握手をし、別れた…。
バスは一路東京へ向けて出発した。
頭の中で繰り返される青年の言葉…。
時を同じくして先に会場設営をしていたリングスタッフ。
会場設営も終わり小休止していた時だった。
ゴゴゴゴゴ~と轟音とともに地面が揺れた。
会場内にいたスタッフは慌てて外に飛び出した。
その中にはフリーで参戦していて設営の手伝いをしていた菊地毅の姿もあった。
崩れ落ちてくる天井。
幸いにも誰一人とケガは無かった。
その後なんの情報も得られないママ時間が過ぎた。
その後、丘の上の会場だったので、たくさんの人々が避難をして来た。
しかしココには何もない。
安全ではあったそうだが、道路は遮断され身動きが取れなくなってしまった。
停電の為に会場にあった自動販売機も止まり飲み水もない中、リングスタッフのボスである黒木さんが機転をきかせた。
会場照明用の発電機を作動させ、自動販売機につなぎ飲み物を取り出しみんなに配った。
不安の残る中、たくさんの避難してきた人達と夜を明かした。
会場は小高い丘の上。
数日が過ぎた頃…
自衛隊がやって来て「ココは安置所になる」と告げられた。
自衛隊に先導され山路を走り石巻を脱出。
全員無事に東京へ戻って来た。
オレ達が見ることの無かった、たくさんの
物凄い光景を見てきたそうだ。
もう一台の選手バスは、その時に塩釜の海沿いを走っていたそうだ。
地震直後に全ての信号機が止まったが、もう近くなのでとりあえず会場を目指していた。
すると、自衛隊の車がやって来て「津波が来るぞ!先導するから早く逃げて!」と言われ沿岸部から間一髪逃れたらしい。
個人で移動していた近藤修司と携帯サイトの記者は、その時仙台と石巻をつなぐ「仙石線」に乗っていた。
ひとつの駅を通過し、もうすぐ石巻…ってところで地震にあった。
電車は止まり、どうする事も出来なかった。
すると車掌が状況を把握する為に今通り過ぎた駅に歩いて戻った。
しばらくして電車に戻った車掌は1人のおじいさんを連れてきた。
駅で電車を待っていたが津波にのみ込まれ、なんとか駅の天井にしがみ付いていたらしい。
一緒に電車を待っていたツレのお婆さんと途中まで手を握っていたらしいが、お婆さんは流されてしまったと話した。
ビショビショのままだったので、近藤修司は巡業バッグの中から着れるものを渡し、着替えてもらったと言っていた。
「このままだとココから動けなくなる」と直感した近藤は数人で山を登って歩いて脱出を試みた。
偶然道でタクシーを見付け、運転手に今の状況を教えてもらった。
タクシー運転手のはからいで、山形方面へ逃げた方がイイと聞かされ、ラッキーにも乗せてもらうコトになった。
山形~新潟を経由し東京に無事に帰ってきたらしい。
こうしてあの時の全日本プロレス関係者は、「あの日」「あの場所」にいたにもかかわらず「誰一人欠かず」に東京へ帰ってきた。
あれから3年…
今もまだ大変な生活を送る人達がいる。
オレは何か出来たのだろうか?
オレはプロレスラーとして、まだ何か出来ることがあるんじゃないか?
プロレスラーだからしなければならないことがあるんじゃないか…。
過去に起きたコトは風化されて行く。
しかしオレの中であの日のことは風化されることはない。
3/11
またあの日がやって来た。
今も正直にこう思う時がある。
「オレはあの日、本当は逃げ出したんじゃないのか?」
「あの日こそ何かをするべきだったんじゃないのか?」
しかしあの日決意して今も心にある言葉がある。
「オレはプロレスラーとして最後まで逃げない」と。
これからも胸を張って日本中の人達にプロレスを届けたいと思う。
もうひとつ。
あの日あの場所にいた「全日本プロレス一行」は、全員「意味があってオレ達は生かされた」と思うようになった。
そしてオレは今日、再び東北の地へプロレスを届ける為に東北道を北上する…。
この文章は、携帯サイト「プロレス/格闘技DX」に掲載されたものを加筆、修正して書きました。
ひとりでも多くの人へ届けたい。
ただそれだけ。。。