メタボからの脱出、低インスリンか糖質制限か?
人はなぜ太るの?
クマは餌をたらふく食べてメタボ状態で冬ごもりし、春先にガリガリの体で穴から出ます。人間にもエネルギーを脂肪として体に貯える能力が備わっていますが、冬眠しないのにご馳走を食べ続け、作業するときも移動するときも文明の利器に頼ります。ですから、現代人は食べ過ぎで、運動不足になっています。こうして人間は簡単に太りますが、肥満は万病のもとなので多くの人がダイエットに励みます。その歴史は長く試行錯誤の末に糖質カットにたどり着きました。少し前まで多くの医師が糖質制限に異を唱えていましたが、最近の調査では糖質制限賛成派が優勢になりつつあります。糖質制限が糖尿病やメタボの治療のみならず一般の健康法として認められるかどうかはわかりませんが、大事な考え方であることは間違いなく、その理解には若干の基礎知識が必要です。
メタボの鍵を握る糖代謝にはインスリンとグルカゴンというホルモンが深く関わっています。まず、食物を摂取して血糖値が上がるとすい臓のβ細胞からインスリンが分泌されます。すると、糖分は筋肉や肝臓に運ばれてグリコーゲンになり必要な時にエネルギーとして消費されますが、余った糖分は中性脂肪として脂肪組織や肝臓に蓄積されます。一方、インスリンによって血糖値が下がって空腹を感じる頃になるとすい臓からグルカゴンが分泌され、肝臓のグリコーゲンを分解して血糖値を上げるとともに脂肪を分解して糖の新生を促進します。つまり、インスリンが血糖値を下げて体脂肪を溜めるのに対し、グルカゴンは血糖値を上げて体脂肪を分解すると覚えてください。
もう一つ、インクレチンと総称される消化管ホルモンがあります。食事をして血糖値が上がるとインスリンが働いて血糖値を下げますが、これとは別に食物が小腸に送り込まれると腸壁からインクレチンが分泌され、β細胞のインスリン分泌を促し、グルカゴン分泌を抑えて血糖値を下げるように働きます。しかし、興味深いことに血糖値が低いときにはインクレチンは働きません。したがって、インクレチンは高血糖を安全にコントロールするホルモンであり、その特徴を応用したインクレチン関連薬が糖尿病の治療に広く用いられています。
さて、40歳を過ぎて運動量が減っても、食べる量は若い頃のままで酒量は増えるばかり、するとどうなるでしょう?
まず、どんどん増えた脂肪細胞から悪い因子が分泌されてインスリンの効き目が悪くなります。これをインスリン抵抗性と呼んでいます。インスリン抵抗性が存在すると運搬されない血糖が血中に溢れ、それを下げようとして膵臓から過剰のインスリンが分泌されるようになります。この過剰のインスリンが高血圧や脂質代謝異常を引き起こし、体脂肪の蓄積を推進して肥満を助長します。これがメタボリックシンドロームと呼ばれる状態で、放置すれば糖尿病へ移行する可能性があります。この場合、遺伝的にインスリン分泌能が高い欧米人は過食によって肥満になっても糖尿病にはなりにくいのに対し、インスリン分泌能が低い日本人は高度の肥満にならないまま高血糖が続いて糖尿病に移行しやすいという特徴があります。インスリンが肥満ホルモンと呼ばれる所以です。
メタボからの脱出
カロリー計算は難しい!
メタボやその予備群と判定された人は摂取カロリーを消費カロリーより低く抑えて脂肪を燃焼させる必要があります。たとえば、「日本人の食事摂取基準(2015)」によれば60歳、男性、事務職の推定エネルギー必要量は1日2100kcalです。脂肪1kgの熱量は7200kcalなので、7200kcal÷30日=240kcal、つまり2100kcalから毎日240kcal減らせばその男性の体脂肪は1か月で1㎏減るはずです。しかし、実際には計算通りになりません。一般の人にとってカロリー計算は簡単ではないし、エネルギー摂取量は食物の栄養成分や食物繊維の含有量に影響され、エネルギー消費量はその人の基礎代謝量によって変わるからです。さらに、ダイエットしても均等に減量できるとは限らず、停滞期に入ってしまうことを多くの人が経験済みです。
問題は食後血糖とインスリン分泌にあり!
炭水化物をガッツリ食べて血糖値がドンと上がるとインスリンが大量に分泌されて血糖値をドンと下げ、このときに余分な糖分が体脂肪として蓄積されます。こうして肥満からメタボへ、遂にはインスリンが枯渇して糖尿病へ移行します。人はときに過激なダイエットに挑戦します。エネルギーが不足して血糖値が下がるとグルカゴンの働きで脂肪が分解され、グリセロールやアミノ酸を原料として糖を新生するモードにシフトします。体はアミノ酸を供給するために筋肉を異化させて糖新生を維持し、さらに飢餓状態が続けば脳を守るために脂肪酸からケトン体という物質を作って栄養源とします。これで体脂肪は確実に減りますが、いいことばかりではありません。筋肉量が減少して基礎代謝が下がればむしろ逆効果で、カロリー不足から貧血や骨粗しょう症などが生じることもあり、ケトン体が溜まり過ぎると危険なケトアシドーシスを起こす場合もあります。過激なダイエットを敢行しても問題は解決しないのです。
長い間、メタボや糖尿病の対策として適正体重から割り出した適正カロリーの食事療法と運動療法が行われてきましたが、期待したほど効果が上がらないことが医師や栄養士の悩みの種でした。一般の人にとってカロリーコントロールはむずかしいうえにウォーキング以外の運動療法が長続きしないからです。メタボと糖尿病対策の核心部分は食後高血糖の是正とインスリン分泌の抑制にあります。炭水化物中の糖質は確実に血糖を上昇させますが、炭水化物中の食物繊維は消化吸収を遅らせて血糖の上昇を抑えます。一方、脂質とタンパク質はインクレチンの分泌を促して血糖上昇を抑えつつ満腹感が得られます。ここがミソです。このような背景の中で、低インスリンダイエットや糖質制限ダイエットが考案されるようになりました。
低インスリンダイエットの考え方
GIって何?
低インスリンダイエットの理解に必要なのがGI(グリセミック・インデックス)で、1981年にトロント大学のジェンキンス博士によって提唱された概念です。GIは食品によって血糖値が上昇するスピードを表し、数値が高いほど血糖値が上昇しやすく、インスリンを多く消費して脂肪が蓄積されると判断します。低インスリンダイエットではGI 55~60を目安にして、それよりGIの高い食材(太りやすい食材)をGIの低い食材(太りにくい食材)に置き換えていきます。たとえば、主食では白米や餅より玄米や五穀米、食パンやフランスパンよりライ麦パンや全粒パン、うどんよりそばを選ぶ、デザートではチョコレートケーキよりチーズケーキを選ぶといった要領です。GIは食物繊維、タンパク質、脂質などの含有量に影響されるからです。しかし、太りにくい食材でも食べ過ぎれば総カロリーが上がってしまうので同じことです。注意すべきは果物に含まれる果糖で、GIは低く血糖値は上がりにくいのですが体内で中性脂肪に変わるため食べ過ぎは禁物です。血糖の急激な上昇は調理法とも関係があります。一般に、食品を加工すればするほど消化が速く血糖値が上がりやすいため、ラーメンやパスタはやや硬く茹でるほうが血糖上昇を抑えられます。ただし、硬めに炊いた玄米や麦ごはんと同様に消化吸収が遅くなって消化器への負担が増すので、胃腸の具合が悪いときは迷わず白粥に変えて負担を軽減してください。
セカンドミール効果の重要性について
ジェンキンス博士はGIの概念を提唱した翌年の1982年にセカンドミール効果を発表しました。要約すれば、1回目の食事(ファーストミール)で低GI食品を食べると直後の血糖のみならず次の食事(セカンドミール)の食後血糖にも影響を与えるということです。この考え方は肥満やメタボの予防に対して非常に多くのヒントを与えています。まずは朝食の習慣を付けることが大切で、食物繊維が豊富で低糖・高タンパクの食品を選んでください。自宅で朝食をとる余裕がなければファーストフードでもよく、食物繊維を意識してハンバーガーにはミネストローネやサイドサラダを添え、立ち食いそばにはワカメ、とろろ、大根おろしなどをトッピングしてください。そばに卵や天ぷらを加えると総カロリーは上がりますが、タンパクや脂質が増えるので食後血糖は上がりにくくなり、セカンドミール効果も期待できます。もちろん、タンパクと脂質を無限に増やしてもいいことにはならず限度があります。そのさじ加減については、まずは自分なりにトライし、1か月毎に腹囲や体重の変化で判断するといった個々の検証が必要でしょう。
糖質制限ダイエットの考え方
低インスリンダイエットが「糖質の質」に着目するのに対し、糖質制限ダイエットは「糖質の量」を問題にします。両者には血糖値の急激な上昇とインスリン分泌を抑えるという共通点があるものの、炭水化物の摂取量が違います。
日本人は糖質過多?
厚労省は炭水化物の必要量について総エネルギー摂取量の50~65%を目安としています。これはタンパク質と脂質の必要量から逆算して得られた数字で、日本人の平均的な炭水化物摂取比率に合致していることから用いられるようになりました。たとえば、60歳、男性、事務職の1日のエネルギー必要量2100kcalの場合、糖質の目安は約1200kcal、1gが4kcalとして糖質300gの熱量になります。ご飯に換算すると1日5~6膳、1食当たり約2膳ですが、これが多過ぎるかどうかは個人の活動量や筋肉量に大きく影響されるため一概には言えません。活動量の多い若い世代や肉体労働の多い職種なら問題ありませんが、中年期以降でデスクワークがメインの人にとって日本人の平均摂取量である1日300gの糖質は要注意で、食習慣によっては食後高血糖を繰り返し、体脂肪が蓄積して肥満やメタボに移行する可能性が大きいと思います。
マイルドな糖質制限が糖尿病を救う?
アメリカの糖尿病学会は1日130g以下の糖質制限を採用していますが、日本の糖尿病学会は糖質制限に対して慎重な姿勢を崩していません。糖質のみを制限することの長期安全性が担保されてないからです。したがって日本における糖尿病治療の基本は依然、カロリー制限と運動療法です。これに対し、北里研究所病院糖尿病センターの山田悟氏は、1日の糖質量を130g以下、1食40g以下に制限すれば総カロリーの制限をしなくても血糖や中性脂肪の改善が得られることを明らかにしました。つまり、1食の糖質を40g(160kcal)以下に抑えれば、タンパクや脂質を好きなだけ食べても糖尿病がよくなると言うのです。もし、この方法で食後の血糖上昇がなだらかになるのであれば、糖尿病のみならず肥満やメタボの脂肪燃焼にも有効で、何よりダイエットのストレスが少ないことが利点です。ただし、脂質摂取が増えるためその種類(動物脂肪を取り過ぎずオメガ3系と9系を意識)には注意を払い、タンパク摂取が増えるため腎機能障害がある人に配慮する必要があります。1日の糖質量を50g以下にしてケトン体産生を促すケトジェニックダイエットを推奨する研究者もいますが、長期安全性の問題もあり、そもそも炭水化物が極端に少なくタンパクと脂質の量が極端に多い食事は日常生活においてやや非現実的です。
イメージとしては、夕食の主食を抜くのが初歩的な糖質制限、3食の主食を半分に減らすのがマイルドな糖質制限、3食の主食をすべてカットするのがケトジェニックです。しかし、自分なりに低GI食や糖質制限を試しても減量できない場合は、やはり総カロリーを見直すことが必要でしょう。もちろん運動療法を並行して行う方が効果的です。
脳がわかれば心がわかる?
6名グループの実験台にウサギを1匹ずつ置くと、
「よく観察して、わかったことをレポートにまとめなさい」
と言っていなくなった。
半数の学生がスケッチをして時間をつぶしたが、たまりかねた数名が教授に直談判をした。
「意味がわかりません」
と抗議すると、
「解剖して得られる知識は限られている。まずは観察しなさい」
とくりかえすのみであった。
時は流れ、卒業謝恩パーティの席で、「大きな夢をありがとう」というメッセージを添え、教授に感謝状と三角帽子付きのパジャマを贈った。
「いつも、大風呂敷を広げるだけで、感謝状なんて…」
壇上で、教授は言葉を詰まらせた。
だが、結局、あの実習で教授が何を言いたかったのかはわからずじまいであった。
はなしは変わる。
「我思う、ゆえに我あり」
そう言った哲学者デカルトは、心と身体が独立して存在すると考え、人間の精神世界である心の局在を脳の中心部にある松果体に求めた。人間の心が「私」という自我意識を生むのだが、心が生み出す意識の正体とその局在については、脳科学が進化した今でも不明である。
ジム・アル-カリーリ氏らは人間の意識についてこう述べている。
フランス南部のショーヴェ洞窟に、上半身がバイソンで下半身が人間という壁画がある。三万年以上も前、作者にはバイソン狩りをする勇敢な仲間の記憶があり、半獣人のイメージが湧き、それを描こうと思い立ったのだろう。つまり、その画家には、異なる情報を理解して一つの観念にまとめあげる意識があったと理解すべきで、その命令が脳から脊髄に伝わって絵筆を持つ筋肉を収縮させたのである。
では、意識はどこにあって、どうやってその命令が伝達されたのか?
脳でも脊髄でも、神経の内部では活動電位という物理的刺激によって、神経と神経を結ぶシナプスでは神経伝達物質という化学的刺激によって情報の伝達が行われ、それ以外の特別なからくりは存在しない。つまり、上記プロセスのどこにも、画家に壁画を描かせた精神世界としての意識が存在する直接の証拠は見当たらず、デカルトが主張した霊的な存在、即ち魂が関与する余地はないというのだ。(ジム・アル-カリーリ、ジョンジョー・マクファデン『量子力学で生命の謎を解く』SBクリエイティブ、2015)
意識を生む心の世界が脳にあるのか、それともまったく別に存在するのか、これを心脳問題と呼ぶ。心脳問題には哲学的な議論と科学的なアプローチがあるが、まずは科学のはなしから。
神経科学者のスーザン・グリーンフィールド氏によれば、動物と植物の決定的な違いは動くか否かにある。多細胞で動ける生物には原始的な脳があり、その起源はホヤの幼生に始まる。ホヤの幼生は動き回るため、振動や光を感じ取るささやかな脳の機能をもっているが、成長すると岩に張りついて動かなくなるため脳の機能は消失する。この詳細な観察記録は昭和天皇の業績である。動物はあちこち動き回って様々な事象に対処せざるを得ないため、感覚器や脳のはたらきをもつ個体へと進化した。(スーザン・グリーンフィールド『脳が心を生みだすとき』草思社、1999)
脳科学研究で有名な池谷裕二氏によれば、人間と他の動物との違いは自我意識の有無にあり、それは大脳皮質の発達に由来するという。大脳皮質には、前頭部と頭頂部の境界あたりに運動と知覚、後頭部に視覚、側頭部に聴覚、左前頭下部に運動性言語などの大切な機能が局在している。それぞれの部位が損傷されれば、それに対応した機能障害、たとえば片麻痺、失語症、視覚障害などが生じると考えてよい。
ショーヴェ洞窟の画家の絵筆を動かしたのは、大脳皮質の運動野から筋肉への命令のアウトプットであり、それは意志によって動く随意運動である。
一方、大脳基底核と呼ばれる大脳皮質の深い部分が障害されるとパーキンソン病やジストニアのような不随意運動が起こり、小脳がダメージを受けると平衡感覚が悪くなる。つまり、大脳皮質、大脳基底核、小脳のネットワークが人間の運動をコントロールしていると考えてよい。
一方、画家の脳裏には、角を突き合わせるバイソンの姿、鳴き声、臭い、そして狩りで得られた肉の味や毛皮の触感があったはずだ。それらは目、耳、鼻、舌、皮膚から大脳皮質への情報のインプットによって生まれ、記憶として蓄積される。
どこに?
記憶の障害が起こるアルツハイマー病では側頭葉の内側の海馬(かいば)に病変が見られる。池谷裕二著『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』(新星出版社、2015)によれば、海馬から送られた記憶の情報が大脳皮質に特別な回路を形成し、それが再現されて記憶がよみがえるという。
運動と感覚はよいとして、心の世界は一体どこにある?
洞窟で暮らした古代人は、仲間や家族が越冬するのに十分なバイソンの捕獲数を計算し、周到に狩りの準備をし、皆で力を合わせて実行に移した。肉や毛皮を得て幸せを感ずる日もあれば、狩りで恐怖を味わい、仲間を失って悲しみに暮れる日もあったにちがいない。状況を把握し、未来の計画を立て、実行するのは前頭葉が発達した人間ならではの能力である。
では、人間が前頭葉を失うとどうなるか?
映画『カッコーの巣の上で』では、ロボトミー(前部前頭葉切裁術)を受けたジャック・ニコルソン扮するマクマーフィーが無思考、無感情になってしまう。恐ろしいはなしだが、かつて精神科で実際に行われていた治療である。
じゃ、人間の心は前頭葉にあるの?
いや、そんなに単純ではない。認知科学に詳しい安西祐一郎氏によれば、心は、感情、社会性、記憶、思考のようないろいろな要素が複合して起こるが、どの要素も複雑なしくみのうえに成立している。たとえば、恐怖心のような感情は、視床や扁桃体が関与する意識にのぼらない生理的反応と、意識のうえでの思考、記憶、ことばなどのはたらきが相まって起こる。(安西祐一郎『心と脳―認知科学入門』岩波書店、2011)
つまり、心とは、様々な部位を結ぶ神経回路の相互作用によって生まれる機能であり、状態であって、物質ではない。そもそも、物質である脳と、状態である心とを並列に議論すること自体に無理がある。解剖学者の養老孟司氏はその著『唯脳論』において、物質である心臓をいくら分解しても循環という機能は見えないように、脳をいくら分解しても心は見えてこない。つまり、脳と心は、同じ「なにか」を違う見方で見たものであると述べている。
さて、心脳問題は2000年以上前のヒポクラテスの時代から連綿と議論されてきた。その経緯と考え方は、山本貴光、吉川浩満著『心脳問題―「脳の世紀」を生き抜く』(朝日出版社、2004)に簡潔にまとめられている。
特に、「脳がわかれば心がわかる」という現代の風潮を、「科学の越権行為」と批判するくだりが印象的である。哲学者の大森荘蔵氏によれば、科学による自然現象の記述は、人間の感覚や感情にかかわること、つまり心にかかわることを排除するために、自然を「死物化」している。バイソン狩りに失敗した古代人で言えば、わなわな震えるような恐怖心を抱いたはずだ。それを「視床と扁桃体と大脳皮質のネットワークが…」と詳細に記述したところで、主観的な恐怖を表すことはできない。
科学の目的は同一の言語で自然を法則化することであって、それは必ずしも自然の本質を探求してはいない。脳がわかれば心がわかるわけではない。心脳問題に対する解答は得られないものの、その主張は道理である。
ここで、はたと気がついた。
あのとき、島崎教授が言いたかったことはこれだ。ウサギを解剖して得られるのは、同一の言語で法則化された事実の確認であって、ウサギの本質ではない。確かに大風呂敷だが、そんな教授がいてもいい。いや、ひょっとして教授は、臨床医を目指す医学生に対し、病気を探る前に病人をみろと伝えようとしたのかもしれない。
人間の心を探る旅は五里霧中だが、思わぬ収穫であった。
双子のテレパシーは量子もつれ?
若い頃のテニス仲間にコージとケンジの双子の兄弟がいた。家業は寿司店。頑固おやじの大将が黙々と寿司を握り、脇で兄のコージがすだれを巻き、弟のケンジは出前に走る。名物は酢ガキの軍艦と双子のテレパシー。
「そうそう、この間ね…」とコージが言えば、出前から戻ったケンジが「そうそう、この間ね…」とまるで輪唱のように繰り返す。一卵性双生児はDNAが同一だから言動が一致するのか?
ところで、自然の事物にはシンクロ(同期)するという美しい現象が見られる。たとえば、むく鳥やイワシの群れが一斉にうねり、蛍が同調して発光し、コオロギが唱和する。心筋細胞が同時に収縮して心臓の拍動が起こるのもそうである。人間も集団でいると知らずに歩調が合ったり、どっと笑ったり、思わず拍手したりする。もっと広げれば、景気予感などは社会的な同期現象と言ってよいだろう。
元来、同期現象は二つの振り子時計の振り子が何時の間にか同調する現象として知られ、メトロノームの実験で見事に再現される。この場合、振り子やメトロノームが近接していることが条件で、その謎は振動の伝わりにあるらしい。
非線形力学が専門のスティーブン・ストロガッツ氏はミクロの世界から宇宙空間に至る多彩な同期現象を挙げている。たとえば、レーザー光が広がらずに直進するのは光子の波長、振動数、進行方向が同期するからであり、低温下の超電導状態で電気抵抗がゼロになるのは、ばらばらの電子が一斉に電子対(クーパー対)を作って1つの波のように振る舞うからである。一方、地球から見る月にいつも同じウサギが見えるのは月の自転と公転の回転率がシンクロしているからである。(スティーブン・ストロガッツ『なぜ自然はシンクロしたがるのか、ハヤカワ文庫、2005』)
ここから本題の「量子もつれ」に入る。
まずは原子構造のおさらいから。原子の中心部には原子核があり、その周囲にマイナスに荷電した電子が存在している。電子にはスピンという属性がある。ちょうど地球が自転しながら太陽を公転するように、電子はコマのようにスピンしながら原子核を周回しているとイメージすればよい。
スピンには右向きと左向きがある。地球は365日で太陽を回り24時間で1回転するため、地球の位置は簡単に確定できるが、ミクロの世界は違う。電子は軌道上のすべての位置で共存する重ね合いの状態にあり、電磁波を当てて観測するまでは位置を確定できない。
同様に、電子のスピンも右向きと左向きが重ね合いの状態にあり、荷電粒子のスピンによって生じた磁場を観測するまでスピンの向きは確定しない。古典的な力学系とは異なり、たとえ時刻を固定しても様々な状態が観測されるのが量子の特徴であり、これを量子状態と表現する。
問題はここからである。
量子状態にある二つの粒子がペアになると、たとえ空間的に離れていても、一つの粒子の測定結果が瞬時に残りの粒子に影響するという不思議な現象が現れる。これが「量子もつれ」である。
量子もつれが世に知られるようになったきっかけは、EPRパラドックスと呼ばれるアインシュタインの論文にある。要点を述べると、アインシュタインは一つの粒子が反対方向のスピンをもつ二つの粒子Aと粒子Bに分裂した場合を想定した。二つの粒子とは、同時に生まれた光子や電子などの双子の粒子を指している。
量子力学では、粒子A、Bが離れていても、粒子Aのスピンの向きを測定すれば、粒子Bのスピンの状態が瞬時に判明すると予想する。もし両者が宇宙的な距離で離れていても相関が成立するなら、情報が超光速で伝達されることを意味し、特殊相対性理論に反してしまうというネガティブな思考実験である。
これだけではピンとこないので、双子の粒子A、Bを、言動がシンクロする双子のコージとケンジに置き換えてみる。
二人は量子状態にあるため、それぞれのスピンの向きは観測するまで確定できない。ケンジが遠くに出前に行ったとき、店にいるコージを見て右にスピンしていればその瞬間にケンジのスピンは左と判明する。鏡に映った姿をイメージしてもよい。
仮に、ケンジが宇宙のかなたに出前に行ったとしよう。それでもケンジのスピンがコージのスピンと瞬時にシンクロするのなら、それは情報が光速を超えて伝達されたことを意味する。そんなバカな、自然界に超光速は存在しないはず、だから量子力学は間違っているという主張である。
ところが約50年後の1982年、フランスのアスぺらはアインシュタインが提起したパラドックスを見事に実証してしまう。一つの原子から反対方向に放出された相関関係をもつ二個の光子を使い、十分離れたところで量子力学的な相関関係が保たれていることを証明した。こうして、アインシュタインが嫌った奇怪な物理現象は、やがて量子もつれの名で知られるようになった。
ちなみに、アスぺらは双子の光子を用いたが、ごく最近、理化学研究所のグループは超伝導体中のクーパー対から1対のもつれ電子を取り出して分離し、空間的に離れた2個の電子のスピンに量子もつれが存在することを確認した。これもすごい話である。
さて、重ね合わせや量子もつれなどの量子現象は一般常識では歯が立たない世界だが、ノーベル物理学賞のリチャード・ファインマンは量子の世界でコンピュータの計算を行うことを思いついた。
コンピュータが扱う情報量の単位の1ビットは0または1の二者択一だが、4ビットになると0000から1111までの16通りの処理が必要となる。ところが量子ビット(キュビット)の場合、4ビットでも重ね合わせによって16通りを同時に選択できるうえに、キュビット同士のもつれが急速に増えるため、計算速度も情報量も飛躍的に向上する。
量子コンピュータとともに、量子テレポーテーション技術も実用化が期待されている。簡単に言えば、双子の粒子の一方に情報を送れば、遠く離れた片方に瞬時に転送されるという理屈である。
量子力学は脳科学にも影響を与えた。
数学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフは、人間の脳は量子コンピュータであると言い出した。ニューロンの内部にはチューブリンと呼ばれるたんぱく質が連なった微小管という構造体があり、それがキュビットのように振る舞い、さらに無数のニューロンのチューブリンたんぱく質が相互に量子もつれの状態にあると考えた。人間の意識はニューロン単位ではなく、微小管がキュビットとしてはたらくことで生まれるというのだ。これに対し量子物理学者のジム・アル-カリーリ氏は、量子的現象は電子や原子のスケールで起こるものであり、微小管はキュビットの候補としては余りにも大きすぎると反論している。(ジム・アル-カリーリ、ジョンジョー・マクファデン『量子力学で生命の謎を解く』、SBクリエイティブ、2015)
ところで、量子もつれのような量子的現象を人体に持ち込む考え方は超心理学の研究にも見られる。
たとえば、親しい関係の二人を別の部屋に隔離して一方に刺激を与えると相手にも同じ刺激の同期現象が起こるというラディン氏らの実験は、心と心が何らかの物理現象でリンクする可能性を示唆している。科学者は念力やテレパシーには見向きもしないが、ラディン氏らの研究は大まじめである。(ディーン・ラディン『量子の宇宙でからみあう心たち』、徳間書店、2007)
すると、冒頭で紹介したコージとケンジの双子のテレパシーも量子もつれか?
残念ながら、テレパシーという現象を確認する方法論が科学にはない。双子にありがちな言動の一致については、単純に考えて時間差をともなえば瞬時に起こる量子もつれには相当しない。それに、1個の卵細胞が分裂して双子になるのはDNAの複製能に基づく細胞分裂であって、卵細胞を構成する原子や電子が分裂するわけではないから、双子の電子のもつれを直接当てはめることはできない。
『量子の宇宙でからみあう心たち』というラディン氏の表現には惹かれるが、議論は進まない。人間と宇宙の謎は深まるばかりである。