年末に、関西遠征した模様をお伝えします。
12月30日にバスタ新宿を出発し、6時過ぎに南草津駅に到着。
石山駅に移動し、徒歩30分移動し7時に建部大社に参拝です。
近江國一之宮です。
一之鳥居
ニ之鳥居
神門
三本杉
摂社末社
水神社
拝殿
菊花石
さざれ石
建部大社由緒
当社は古来、建部大社、建部大明神などと称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国の一之宮として朝野の崇敬篤く、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社です。
御祭神、日本武尊は御年僅に16才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定され、遂に32才にして伊勢の能褒野において崩御されましたが、父君景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられましたこれが即ち建部の起源です。
景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命が、御子稲依別王と共に住まわれていた神崎郡建部の郷に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳4年(675年)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の当大社です。
歴朝の御尊信篤く、武門武将の崇敬枚挙にいとまなく、とくに源頼朝が平家に捕われ、14才にして伊豆に流されるため、京都から関東に下向の折、永暦元年(1160年)3月20日当社に参篭して前途を祈願した事が平治物語に記されています。遂に頼朝は源氏再興の宿願成って、建久元年(1190年)11月右大将として上洛の際、再び社前で祈願成就の神慮に対し、幾多の神宝と神領を寄進して奉賽の誠を尽くされたのです。
爾来当大社が出世開運、除災厄除、商売繁盛、縁結び、医薬醸造の神として広く崇敬される所以です。
HPより
御朱印 たまたま神職の方が居らして、お願いしたら遠方よりお越しいただいたのでと7時半に書いていただきました。
次回は、源氏物語を起筆した石山寺を参拝です。