私は国の品格と人の品格、他国との関係と人間関係などにとても大きな共通性があると考えている。
自国の失政をひた隠し他国の海域に進出を目指すなど、もう今ややりたい放題の東洋の大国、彼らは他国を恫喝したり借金の形に港を奪い取ったり、最近は手がつけられない。
この国の行動はカレーに毒を盛ったあの人とよく似ているように思える。彼女もあの大国同様にバラされて困ることをひた隠しにしたいばかりに他人を攻撃していたのだろうね。そんなことしているから近隣との人間関係を崩壊させてしまう。加えてそういう思い通りにならない苛ちを抑えきれず暴挙に出て万事休す。
こう考えると前述の大国も金で靡く国以外とは国際関係を既に構築できずにその苛立ちで暴挙を繰り返しているのだろう。なびいている国々も金で繋がってるだけだろうから、金の切れ目がなんとやらでやがては孤立して何かしらやっちゃうんだろうね。
私たちの周りでも他人をコントロールすべく裏口などを言いまくってたり言うことを聞かない奴を個人攻撃したりする 人を時々見かける。そんな時はあの大国やカレー事件がすぐに頭に浮かぶから関わらないようにしている。裏口を言われたって心を傷める必要などない。放っておけば孤立していくのはそちらなんだから。
世の中では他人からのかげがに怯える人も多く存在するが上記を手掛かりに放っておけるようになれば楽になると思うんだけどね。
百人一首などの唄は季節の移り変わりや恋心などを唄ったものが多く、そう言う意味では空気が読めない発達障害タイプの人たちはあまり名を残していないのかもしれない。
しかし、深く読み返しているとギフテッドかなと思われる人がいる。誰もが知るなど学問の神様、菅原道真も24番歌で菅家の名で残されている。
このたびは幣もとりあえずたむけ山紅葉の錦神のまにまに
詠んだ歌は宇多天皇の伴をしていた時みたいで、太宰府に流された後の恨めしい気持ちなどなさそうだが、才能を高く評価され宇多天皇に余りに重宝されたために摂関家などからやっかまれていたらしい。宇多天皇の譲位後は濡れ衣を着せられて九州追いやられた。天才肌で出世欲もなく、が故に筋の通らないことを容赦しなかったらしい。そう言うところが敵を多く作ったのだろう。
そしてもう一人、小野篁は小野妹子の子孫らしいが、彼も切れ者で道真と同様に道徳観に厳しく、やはり多くの敵を作っていたと思われる。
わたの原八十島かけてこぎ出でぬと人には伝えよ海の釣り船
11番歌で参議篁として唄われている句。彼もまた濡れ衣を着せられて隠岐に流される際によんだものだとか。しかし、彼の才能を頼って後に京に呼び戻されたらしい。困ったときに助けられるのが彼しかいないと思ったのだろう。
しかし、今の時代も変わらないね。自分たちの都合で濡れ衣を着せたりして隅に追いやって於きながら困ったことがあると都合良く呼び戻して一人働かせる。本当に全く同じ。
そう言えば8番歌の喜撰法師も近いかも。
我が庵は都の辰巳しかぞすむ世をうじ山と人はいうなり
彼の場合は政争とは無関係に宇治の山で一人田舎暮らしを楽しんでいる雰囲気。老子に近い生き方のようにも思える。
私自身もこの 数年間の経験からこういう生き方が良いように感じだした。まだまだ法師の域には遠く及ばないが。
百人一首の中でも教わることは多いね。私は法師のようにのんびりと田舎暮らしを楽しんでこれからも生きていきたいな。
