1/30からスギ花粉に悩まされているみたい。こんなに酷いのは10年ぶりくらい。今朝の体温は36.7℃でそんなに低くないのに。抵抗力が落ちてきたのかな?


そしてもう一つ、また怪我しちゃった。突き指だけど、どうやら骨にヒビが入ってる模様。通院していないから詳細は不明だが、今回も長引きそう。


因みに通院しない理由は、骨折などの場合通院しても治療期間は変わらないし、テーピングで凌げる程度ならギブスしない方が生活しやすい。なので今回は自然治癒で。


原因は野球だったけど、今回もまた怪我の巧妙が訪れているみたい。


突き指したのは右手中指でボールを握るだけでもかなり痛む。これでは練習できない。なので左手で投げて練習している。本来は右投げなので左でも投げれなくはないが距離は半分くらい。でも仕方ないから騙し騙ししている。因みにバッティングは多少の不便はあるが左右両打席とも問題ない。


で、左で投げているといつもと身体の向きが逆で体幹が鍛えられる。そしてパワー不足だった左打ちでボールが遠くに飛ぶようになってきた。


更に腰の使い方を色々研究して行くうちに、股関節の互いを逆方向に捻る使い方だと身体を開かずに打てたり、投げる際も球威制球力ともに向上するのが判った。


阿部慎之助のツイスト打法みたいな腰の使い方だけど、両股関節とも内股に捻るのでイチローのフォームに近いかも。


昨日の練習のフリー打撃で左右とも4本づつ合計8スイングしてホームラン 性の打球が3つ、右中間長打一つ、シングル2本うち1本は泳ぎながら 打球を運べた。残りはファールと内野ゴロ(ともに右)。 ピッチャーがとても良い投球してくれたことが何よりだが、ここまでミート率が上がるとは自分自身でも思わなかった。


周りからは怪我した方が調子良いって茶化されたけど、秘密は当面バラさずに制度を高めるつもり。


この打撃法は2軸両内捻り打法 と命名しようと思ったけど、名前が長いので内股打法にする予定。


おそらく今年も開幕には間に合いそうにないけど、折角怪我したのでしっかり向き合って学ばせて貰います。

百人一首コンプリートした!


歌番と歌と詠み人bそれからおおまかな内容はほぼ間違いなく出るくらいまできた。札とりみたいに決まり字まではやってないけど。


驚いたことが、武士が入っていたこと。一人は鎌倉右大臣、源実朝。彼は選者の藤原定家と親交も深く、和歌にも精通していて、確かに選ばれてしかるべき。


そしてもう一人は西行法師、彼は出家前は平清盛らと北面の武士として宮中に伝えていた侍。俗名が佐藤義清(のりきよ)。彼もまた歌の才能が極めて高い人で、出家後は放浪生活しながら歌を詠んだ天才気質な人。凄くモテたのだとか。


まあそんな人だから2人とも選ばれて当然なんだけど、百人一首って貴族や皇族のイメージ強いから、少し以外だった。


そんで、この後は何を学ぼうか?


 現段階では英語のニュース記事の多読の方に気が向いているけど、どうなることやら。


今後も百人一首は時々復習していくつもり。やり切れた満足感と平安時代の人たちに少し近づけて楽しかった

百人一首は残り2首、後鳥羽院と順徳院のみ。いよいよ大詰め。だけどこれまでの98首の記憶と整理でなかなか前に進めない。


まあ無理する必要もないのでボチボチと進めていきます。


そして、大河ドラマ『光る君へ』の中にも小倉百人一首の詠み人が何人か現れだしたので、リンクさせながら楽しんでいます。


今回の第三話の中では3人紫式部以外に現れたと思われる。一人は藤原公任、道長の友達という形で現れていた。55番歌、大納言公任の名前で記されている。


もう一人は赤染右衛門、紫式部が左大臣の屋敷に訪れた歳に登場していた博識の女性。右衛門なんて名前は石川五右衛門みたいで侍みたいなイメージだけど、この時代はまだ侍が現れる少し前。そしてこの当時は女性の名前は父や結婚相手の役職を元にあざなで呼ばれたらしい。紫式部も父が式部丞だったことから名付けられたらしいし。


そしてもう一人は高階貴子、この人は一話目でも少し顔を出してたけど、道長の長兄の妻。高階家は学者の家系だったと思う。この当時は女性は結婚しても姓を改めなかったらしい。尼将軍で有名な北条政子も源頼朝の妻だけど源政子じゃないでしょ。足利8代義政の 妻の日野富子もそう。で、高階貴子は54番歌で儀同三司(藤原伊周)の母として記されている。


紫式部が57番歌で清少納言が62番歌、時代的には50~70番代辺りが今後も現れてきそう。


またこの後も見つけたらここに記していくつもり。見落としがあったら教えてくれるとうれしいです。 よろしく。