第三部   8.山第二野戦病院 | 沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校(白梅の塔)の生徒の物語です。


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 糸洲の外れにある山部隊の第二野戦病院は武器を手にした衛生兵たちが斬り込みに行く最中でざわめいていた。

 死を覚悟して出て行く衛生兵たちは緊張で顔を引きつらせ、声を掛けるのもはばかられる雰囲気だった。

 千恵子たちは戸板を降ろして、自然壕へと続く急な坂道の上で待った。

 辺りは暗くなって、照明弾が上がり艦砲射撃も始まっていた。

「もう少し、我慢してね」と千恵子は小百合の手を握りながら言った。

「ねえ、チーコ、ここ、かなり急な坂よ。戸板に載せたまま降ろすのは無理なんじゃないの」と朋美が言った。

「そうねえ。誰かに頼んで運んでもらった方がいいかもしれないわね」

 衛生兵たちは体を屈めながら、ぞろぞろと畑の中を北の方へと向かって行った。

「よし、行くぞ」と西村上等兵が言った時、すぐ近くに艦砲弾が落ちて炸裂した。

 千恵子たちは瞬時に危険を感じて身を伏せた。

「足がもげたよう」と誰かが叫んでいた。

「くそっ」と西村上等兵が言った。

「誰なの、誰がやられたの」とトヨ子が聞いた。

「留美よ。留美が足をやられたの」と初江が言った。

 千恵子は起き上がって、自分が無事だったのを確認すると小百合の側に行った。

「小百合は大丈夫なの」

「ええ、大丈夫よ」

 照明弾が上がって明るくなった。

 小百合は戸板の上で上体を起こしていた。

 西村上等兵が留美を抱いて坂道を降りて行った。

「ねえ、肩を貸して」と小百合が言った。

「大丈夫なの」

「大丈夫よ」

 千恵子は朋美とうなづきあって小百合を両側から支えて立ち上がった。

 急な坂道を足元を気をつけながらゆっくりと降りた。

 初江が入口にいる歩哨(ホショウ)兵と言い争っていた。

 民間人の治療をできないと言っていたが、山部隊の第一野戦病院の看護婦ですと言い、積徳高女の生徒の名前を出したら、入れてもらえたようだった。

「よろしくお願いします」と言って千恵子たちも自然壕の中に入った。

 あちこちにランプは灯っていたが薄暗くてよく見えず、先に入った初江たちの姿は見当たらなかった。

 どこに行ったんだろうと思ったが、まずは軍医を捜すのが先決だった。

 千恵子たちはどんどん奥へと入って行った。

 壕内は異様な臭いが漂っていた。

 懐かしい臭いと言えるが、あまりいい気分ではなかった。

 血と膿(ウミ)と汗と体臭と消毒液と糞尿(フンニョウ)の混じった臭いだった。

 負傷兵たちが思い思いの場所に寝ていた。

 平らな場所を見つけて小百合を寝かせ、鈴代とトミに側にいてもらい、千恵子と朋美は軍医を捜しに行った。

 壕内はかなり広く、水が川のように流れていて、天井には棒のような鍾乳石(ショウニュウセキ)が何本も垂れ下がっていた。

 こんな所に入ったのは初めての千恵子は珍しさに驚いていたが、新城(アラグスク)分院にいた朋美は、

「あそこもこんなだったのよ」と平気な顔をしていた。

「それに、あそこは次々に患者さんが入って来て、歩く場所もない程だったけど、ここは思った程いないのでホッとしたわ」

 所々に置いてあるランプは空き瓶で作った物が多いので薄暗く、足元もでこぼこしていて歩きづらかった。

 積徳高女の生徒がいたので、軍医のいる所に連れて行ってもらった。

 軍医さんたちは奥の方の岩が平らになっている部屋のような所で休んでいた。

 積徳高女の生徒が声を掛けると小柄な軍医さんが出て来て、

「君たちは二高女の生徒なのか」と聞いた。

「はい」と千恵子たちが返事をしたら、

「そうか、御苦労だな。わしは以前、県立病院にいた事があるんだよ」と言った。

 沖縄のお医者さんだったのかと千恵子たちは親しみを感じて安心した。

「八重瀬岳の第一病院は国吉に移ったんじゃなかったのか」

「はい。でも、全員を収容できなくて、生徒たちは解散になったんです」

「そうだったのか。敵はすでに国吉の近くまで来ているらしいな」

「えっ、そうなんですか」と千恵子と朋美は驚いた。

「ああ。それで、さっき、うちの衛生兵も斬り込みに出たんだよ。国吉が突破されたらここも危険だ」

「でも、これだけ大きな自然壕なら安全なんでしょ」と千恵子は聞いた。

「いや、安全とは言えんな。前線から撤退して来た者の話だと、敵は陣地壕の入口と上を占領して、入口からは爆弾を投げ込んだり、火炎放射器で攻撃し、上からは穴を開けてガソリンを流し込むらしい。それを馬乗り攻撃と呼んでいるようだ」

「馬乗り攻撃‥‥‥」敵はそんなひどい事をするのかと千恵子は愕然となった。

 穴の中に閉じ込められて焼き殺されるなんて、考えただけでも恐ろしかった。

「毒ガス爆弾もあるらしい。それにやられると脳が破壊されて痴呆(チホウ)になってしまう。何もわからなくなって、死ぬより哀れだ。敵は様々な最新兵器を持っていて、あの手この手で攻めて来る。確かな事ではないが、敵は破傷風菌をばら蒔いたのではないかとも言われている。破傷風で亡くなる兵があまりにも多いからな」

 毒ガスというのは千恵子も聞いていた。

 一高女の生徒が毒ガスにやられて、頭がおかしくなってしまったと陸軍病院の第三外科に行った時、トヨ子の友達が言っていた。

 これだけ立派な自然壕でも安全でないとしたら、一体、どこに逃げたらいいのだろう。

 益々、不安が大きくなって行った。

 小百合の所に戻るとローソクが灯されていて明るかった。

 軍医さんは症状を聞いて、包帯の上から背中にある破片を確認したが、

「残念ながら手術はできない」と首を振った。

「表皮が化膿すれば破片は自然と出て来るだろう」

「どうして手術ができないんですか」と千恵子は聞いた。

「手術器具がないんだ。ここに来る途中で運搬に当たっていた衛生兵が艦砲にやられて、皆、吹っ飛んでしまったんだよ」

 千恵子たちは呆然となった。

 こんな事なら陸軍病院の方に運べばよかったと後悔した。

「すまんな」と言って、軍医さんは破傷風予防の注射を打っただけで戻って行った。

「小百合、頑張るのよ」と千恵子たちは声を掛けたが、小百合の意識は薄らいで行くようだった。

 足が痛くなったという朋美を小百合の側に残して、千恵子たちは留美と美代子を捜しに行った。

 二人は壕内を流れている川の下流の方にいた。

 足がもげたと叫んでいたけど、カンテラに照らされた留美の足はちゃんと付いていた。

 苦しそうな息をしながら、「水、水、水を一杯ちょうだい」と言っていた。

「水は駄目よ」とトヨ子が言った。

「留美だって知ってるでしょ。水は絶対に駄目なのよ」と初江も言った。

 悦子が千恵子たちを見つけ、小声で、「留美、おなかをやられちゃったの」と言った。

「えっ、やっぱり、さっき、やられたの」とトミが聞いた。

「そうなのよ。足がやられたっていうから、初江がとっさに足の付け根を縛ったんだけど、足は何ともなくて。でも、おなかから背中に破片が貫通して、内蔵が飛び出しちゃったのよ。軍医さんに治療はしてもらったんだけど出血もひどいし難しいみたい」

 二度もやられるなんて可哀想すぎた。

 留美はしきりに水を欲しがっていた。

 内蔵が飛び出している患者さんに水をやれば死んでしまう事は誰もが知っていた。

 留美自身も充分に知っているはずだった。

「飲ませて上げなさい」と軍医さんが言った。

 もう駄目なんだと千恵子は思った。

 トヨ子が水筒の口を開けて、留美の口元へ持って行った。

 初江が留美の上体を少し起こした。

 留美は両手で水筒を抱えて、うまそうに水を飲んだ。

「ありがとう」とつぶやいた後、苦しそうにもがき、何か言いたそうに口をパクパクしていたが言葉にはならず、とうとう息を引き取ってしまった。

「留美」と初江が叫んだ。

「死んじゃ駄目よ」とトヨ子が言った。

 ワァーと悦子が泣き出した。

 千恵子たちは留美を囲んで泣いていた。

 とうとう友達が死んでしまった。

 死に物狂いになって負傷兵たちの看護をして来たのに、こんな所で死んでしまうなんて、あまりにもひどすぎる。

 あまりにも残酷すぎる仕打ちだった。

「駄目だったのか」と誰かが言った。

 振り返ると西村上等兵だった。

 西村上等兵も二度目の負傷をしたのか、左手に包帯を巻いて首から吊っていた。

 トヨ子が救急袋からハサミを出して留美の遺髪を切り取った。

 爪も切ろうとしたが、爪は短く切られてあって切る事はできなかった。

 ♪あの花この花 咲いては散り行く

     泣いても止めても 悲しく散りゆく

     (あの花この花 西条八十作詞 古賀政男作曲)

 留美がいつも歌っていた歌をみんなで歌った。

 朋美が来て加わった。

 高森伍長が毛布を持って来てくれた。

 留美を二高女の制服に着替えさせ、両手を組ませて毛布でくるんだ。

「小百合は大丈夫なの」と千恵子は朋美に聞いた。

「眠っているわ」

「一人じゃ可哀想だからあたし行ってみる」

 千恵子は一人、小百合のもとへ行った。

 小百合が寝ている所は炊事場の近くだった。

 さっきは誰もいなかったけど、炊事班の人たちが大きなナベでご飯を炊いていた。

 その匂いを嗅いだら急におなかが減って来た。

 あたしたちの分はないに違いないと思うと悲しかった。

 小百合は静かに眠っていた。

 朋美が乗せたのか額(ヒタイ)に濡れた手拭いが乗っていた。

 額にさわってみると凄い熱だった。

 千恵子は慌てて、近くを流れている水で手拭いをゆすいで、小百合の額に乗せた。

 高熱が続いて脳症になってしまうのではないかと恐れた。

 悦子と朋美がやって来て、小百合の様子を聞いた。

「熱が高いんで心配だわ」と千恵子は言った。

「でも、小百合は大丈夫よ。決して、死んだりはしないわ」

「そうよね」と悦子も朋美も言ったけど、二人の顔付きは暗かった。

 小百合もおなかをやられていた。

 手術もしてもらえず、このまま放って置かれたら死んでしまうかもしれなかった。

 いいえ、小百合は絶対に死なない。

 絶対に死なないと千恵子は自分に言い聞かせた。

「ねえ、さっきから気になってたんだけど、このローソクはどうしたの」と千恵子は朋美に聞いた。

「トミが持ってたのよ。手術室勤務だったトミたちはローソクももらったらしいわ」

「ああ、手術の時のローソクだったの」と千恵子は納得した。

「ねえ、あたしたちも炊事しましょうよ。おなかが減って来たわ」と悦子が炊事場を見ながら言った。

「今日はあたしたちが炊事班だったのよ。炊事班の人たちを呼んで来るわ」

 悦子が行った後、千恵子は炊事場の人たちに自炊をしていいか聞いてみた。

 してもいいけど、朝になって艦砲がやんだら、村に行って薪(タキギ)の調達をしてくれと言われた。

 千恵子はわかりましたとうなづいた。

 悦子がトヨ子、初江、聡子を連れて来て、さっそく炊事を始めた。

 壕内に水があるというのは、とても、ありがたかった。

 千恵子たちはご飯を炊いて、塩のおにぎりを作って、みんなで食べた。

 夜は交替で小百合の看病をしながら休んだ。

 足に重傷を負った美代子は熱もなく、静かに眠っているので心配はなかった。

 千恵子たちは大きな自然壕の中で安心して眠った。

 ただ、でこぼこした岩場なので寝心地はよくなかった。

 小百合と留美を運んで来た戸板を持って来て、下に敷けばよかったと後悔した。

 朝になって艦砲がやんでから西村上等兵や高森伍長たちが留美を病院壕の入口近くに埋葬してくれた。

 千恵子たちは両手を合わせて留美の冥福を祈った。

 亡くなる前に偶然に弟と再会できたのが、せめてもの慰めだった。

 あの時の嬉しそうな顔を思い出すと、死んでしまったなんて信じられなかった。

 でも、現実は厳しく、次は自分たちの番かもしれなかった。

 千恵子たちは留美の埋葬がすむと糸洲部落に向かった。

 糸洲も波平と同じように、ほとんどの民家がやられて、避難していた人々は皆、無残に死んでいた。

 千恵子たちは薪になる物を集め、それを抱えて壕に戻った。

 もう一回、行きたかったが、敵の攻撃が始まって、壕からは出られなかった。

 その日は、交替で小百合と美代子の看護をしながら、炊事場を手伝ったり、負傷兵の看護を手伝った。

 負傷兵は豊見城の病院壕から移動して来た独歩(ドッポ)患者が多かった。

 今、前線になっている与座岳や八重瀬岳から運ばれて来た負傷兵もいるが、最近はあまり運ばれて来ないらしい。

 すでに、衛生兵も防衛隊も武器を持って戦わなければならない状況で、負傷兵を運搬する者などいないという。

 積徳高女の生徒たちとは東風平にいた時、共に教育を受けた仲だったが、班も違ったし、毎日が忙しくて親しく話もできなかった。

 それでも、何人かは知っていた。

 トヨ子は幼ななじみのノリちゃんがいたし、初江は飯上げの時、話をした事がある真喜志(マキシ)さんという娘を知っていた。

 千恵子は不寝番の時、女子便所で出会った国吉さんを思い出した。

 あの頃、積徳高女の生徒たちは二高女と同じ位の五、六十人いたのに、そんなにいるように思えなかったので聞いてみると、四月の初め、外出許可が出て、家族に会いに行った者たちのほとんどが帰って来られなくなってしまったのだという。

 残ったのは二十五人だけで、休む間もない程、忙しい勤務に励み、五月の下旬、雨の中をここまで撤退して来た。

 ここに来た当初は敵の攻撃もなく、野菜なども豊富にあるので喜んでいたけど、いよいよ、ここにも艦砲弾が落ちるようになって来た。

 これからどうなるんだろうと不安そうな顔をしていた。

 千恵子たちは積徳高女の生徒たちと一緒に患者さんたちの看護をしながら、『国頭(クニガミ)突破』という言葉を何度も耳にした。

 国頭の方にはまだ健在な部隊がいくつもあって、反撃の機会を狙っているという。

 独歩患者たちは何とかして敵陣を突破して、国頭にいる友軍と合流したいと考えていた。

 敵の兵力がいくら大きいとはいえ、各村々をすべて占領する事はできない。

 必ず、突破できると熱を持って語っていた。

 その話を千恵子たちも目を輝かせて聞いていた。

 仕事が終わった後、千恵子たちはみんなで国頭突破について相談した。

 みんなで行こうという事に決まったが、小百合が心配だった。

 国頭は小百合の故郷なので誰よりも行きたいに違いない。

 でも、今の容態ではとても歩けない。

 かといって戸板に乗せて運ぶのは無理だった。

 小百合は時々、目を覚まして話をする事ができた。

 高熱もいくらか下がったようだった。

 それでも歩けるようになるには一月はかかりそうだった。

 夕方の五時、敵の攻撃がやむと千恵子たちはまた糸洲部落まで行って薪を集めた。

 いつもなら三十分もしない内に攻撃が再開されるのに、今日は静かだった。

 千恵子たちはもう一度、部落に出掛けた。

 波平まで行って、浩子おばさんに山部隊の野戦病院壕にいる事を告げたかったけど、あそこまで行く勇気はなかった。

 幸い、井戸で水汲みをしている名城先輩に会ったので、浩子おばさんに伝えてくれと言伝(コトヅテ)を頼んだ。

 民間人の治療に励むなんて偉そうな事を言ったのに、敵の攻撃がこんなにも激しくなってしまえばできなかった。

 他人の治療よりも自分の事が心配で、艦砲弾の落ちる中を走り回るのは恐ろしかった。

 壕に戻ると衛生兵たちが斬り込みに出て行く所だった。

 この壕に何人の衛生兵がいるのか知らないが、昨日も二十人位が出て行き、今日も二十人位が出て行ったようだった。

 国頭を目指しているのなら、千恵子たちも一緒に行きたいと思った。

「ねえ、西村さんに頼んで、あたしたちも行きましょうよ」とトヨ子が言った。

「そうね、それがいいわ」と初江も同意した。

 壕内に戻って、西村上等兵を捜したがいなかった。

 美代子に聞いたら、斬り込みに出て行ったという。

「高橋伍長さんと留美の仇(カタキ)を討たなければならないって出て行ったの。みんなが戻るまで待ってって頼んだんだけど行っちゃったのよ。西村さん、死を覚悟して出て行ったんだと思うわ。思い詰めたような顔をしていたもの」

「そうだったの」とトヨ子と初江はがっかりしていた。

 でも、動けない小百合のためには、これでよかったのかもしれないと千恵子は思った。

 小百合を一人だけ置いて出て行くわけにはいかなかった。

 日が暮れてから、敵の攻撃は始まった。

 以前にも増して艦砲射撃は激しくなり、一歩も外には出られなくなった。

 頼みだった西村上等兵がいなくなり、千恵子たちは自力で国頭突破の計画を練った。

 ここから糸満までは四キロ位だった。

 糸満まで行けば那覇までの道程(ミチノリ)は知っていた。

 二高女では心身鍛練のため那覇、糸満間を往復する行軍を毎年やっていた。

 あの当時は、どうしてこんなにも苦しい行軍をしなければならないのと思ったけど、今の状況を思えば、確かにあれは役に立っていた。

 千恵子たちは糸満街道を北上する計画を立てた。

 後はいつ、実行に移すかだった。

 美代子は足を引きずってでもついて行くと言って、皆も納得したが、小百合が問題だった。

 痛そうに唸っている小百合に、ここに置いて行くとは誰も言い出せなかった。

 ここに来て三日めの午後、小百合の包帯を交換してやろうと傷口を見たら膿があふれて、小さな蛆虫がわいていた。

 これで破傷風にはならないと安心したけど、小百合の体から蛆虫がわくなんて悲しかった。

 小百合は痛みをぐっと我慢して、千恵子が蛆虫を取るのを涙を浮かべながら眺めていた。

 一匹だけ蛆虫を残して、脱脂綿とガーゼを交換し、新しい包帯を巻いた。

「これで大丈夫よ」と言ったら、小百合は嬉しそうに笑って横になった。

 しばらくして高森伍長がやって来て、小百合の具合を聞いた。

 千恵子の話を聞いた後、高森伍長は暗い顔付きになって、

「すまないが、君たちをここに置いておく訳にはいかなくなった」と言った。

「前線にいる部隊がここに撤退して来る事になって、部外者を置いておけないというんだよ。すまんが、夕方になったら出て行ってくれ。この子だけは動かす事はできないので預かる事になった。すまんな」

「急にそんな事を言われても」と悦子が言った。

「どこに行ったらいいのかわかりません」

「国吉に行ってもいいが、途中にある真栄里(マエサト)という部落に、すでに敵が侵入して来ているという。この近くに地方人(民間人)たちの壕がある。ここよりは広くないが、地下水が流れている自然壕だ。そこに入るのだったら、夕方、案内しよう。荷物をまとめておいてくれ」

 そう言うと高森伍長は去って行った。

 千恵子たちは負傷兵の看護をしているみんなを集めて、高森伍長の話を告げた。

「五時になったら出なければならないのね」とトヨ子が言った。

「小百合をここに置いて行くの」と初江が眠っている小百合を見ながら小声で言った。

「小百合はここにいた方がいいわ」と朋美は言った。

「ここは病院だもの。積徳高女の人たちに頼めば看護してくれるわ。一緒に連れて行っても、この先、あたしたちだってどうなるかわからないし」

 確かに朋美の言う通りだった。

 国頭突破をするならば、どこかに小百合を置いて行かなければならない。

 置いて行くなら、ここが一番安全と言えた。

 でも、重傷を負っているのに、たった一人で残して行くなんて可哀想だった。

 今まで、ずっと一緒に苦労を重ねて来たのに別れたくはなかった。

「あたしは大丈夫よ」と小百合が言った。

 皆、驚いて小百合を見た。

 眠っていると思っていたのに皆の話を聞いていたようだった。

「あたしはここにいるわ。ここなら水もあるし、高森伍長さんもいるし、積徳高女の人たちもいるし、あたしは大丈夫よ」

「ごめんね」と言いながら千恵子たちは泣いていた。

「大丈夫、大丈夫よ」と言いながら小百合は眠りについた。

 千恵子たちは荷物をまとめた。

 夕方の五時になって敵の攻撃がやんで、高森伍長がやって来た。

 小百合は眠っていた。

 千恵子たちは小百合を起こさずに、別れを告げた。

 小百合の声を聞いたら別れられなくなってしまう。

 皆、後ろ髪を引かれるような気持ちで小百合と別れた。

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