第二部   20.海軍記念日 | 沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校(白梅の塔)の生徒の物語です。


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 豪雨は降り続き、掻き出しても掻き出しても壕内の溜まり水は増えて行った。

 天井からも雨水が染み出して来て、あちこちでポタリポタリと落ちていた。

 水の溜まった通路には患者たちが食い散らかしたサトウキビの殻(カラ)、患者の傷口からポロポロと落ちた蛆虫、誰かが汚物入れを倒したのか、大便までもがプカプカ浮いていた。

 雨がやむまでは掻き出しても無駄だと誰もが諦めていた。

 とても病院とは思えないひどい状況の中で、ガス壊疽(エソ)、破傷風、脳症患者は増えて行った。

 ガス壊疽患者は紫色に膨れ上がった手足から悪臭を撒き散らし、破傷風患者は痙攣(ケイレン)を繰り返しては寝台から落ち、脳症患者はブツブツ言いながら裸で歩き回ったり、大声で怒鳴ったり、下手くそな歌を歌ったりしていた。

 そして、ほとんどの患者から蛆虫がわいていた。

 二十六日の午後、待ちに待っていた治療班が来た。

 初めの頃は若い見習士官の軍医さんだったのに、若い軍医さんたちは皆、前線の方に行ってしまった。

 今日、来たのは気難しい事で有名な宮田軍医だった。

 千恵子は怒られた事ないけど、ちょっとした失敗で大袈裟に怒られたと、悦子や和美が文句を言っていたのを思い出した。

 本部勤務の晴美の話では、最近、宮田軍医は鬱(ウツ)病になってしまったようで、仕事が終わった後も寝台で横になっているだけで、ほとんど口も利かず、朝晩の攻撃がやんでいる時も外に出ようとはしないらしい。

 仕事はちゃんとするけど、時々、独り言を言って、晴美たちが何ですかと聞き返すと、何とも恐ろしい顔して睨(ニラ)むという。

 何事も起こらなければいいけどと思いながら、千恵子は宮田軍医を迎えて、いつもの様に、患者さんの包帯を解いて蛆虫を掻き落として行った。

 ガス壊疽の患者は助かる見込みのある者だけが、その場で手足の切断手術が行なわれたが、そんな事は滅多になかった。

 苦しそうに喚(ワメ)き続けている患者には、静かにしろと言うかのように気休めに麻酔注射が打たれた。

 薬もほとんどなくなり、後は運を天に任せるしかないと諦めている軍医さんも多かった。

 それでも、治療を受けて傷口を消毒してもらい、綺麗な包帯を巻かれた患者さんたちは喜んでいた。

 あともう少しで治療が終わるという時、小島軍曹がニヤニヤしながら治療班に近づいて行った。

 胸に包帯を巻いただけの裸の男がブツブツ言いながら近づいて来たので、晴美たちは驚いて呆然と立ち尽くした。

 小島軍曹はヘラヘラ笑いながら、患者さんを治療をしている宮田軍医に抱き着こうとした。

 小百合が気づいて、連れ戻そうとしたけど遅かった。

 小島軍曹は後ろから宮田軍医に抱き着いて、

「何だ、おい、邪魔だ」と振り払われた。

 小島軍曹は水の溜まった通路に尻餅をついた。

 いつもなら、おとなしく戻って行くのに、その時は怒って、立ち上がると宮田軍医の肩を引っ張った。

 最後の患者の包帯を解いていた千恵子は小島軍曹が出て来たのを知らなかった。

 晴美たちが騒いでいるので振り返ると小島軍曹が宮田軍医と取っ組み合いをしていた。

「早く、誰かを呼んで来て」と安里看護婦が言って、晴美と小百合が飛び出して行った。

 やがて、衛生兵がやって来て小島軍曹を取り押さえるとどこかに連れて行った。

 宮田軍医は転んでびしょびしょになってしまい、怒って、さっさと引き上げてしまった。

 看護婦たちは仕方ないといった顔して宮田軍医を見送ると、残った患者さんたちの傷口を消毒して包帯を巻いて帰って行った。

 小島軍曹の事を安里看護婦に聞いたら、

「多分、隔離病棟入りでしょうね」と言った。

 隔離病棟というのは薬剤室に新しく出来た牢屋(ロウヤ)のようなものだった。

 第二外科で凶暴な脳症患者が出て、寝台に縛り付けておいてもわめき続け、うるさくてしょうがないので、薬剤室に檻(オリ)を作って閉じ込めたのが始まりだった。

 薬剤室とは名ばかりで、もう薬もなく、そこで働いていた衛生兵たちも武器を持って前線に行っていた。

 それに、二日前に第三外科の脳症患者がフラフラと外に出て行って砲弾に当たって亡くなるという事件も起こり、手に負えない脳症患者はそこに隔離するようになった。

 そして、あまりにもうるさい患者はそこに入れられた後、密かに毒殺されるという噂も流れていた。

「小島軍曹さん、檻の中に入れられちゃうのかしら」と小百合は心配した。

「最近は言う事をよく聞くようになってたのに。あの時、軍医さんにお礼をいいに行ったんだと思うわ。それなのに邪険にされて怒ったのよ。あんな所に入れられたら可哀想よ」

「そうね」と千恵子も同意した。

 隔離病棟は太い松の木で檻のように入口をふさぎ、寝台もなく水浸しで、閉じ込められた患者さんは垂れ流し状態だった。

 すでに汚いという感覚も失われているけど可哀想すぎた。

 衛生兵が小島軍曹の荷物を取りに来て、新しい患者が入るから頼むぞと言った。

「小島軍曹さん、まだ、暴れてるんですか」と小百合が聞いた。

「いや、おとなしくしてるよ。注射を打たれたからな」

 新しい患者さんはすぐに運び込まれて来た。

 随分と小さい人だなと思ったら、開南中学の三年生で康栄と同い年だった。

 男子中学生は各学校で鉄血勤皇隊(テッケツキンノウタイ)を組織して戦争に参加していた。

 開南中学では四、五年生が石部隊(第六十二師団)の独立歩兵第二十三大隊に入隊し、通信訓練を受けた二、三年生は山部隊(第二十四師団)の司令部に入隊した。

 康栄たちのいる一中では三年生以上が第五砲兵司令部に入隊し、通信訓練を受けていた二年生が電信第三十六連隊に入隊していた。

 でも、千恵子たちが八重瀬岳に来た頃の話なので、千恵子たちは知らなかった。

 開南中学の島袋二等兵は山部隊の司令部から各陣地への伝令の途中、艦砲弾にやられたものと思われた。

 右足を膝の上から切断され、お尻から背中に掛けて包帯を巻かれ、左ももにも包帯が巻かれてあり、うつ伏せになったまま、麻酔が効いているのか意識不明だった。

 まだ十四歳なのに片足を失うなんて可哀想すぎると思うと同時に、千恵子は康栄の事を思った。

 もしかしたら、康栄もこんな怪我をして、今頃、苦しんでいるのではないかと心配した。

 いいえ、そんな事は絶対にないと慌てて否定して、呼んでいる患者さんのもとへと走った。

 声を掛けてやりたかったけど、島袋二等兵は千恵子の勤務中はずっと眠っていた。

 悦子が倒れて入院してから二人体制になり、最初の十二時間は古堅看護婦と、次の十二時間は小百合と一緒に勤務するようになっていた。

 第四外科でも信代が入院し、第二外科では美紀が入院していた。

 病院壕に入ってから二ケ月近くが経ち、誰もがもう限界を越えていた。

 千恵子は下痢が治った後、便秘になってしまった。

 ろくな物を食べていないので仕方ないけど、おならがおなかの中に溜まっているような気がして気持ち悪かった。

 小百合は足がふやけてしまって、歩くのもやっとの状態で、いつ倒れてもおかしくない状況だった。

 お互いに、もう少し頑張りましょうと海軍記念日の総攻撃で戦争が終わる事を願った。

 二十七日の朝、期待していた海軍記念日も雨は勢いよく降り続いていた。

「畜生め、これじゃあ、総攻撃は中止だなあ」と衛生兵たちが第五坑道の入口から空を見上げて嘆いた。

「雨が降っていても飛行機は飛べるのに」と和美が小声で言った。

「飛べる事は飛べるんだが、雨降りの日は上空が雲だらけで目標が見えないんだよ。危険を冒しても、それ程の効果が得られないとなれば中止になるだろうな」と村田伍長が説明してくれた。

 千恵子たちはがっかりした。

 急に体の力が抜けて行くようだった。

「なに、少し延期になっただけだ。連合艦隊は沖縄のすぐ近くまで来ている。雨がやめば必ず総攻撃は始まる」

「そうよ、そうよ」と千恵子たちは空(カラ)元気を出して、敵の攻撃がやむと雨の中、泥んこ道を井戸へと急いだ。

 雨がやんだら総攻撃が始まるという言葉を信じて、千恵子たちは働き続けた。

 小島軍曹がいなくなって静かになったと思ったら、また脳症患者が現れた。

 今月の十二日に入院した岩本上等兵で、左腕を切断されて、左横腹に重傷を負っていた。

 横腹の傷はかなり深いけど、蛆がわいていたので破傷風にはならないだろうと安心していたのに、高熱が続いていたためか、脳をやられてしまったらしい。

 小島軍曹と同じように素っ裸で上段の寝台から降りて来ると、水、水と叫びながら水の溜まった通路をバチャバチャと歩き始めた。

 古堅看護婦が取り押さえようとしたけど跳ね飛ばされてしまった。

 見るからに大男で千恵子たちの手に負えそうもないと、衛生兵を呼びに行った。

 うまい具合に、新しい患者さんを運んでいた上田上等兵と外間一等兵が第三外科にいた。

「すみません。助けて下さい」と言うと、

「おや、美里さんだな」と言って、すぐに飛んで来た。

 岩本上等兵は水瓶の中の水をたらふく飲んでいた。

 飲み終わると満足げな顔して立ち上がった。

 古堅看護婦が、「さあ、寝台に戻りましょうね」と言うと素直に従った。

「もう大丈夫よ」と古堅看護婦は千恵子たちを振り返ったが、大丈夫ではなかった。

 岩本上等兵は歩いたまま小便をしていた。

 その小便が寝ている患者に掛かってしまい、患者たちが大騒ぎした。

 古堅看護婦が向きを変えようとしたけど、岩本上等兵は面白がって、古堅看護婦に小便を掛けようとした。

「この気違え野郎」と上田上等兵と外間一等兵が取り押さえようとしたが難しかった。

 片腕しかないのに馬鹿力で、上田上等兵は押し飛ばされた。

「この野郎」と外間一等兵が岩本上等兵の首筋に手刀を打つと、岩本上等兵の大きな体がグラッと崩れて、通路に倒れた。

「凄い」と千恵子も古堅看護婦も目を見張った。

「ちょっと空手をやってたんで」と外間上等兵はちょっと照れてから、

「こいつどうします」と古堅看護婦に聞いた。

「可哀想だけど仕方ないわね。暴れ出したら、あたしたちの手には負えないし、それに、勝手に水を飲まれちゃったら他の患者さんたちにも迷惑かかるし」

 そう言って千恵子を見たので、千恵子はうなづいた。

 岩本上等兵は隔離病棟入りとなり、すぐに新しい患者が運ばれて来た。

 麻酔から覚めた島袋二等兵は右足がないと泣き続けていたが、小百合が二高女の生徒だと知ると、急に恥ずかしくなったのか、泣きやんだという。

 千恵子が勤務に就いた時は壁の方を向いて、うつ伏せになったまま、おとなしくしていた。

「アンマー(お母さん)」と泣き叫びたいのをじっと堪(コラ)えているようで気の毒だった。

 何も言わないので、千恵子の方から声を掛けたら顔をこちらに向けた。

「あなたも二高女なんですか」と島袋二等兵は聞いて来た。

「そうよ。あなたは開南中学なんでしょ」

 島袋二等兵は微かにうなづいた。

 千恵子は一中の生徒たちの事が聞きたかった。

 同じ中学生同士だから少しは知っているような気がした。

 でも、右足をなくしたショックから立ち直っていないのに、そんな事を聞くのは可哀想だと思い直して、もう少し待とうと思った。

 島袋二等兵は何か言いたそうな顔をしたけど、結局、何も言わなかった。

「用があったらすぐに呼んでちょうだいね。遠慮しなくてもいいのよ」

「看護婦さーん、尿器をくれ」と誰かが叫んでいた。

「おしっこしたくなったら、ああいうふうに叫ぶのよ」

 千恵子は弟に言うように言ってその場を離れ、尿器を取りに行った。

 患者さんのおしっこを汚物入れに捨てに行こうとして千恵子は懐かしい歌を耳にした。

 歌っていたのは今月の初めに入院した松本上等兵だった。

 上段に寝ている松本上等兵は天井を見つめ、涙を流しながら小声で『タコ八の歌』を歌っていた。

 きのう召されたタコ八が
     弾(タマ)に撃たれて名誉の戦死~

 千恵子は久米島から那覇に戻る途中に戦死した久美を思い出して、しばし呆然とした。

 十月十日の朝、久美は『タコ八の歌』を歌いながら学校へと続く坂道を歩いていた。

 空襲が始まって学校の防空壕に避難して、空襲の合間に解散となって、

「それじゃあね」といつものように手を振って別れたのが久美を見た最後になってしまった。

 久美、どうして死んじゃったのよ‥‥‥

「立ったまま寝るにはまだ早いんじゃないの」と古堅看護婦に注意され、千恵子は謝って汚物入れの方に行った。

 松本上等兵はおとなしい患者さんだった。

 右足を切断されて、腹部にも重傷を負っていたけど、じっと痛みに耐えていた。

 傷口に蛆虫がわいても騒ぐ事もなく、世話のかからない患者さんだった。

 『タコ八の歌』を歌っていたのは特に理由もないのだろうけど、ちょっと話をしてみたいと思った。

 でも、その後も忙しくて、なかなか近づけず、やっと側まで行ったら静かに眠っていた。

 千恵子たちの願いが届いたのか、夕方になって、ようやく雨がやんだ。

 いよいよ、総攻撃が始まると千恵子たちは喜びながら水汲みに出掛けた。

 井戸端に集まった千恵子たちの口から自然と歌が口に出ていた。

 丘にはためく あの日の丸を
     仰ぎ眺める我らの瞳
    何時(イツ)かあふるる感謝の涙
       燃えて来る来る心の炎
     我らはみんな力の限り
        勝利の日まで 勝利の日まで~ 

        (勝利の日まで サトウハチロー作詩、古賀政男作曲)

 うっとおしい雨がやんだ解放感と今頃、総攻撃が始まっていると思うと気持ちは自然に浮かれていた。

 みんなと一緒になって歌を歌うのは久し振りの事だった。

 朝晩の一時間以外は井戸まで来られなくなって、雨の中では歌なんて歌う余裕はなかった。

 今度はあの歌、次はこの歌と次々に歌を歌っていた。




 戦況を知らされていない千恵子たちには想像もできなかったが、海軍記念日のこの日の夕方、沖縄守備軍(第三十二軍)の司令官、牛島中将と長(チョウ)参謀長は壊滅状態に陥った首里を捨てて、津嘉山(ツカザン)の壕へと撤退していた。

 この時点で、降伏していれば戦争は終わっていた。

 しかし、今まで負け知らずだった日本軍には降伏という選択はあり得なかった。

 敵に降参して捕虜(ホリョ)になる事は絶対に許されなかった。

 捕虜になるくらいなら敵と刺し違えても戦い通せと教えていた。

 その教えは軍隊だけでなく、一般の人々まで浸透していた。

 捕虜になるのは非国民で、捕虜になれば、男は縄でつながれて戦車の下敷きにされ、女は犯されてから殺されると信じていた。

 捕虜になって辱(ハズカシ)めを受けるより、お国のために見事に散ろうと、あちこちで集団自決が起こっていた。

 沖縄の次は本土だと、この時期、本土では本土決戦の準備に明け暮れていた。

 今、沖縄が降伏してしまえば、敵は沖縄を前線基地にして、そのまま本土に向かって来る。

 それはまだ早すぎる。

 せめて、後二、三ケ月は持ちこたえてもらいたいというのが日本軍上層部の本音だった。

 上層部の思惑に沿う形で、司令部の南部撤退は決まり、新しい陣地である最南端の摩文仁(マブニ)を目指して移動していた。

 一月前の四月の二十三日、司令部は首里周辺の住民たちに島尻への立ち退きを命じていたが、首里にはまだ一般市民たちが多く残っていた。

 軍隊と一緒にいた方が安全だと、じっと地下壕に隠れていた人々は、敵を目前にして置いて行かれたら大変だと慌てて逃げ惑った。

 首里から南部へと続く主要道は避難民で溢れ、泥まみれになりながら艦砲弾の炸裂する中を目的地もなく歩き続けていた。

 道端には無残な死体がいくつも転がり、助けてくれと苦しんで悲鳴をあげている人がいても、死んだ母親にしがみついて泣いている赤ん坊がいても、誰も何も感じなくなっていた。

 明日は我が身だと誰もが思い、自分の命を守る事だけに必死になっていた。

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