第二部   13.天長節 | 沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄二高女看護隊 チーコの青春

沖縄戦で犠牲になった沖縄県立第二高等女学校(白梅の塔)の生徒の物語です。


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 薬剤室に直撃弾が落ちた翌日から入院患者の数は急激に増えて行った。

 以前、昼夜合わせても十五、六人だったのが、二十四日には三十人を越え、二十五日には五十人を越え、以後、毎日、五十人以上もの負傷兵が運び込まれて来た。

 新設した第九外科病棟は二十四日の夜にはいっぱいになり、第十外科病棟も二十五日の夜にはいっぱいになった。

 第六外科を手伝っていたトヨ子は一晩いただけで、第十外科に移って行った。

 片側だけしか寝台がなかった第十外科は衛生兵や防衛隊の人たちが総出で寝台作りに励んで、何とか間に合った。

 山のような土砂が溢れていた薬剤室の前も土砂が運び出されて、通り抜けられるようになった。

 ただ、すべての土砂を運び出す時間がなく、坂道になっていて、上の方では身を屈めなければ通れなかった。

 薬剤室は戸板と角材で塞がれて、中がどうなったのか見えなかった。

 二十六日の午後六時、千恵子と小百合が第六外科に出勤すると、悪臭を放つ汚れた包帯が乾パンの空き罐(カン)に山のように積まれてあった。

「何よこれ、エッコに政江ったら、ちゃんと捨ててよ」と文句を言っていると古堅看護婦が来て、

「今度から、包帯を洗って再利用する事に決まったのよ」と言った。

「えっ、これを洗うんですか」と小百合が鼻をつまみながら血と膿にまみれた包帯を見た。

「そうよ。患者さんが多すぎて足らなくなっちゃったのよ」

「この間の薬剤室の直撃弾の影響なんですか」と千恵子は聞いた。

「包帯とかガーゼとかは別の所にもしまってあったので、それ程の影響はないの。でも、毎日、五十人もの新規の患者さんが来るから無くなるのも時間の問題でしょうね。それよりも薬品類がほとんどやられてしまったのよ。以前のように治療もできなくなって、今日からは二日置きになったの。勿論、包帯の交換も二日置きになったわ。本土からの補給が来るまでは何とか頑張るしかないわね。飯上げと水汲みが終わったら、どちらか一人、包帯を洗いに行ってちょうだい」

 薬剤室に直撃弾が落ちた翌日からは八重瀬岳上空を低空で飛び回る敵機の数も増えて、病院に向かって来る負傷兵たちを狙って爆弾を落として行った。

 負傷兵を運んで来た衛生兵の話では首里から富盛(トモリ)へと向かう道路は爆弾にやられて穴だらけで、特に主要道路が交わる四つ角はひどい有り様だという。

 すでにトラックが通れる状況ではなく、負傷兵の運搬は人手に頼るしかなくなっていた。

 病院壕への出入りも以前よりずっと厳しくなった。

 人の出入りが敵機に見つかると、また爆弾を落とされるので、出る時も入る時も歩哨兵(ホショウヘイ)の命令に従わなければならない。

 『行け!』の合図で出たのはいいが、『よし!』の合図がなくて、なかなか戻る事ができず、木陰に隠れて脅えていなければならなかった。

 正午の飯上げはできなくなり、朝晩の二度だけになった。

 当然、昼間は包帯を洗いに行く事もできないので、包帯洗いは夜勤の仕事となった。

 その夜の包帯洗いはジャンケンに負けた千恵子がやらなければならなかった。

 いやいやながらリゾール液と包帯の入った罐を持って第二坑道の入口の方に行こうとしたら、

「チーコ、ちょっと待って」と第八外科から初江が声を掛けて来た。

 初江は手にした尿器から尿を汚物入れに捨てると、包帯の入った罐を持った。

「これを洗うなんて、まったく、いやになっちゃうわ」と初江は鼻をつまんだ。

 二人で第十外科を通って行くと房江が患者さんに水を飲ませていたので声を掛けた。

「第十も包帯洗いに行くんでしょ」

「もうトヨ子が行ったわよ」

 入口を守っている歩哨兵の許可を得て外に出ると、あちこちに照明弾が上がっていて、首里や南風原方面に艦砲弾が次々に落ちていた。

 今朝はなかったのに、井戸の近くにも爆弾が落ちて大きな穴があいていた。

 水汲みに来た時に気づいて驚いたけど、あの時はまだ明るくて、それ程怖いとは感じなかった。

 でも暗くなってから見ると、その穴は不気味だった。

 生命の頼みとなる重要な井戸は上空からわからないように擬装してあるが、危険が迫っているように思えて恐ろしくなって来た。

「井戸がやられたら大変な事になるわね」と初江が言った。

 初江も千恵子と同じ事を思っていたらしい。

「大丈夫よ」と千恵子は空(カラ)元気を出して笑うと、穴に落ちないように気をつけた。

 井戸端ではトヨ子と第三外科の照美、第四外科の咲子、第七外科のアキ子が話をしながら包帯を洗っていた。

 千恵子と初江も加わり、やがて、第二外科の美紀、第五外科の朋美、第九外科のトミも加わった。

 勤務中に勤務場所の違う者たちが一堂に会して、おしゃべりするのは初めてだった。

 汚い、臭いと文句を言いながらもワイワイ騒ぎ、小声で歌を歌ったりして楽しい一時を過ごした。

 第六外科に帰って小百合に話すと、「失敗したわ。あたしが行けばよかった」と悔しがって、「今度は絶対にあたしの番よ」と念を押した。

 洗った包帯は奥の坑道にある第九外科の壁際にロープを張って干した。

 干している間にも、第九外科の患者さんに呼ばれて、無視する事もできずに手伝った。

 第九外科は片側しか寝台がないので距離が長く、トミと恵美は右に行ったり左に行ったり走り回っていた。

 疲れるだろうなと思いながら、千恵子は第六外科に戻った。

 第六外科も小百合と古堅看護婦が忙しそうに走り回っていた。

 千恵子もすぐに患者さんに声を掛けられ、尿器を取りに走った。

 忙しい中にも不思議と静かになる一時が何回かあった。

 千恵子は小百合を捕まえて、さっき言い忘れていた事を告げた。

「美紀から聞いたんだけどね、澄江が倒れて入院しちゃったんだって」

「えっ、澄江が」と小百合は驚いた。

 澄江と会ったのは一昨日(オトトイ)の夕方だった。

 千恵子と小百合が水汲みに行くと井戸端で、留美と美代子と一緒に髪を洗っていた。

 あの時は元気だったのに、倒れたと聞いて千恵子も信じられなかった。

「下痢が続いて、もう大変だったらしいわ」と千恵子が言うと、

「アメーバ赤痢ね」と小百合は言った。

 千恵子はうなづいた。

「仕事が終わったらお見舞いに行きましょ」

「そうね、澄江の好きな山城饅頭(ヤマグシクマンジュウ)でも持ってね」

 千恵子は小百合の冗談に笑った。

 首里の名物の山城饅頭が食べられなくなって半年余りが経っていた。

 いつになったら、あのお饅頭が食べられるのだろうか。

 千恵子はあの味を思い出して思わず唾を飲み込んだ。

 小百合も同じ事を考えていたらしく、喉を鳴らすと顔を見合わせて笑い合った。

 その夜、第六外科の空いていた寝台はすべて新しい患者さんで埋まり、以前より増して忙しくなった。

 新しい患者さんはほとんどが激しい首里戦線から運ばれて来た。

 以前のように艦砲にやられた人よりも迫撃砲(ハクゲキホウ)や戦車砲にやられたり、機銃に撃たれたりした人が多くなって、時には火炎放射機にやられて火傷(ヤケド)を負った人もいた。

 火傷を負った人は髪は縮れて皮膚は爛(タダ)れて、見るも無残な姿になっていた。

 その中に岡本上等兵という、わりと軽傷の患者さんがいて治療を受けて安心したのか、千恵子に前線の様子を話してくれた。

 敵は戦車を先頭に攻めて来る。

 日本の戦車よりもずっと大きくて、それが火を噴きながら日本軍の陣地に攻め寄せて来る。

 速射砲で応戦するのだが、敵の戦車はなかなか手ごわい。

 そこで登場するのが人間爆弾だ。

 爆弾を背負った兵隊が戦車の通り道にタコ壷(一人用の壕)を掘って潜んでいて、近づいて来ると戦車の無限軌道(ムゲンキドウ、キャタピラ)の下に飛び込む。

 物凄い爆発音と共に、戦車は引っ繰り返り、破壊されて炎上する。

 前線の前田高地の周辺には、そうやってやられた敵の戦車が幾つも無残な姿をさらしているという。

 千恵子はその話を聞いて、背筋がゾッとした。

 特攻隊は空だけでなく陸にもいたのだ。

 しかも、鉄血勤皇隊(テッケツキンノウタイ)の中学生もいるという。

 どこの中学生だか知りたかったが、岡本上等兵もそこまでは知らなかった。

 中学生ながらあっぱれな事だと褒めていたけど、千恵子は康栄や安里先輩がそんな事をしていないように必死になって祈っていた。

 その夜の勤務もようやく終わり、疲れ切った体を引きずりながら千恵子と小百合は第一内科に向かった。

 第四坑道の手前にある第一内科に行くには第五外科を通って行かなければならなかった。

 第五外科の朋美と鈴代も誘って第一内科に入った。

 内科病棟に来るのは四日振りだった。

 第三外科の里枝子が入院したと聞いて見舞いに来たら、本部勤務の美智子と第一内科のマツも入院していた。

 皆、アメーバ赤痢に罹って衰弱していた。

 仲宗根看護婦に澄江のいる所を聞いて行ってみると、澄江はげっそりとした顔で横になっていた。

 声を掛けると目を開けて、しばらくしてから、「みんな、どうしたの」と言った。

「どうしたのじゃないわよ。大丈夫?」と千恵子は聞いた。

「ええ、大丈夫よ。お薬も飲んでるし、しばらく絶食してれば治るらしいわ」

「でも、何も食べなかったら体力がなくなっちゃうわよ」と小百合が心配した。

「食べても駄目なのよ。みんな、下痢になっちゃうの。それに我慢する事ができないのよ。一日に何度もお手洗いに行って、血の混じった下痢が出るのよ。みんなも気を付けてね」

「早くよくなってよ。頑張るのよ」と澄江を励まして、千恵子たちは患者さんたちの呼ぶ声から逃げるようにして外に出た。

 外はいつものように艦砲の音が鳴り響いていた。

 小雨がポツリポツリ降っていて、まだ、敵機の姿は見当たらない。

 上空を気にしながら、お互いに病気にならないように励まし合って井戸へ向かった。

 どこの病棟も二人しかいないので一人が倒れてしまったら、もう仕事どころではなくなってしまう。

 お互いに相手が倒れないように願っていた。

 天長節の前日、手術室のある上の壕が外科病棟として新設された。

 千恵子たちが眠っている間の出来事で、そんな事を知らずに、いつものように四時頃目が覚めると、上に寝ているはずのトヨ子がいなかった。

 向かい側の下段にいるはずのトミもいない。

 寝坊したのかと思ったが、隣を見るとアキ子は寝ていた。

 トヨ子とトミはどこに行ったんだろうと小百合の所に行くと、小百合もその上で寝ている佳代もいたので安心した。

「トヨ子とトミがいないのよ」と小百合に話すと、佳代が寝ぼけた声で、

「初江はどこ行ったの」と聞いた。

 佳代の向かい側に寝ているはずの初江の姿もなかった。

 しかも、荷物までなくなっていた。

 どこに行ったんだろうと話していると、初江の下で寝ていた房江が、

「寝ぼけててよく覚えてないんだけど、お昼頃、留美が来て、上の壕に行く事になったとか言ってたけど」と教えてくれた。

「上の壕って手術室のこと」と佳代が聞いた。

 房江はうなづいた。

「そこが新しい外科病棟になって五人が行く事になったとか言ってたわよ」

「五人て誰なの」と千恵子は聞いた。

「そこまでは」と房江は首を振った。

「菊枝がいない」と佳代の隣にいる美紀が騒いだ。

 美紀の下の寝台を見ると、やはり荷物もなかった。

 千恵子は戻ってトヨ子とトミの寝台を調べた。

 二人とも荷物がなくなっていた。

 アキ子と鈴代に聞いてみたが、千恵子と一緒で何も知らなかった。

 一体、どうなってるのと千恵子たちは夜勤の者たちに聞いて回ったが、房江より詳しい事を知っている者はいなかった。

 看護婦さんなら知っているだろうと奥の坑道に行って、古堅看護婦に聞いた。

 古堅看護婦は寝台を直してもらって元の位置に戻っていた。

「そうなのよ。昨日の夜から病院内の寝台は全部埋まってしまって、上の壕に収容する事に決まったの。それでね、あなたたちの中から五人が異動になったのよ」

「荷物を持って異動したんですか」

「そうよ。上にも休む場所はあるらしいわ」

「上にいた衛生兵の人たちはどうしたんですか」

「衛生兵たちも前線に異動になったのよ。全員が異動する訳じゃないけど、半数は出て行ったらしいわ。軍医さんも何人か前線に行ったのよ。多分、明日の総攻撃に備えてだと思うけど」

「そうですね、きっと。明日にはこの戦争も終わるんですね」

「そう信じて、今日も頑張りましょ」

「はい」と千恵子は元気に返事を返して小百合たちの所へ戻った。

 上の壕に行った五人は第二外科の留美、第七外科の菊江、第八外科の初江、第九外科のトミ、第十外科のトヨ子だった。

 第二外科は留美が抜けても四人いるからいいけど、第七から第十は三人だけになってしまった。

「初江が抜けて、夜勤はあたし一人だけなのよ。たった一人でどうしたらいいのよ」と佳代は泣きっ面になった。

「あたしだってそうよ。トヨ子がいなくなって、たった一人なのよ。どうしたらいいのよ。飯上げだって一人じゃできないわ」と房江も泣き出しそうだった。

「とにかく、やれるだけの事をやるしかないわよ」と小百合が言った。

「小百合とチーコはいいわよ、二人いるんだから。一人だけになった気持ちなんかわからないわよ」

 佳代にそう言われると千恵子には何も言えなかった。

 千恵子も一人ぼっちになるのを恐れていた。

 もし、小百合が倒れたらどうしよう、とても一人ではやって行けないと、澄江を見舞った時からずっと思っていた。

 佳代も房江も泣き出してしまい、千恵子と小百合はどうする事もできず、二人を置いて顔を洗いに出掛けた。

 第五坑道の入口の所に行くと何人かが固まっていた。

「どうしたの」と鈴代に聞いた。

「富盛の民家が爆弾にやられたんだって。井戸も危険なんで、もう少し待てって言うのよ」

「とうとう富盛もやられたんだ」

 戦争がだんだんと近づいて来ていた。

 でも、明日は天長節、日本軍の総攻撃があって敵は皆、逃げてしまうだろう。

「最後の悪あがきよ」と千恵子は独り言をつぶやいた。

「えっ」と小百合が言った。

「今、佳代の事を言ったの」

「えっ」と今度は千恵子が言い返した。

「なに言ってるの。敵の事を言ったのよ。明日は天長節なのよ」

「あら」と小百合は驚いた。

「明日はもう二十九日なの」

 小百合だけでなく、驚いている者が多かった。

 暦(コヨミ)がある訳ではないので、意識していないと今日が何日なのかわからなくなってしまう。

 千恵子はここに着いた日から、啄木の歌を毎日、一つづつ覚えようと、寝る前に歌の上に日付を書いていた。

 歌を覚える事はできなかったけど、毎日、日付を書いて歌を読んでいるので日にちだけはちゃんとわかっていた。

 今朝、寝る前に読んだ『怒る時、必ず一つ鉢を割り、九百九十九割りて死なまし』という歌はまだ覚えていた。

 どうして九百九十九なのか、意味がわからなかったので覚えていたのかもしれない。

「明日は天長節よ。日本が勝って戦争も終わるんだわ」とみんなが言っていた。

 誰が歌い出したのかわからないけど大合唱が始まった。

 銀翼(ギンヨク)連ねて南の戦線

    ゆるがぬ護(マモ)りの海鷲(ウミワシ)たちが~

    (ラバウル海軍航空隊 佐伯孝夫作詩、古関裕而作曲)

 それは海軍の歌だったけど衛生兵たちも一緒になって歌って、文句を言う者はいなかった。

 五時になって、いつものように敵の攻撃は静まり、外に出る事ができた。

 千恵子と小百合は上の壕を覗いて見る事にした。

 話には聞いているけど、まだ一度も行った事はなかった。

 坑道前の広場に作られた擬装網の下に大勢の負傷兵がいて、衛生兵たちが次々と上の壕へと運んでいた。

 第一坑道の先に細い道が上へと続いていて、担架に乗せられた負傷兵たちが並んでいた。

 皆、苦しそうに呻(ウメ)き、千恵子たちを見ると助けを求めて来た。

 道は狭くて、患者さんたちを押しのけて行かないと上には行けそうもなかった。

 諦めて帰ろうとした時、「ごめんなさい、ごめんなさい」と初江の声がして、菊枝と二人で上から降りて来た。

「あら」と初江は千恵子たちを見ると笑った。

「これから飯上げなのよ」

「えっ、ちょっと早いんじゃないの」と小百合が言った。

 下の壕では夕食の飯上げは夜勤者の仕事だった。

「毎晩、手術があるのよ。夜勤者は手術のお手伝いもしなくちゃならないから朝晩の飯上げは日勤者の仕事なの」

「昼間は手術をしないの」と千恵子は不思議に思って聞いた。

 下の手術室では昼も夜も軍医さんが交替で手術をしていて、それでも間に合わなかった。入院患者は以前よりずっと増えているのに納得できなかった。

「できないのよ。手術をするには器具の消毒をしなければならないでしょ。煙が壕から立ち昇ってたら敵に見つかっちゃうわ」

「そうか。夜しかできないのか」

「そうなのよ。患者さんは次から次へと来るんだけど、すぐに手術をしてあげられないの。可哀想だけど仕方ないのよ」

「ねえ、こんな所に患者さんが並んでたら、敵に見つかっちゃうんじゃないの」と小百合が聞いた。

「昼間は絶対に並ばせないわよ。五時に敵の攻撃がやむと連れて来た人が運んで来ちゃうのよ。申し訳程度に、木の枝か何かで擬装してね。運んで来た人たちも今のうちに原隊に戻りたいのよ」

 初江の話によると上の壕は採石場の跡を拡張した人口壕で、中はL字型になっていて向こう側に通り抜けられるという。

 手術室は入ってすぐの右側にあって、病棟は下の壕と同じように壁に沿って二段の寝台が並んでいるけど、左側だけで右側は通路になっている。

 寝台の幅は下のよりも広くて、患者さんは二人づつ寝かされている。

 入院患者は六十人もいて、下にいた時よりもずっと忙しいとぼやいた。

 炊事場に行く初江たちと別れて、千恵子たちは井戸に向かった。

 井戸端では富盛の住民たちがバケツリレーをして燃えている民家の消火に当たっていた。

 衛生兵たちも手伝っていた。

 その中に村田伍長もいて、千恵子たちを見ると、君たちも手伝ってくれと言った。

 千恵子たちもバケツリレーに加わり、火事はようやく鎮火したが、五、六軒の家が焼け落ちてしまったようだった。

 千恵子たちが顔を洗いながら、村田伍長の活躍を話し合っていると佳代と房江がやって来た。

 二人とも照れ臭そうに笑った。

「やれるだけの事をやるしかないさあ」と佳代は言った。

 いつもの佳代に戻ったようだった。

「あたしたちも手があいたら手伝うよ」と小百合が言って千恵子を見た。

「勿論よ」と千恵子は言った。

「こうなったら、みんなで助け合ってやるしかないわ。今晩を乗り越えれば、明日は天長節よ」

 その夜、千恵子と小百合は休む事なく、佳代や房江を助けて働き続けた。

 その夜は珍しく第六外科に死亡患者はなく、新しい患者さんが二人入って来た。

 昨夜と今日の昼間に亡くなった患者さんがいて、二つの寝台が空いていたけど、すぐに埋まってしまった。

 新しい患者さんは背中に重傷を負った林一等兵と胸部に重傷を負って左手を切断された黒沼伍長で、山三四八〇部隊(野砲兵第四十二連隊)の同じ小隊に属していた。

 二人の小隊長である鵜島少尉は臀部(デンブ)重傷、両手軽傷で第五外科に入院していた。

 二人は小隊長の事をしきりに心配していて、「小隊長殿、大丈夫でありますか」と何度も声を掛けていた。

 部下にあんなにも慕われるなんて、立派な上官なのねと千恵子と小百合は感心していた。

 艦砲がやんだ朝の五時、壕前の広場に全員が集合して簡単な式典が行なわれた。

 国旗掲揚もなく、国歌斉唱も『海行かば』も歌わなかった。

 病院長の安井少佐の式辞と宮城遥拝(キュウジョウヨウハイ)をして、すぐに解散になった。

 それでも、千恵子たちはこの日が来るのをずっと待っていた。

 病院壕に戻ると、「敵の攻撃が激しくなって来たので、今日から水汲みと飯上げは朝晩五時にやる事に決まったのよ」と古堅看護婦に言われた。

「えっ」と千恵子と小百合は驚いた。

 今まで、この時間帯は遺体の埋葬と汚物の処理をすればよかった。

 今夜は亡くなった患者さんもいなかったので楽ができると思っていたのに、これから水汲みと飯上げをするなんて、いやよと一瞬、思った。

 でも、考え直して、どうせ、もう戦争は終わるんだからどうでもいいかと二人は水汲みに出掛けた。

 他の病棟の者たちも文句を言いながら井戸に向かっていたけど、今日が天長節だった事を思い出すと、機嫌はすっかり直って、浮き浮きしながら話し合った。

「今頃は敵の空母が何隻も轟沈(ゴウチン)してるはずよ」

「本土から零戦(レイセン)がいっぱいやって来て、敵のグラマンを撃墜(ゲキツイ)してるのよ」

「上陸したアメリカーは日本軍の反撃に会って、みんな海の方に追い返されてるわ」

 皆、景気のいい事を言っては笑い合った。

「敵の軍艦が轟沈する所を見てみたいわね」と佳代が言うと、

「矢野兵長さんがこの前、見たって言ってたわよ」と朋美が言った。

「もう十日以上前の事だけど、病院壕の上の方に登って行くと、中城湾(ナカグスクワン)がよく見えるんですって。花火のように打ち上がる艦砲射撃の中を神風特攻隊が突っ込んで行って、凄い爆発が起こったかと思ったら、敵の軍艦が真っ二つになって沈んで行ったって興奮して話してくれたわ」

「凄いわね」とみんなで感心した。

「最近、矢野兵長さん、見かけないようだけど、どこかに行ったの」と千恵子は朋美に聞いた。

「奥の坑道が第九外科になってから、矢野兵長さんは上の壕に移ったらしいの。あたしは夜勤だから知らなかったけど、この間、和美に聞いたら、矢野兵長さん、村田伍長さんの所に遊びに来ていたらしいわ」

「ねえ、村田伍長さんも上の壕に移ったんじゃないの」と小百合が聞いた。

「村田伍長さんは第五坑道の方に移動したのよ。矢野兵長さん、村田伍長さんの所で一緒にお酒を飲んで自慢の喉を聞かせていたそうよ。でも、上の壕も病棟になっちゃったでしょ。村田伍長さんに聞いたら、矢野兵長さんは新しい病院壕を捜すために出掛けて行ったって言うのよ」

「新しい病院壕?」と千恵子たちは初めて聞く事に驚いて立ち止まった。

「ねえ、新しい病院壕って何の事なの」と小百合が朋美を引き留めて聞いた。

「もうここはいっぱいになっちゃったでしょ。どこかに分院を開設しないと患者さんを収容しきれないからって言ってたけど」

「もしかして、その新しい分院にはあたしたちも行く事になるの」

「そこまでは知らないわよ。でも、ここの分院なら、ここの軍医さんや看護婦さんも行く事になるんじゃないの」

「まったく、冗談じゃないわ」と佳代が怒った。

「今だって人手が足りないのに、その分院に何人か行っちゃったら、益々大変になるじゃない」

「そうよ。まったく、お偉いさんたちは何を考えてんだろ」と小百合も文句を言っていた。

「ほんとよ。冗談じゃないわよ」と千恵子も怒った。

「ねえ、みんな、何を怒ってるのよ」と房江がのんびりした口調で言った。

「今日が何の日だか、もう忘れたの」

「あっ、そうよ。もう戦争は終わるのよ。分院なんか、もう用はないのよ」

 千恵子たちは陽気に笑うと、『天長節』の歌を歌いながら行進して、井戸端で顔を洗っていた日勤の者たちと一緒に元気よく『日本陸軍』を歌った。

 いつものように六時になると敵の攻撃は始まった。

 上空を飛び回る敵機の姿もいつもと変わらないし、首里方面の空襲も激しさを増しているような気がした。

 本当に今日で戦争が終わるのかしらと不安が胸をよぎるが、それを打ち消すように、千恵子たちは勤務を終えて宿舎に戻ってからも、勇ましい軍歌を歌い続けた。

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