水鳥にパンを与えることはいいこと悪いこと? | 数秘術家 阿部としみのブログ★ 数秘サロンTSUKIYOMI(ツキヨミ)

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数秘術家 阿部としみの日々の気づきと数秘術で読み解く毎日のメッセージを綴っています。

近所の川辺でよく水鳥にパンをあげている人がいる。

 

今日も中年の女性がカモたちに嬉々としてパンをあげていた。

 

手にはおそらくご家庭で食べあまっただろう食パンの袋。

 

おいでおいで!

 

来たの、よしよし

 

まるでペットにおやつをあげているかのような。

 

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でも

 

カモはペットではない。

池の鯉とも違う。

 

野生の鳥だ。

 

遠くシベリアからはるばる飛来してきている。

 

パンをいつももらえると思ってしまったら

彼らは自力で餌をとることが下手になってしまうのではと不安になる。

 

 

 

パンもたまにならいいかもしれない。

 

でもパンを投げる人はこの女性だけではないのだ。

 

自分の撒くパンに群がるカモはかわいいだろう。

 

自分がこのおなかをすかせたカモたちに貢献していると思うと悪い気はしないだろう。

 

 

 

でもそのパンは

 

何週間たってもカビもしない添加物たっぷりの食パンではないだろうか。

 

人間の食べるものが必ずしも動物にもOKとは限らない。

 

知らない、ということはときに愛から外れてしまうのだ。

 

 

 

 

 

今朝の数秘メッセ―ジは「親切」について書いた。

 

 

 

親切な人には悪気はない。

 

みな善良だ。

 

だからときおり厄介になる。

 

 

たとえば病の床にいる人が、宗教やら壺やら療法やらを押し付けられるという話もよく聞く。

 

中には悪徳なものもあるだろうが

 

近親者の大半が良かれと思っての行為だから始末に負えない。

 

 

断ったら相手に悪い、

 

迷惑と思ってしまう自分は度量が狭いのでは、と

 

病人に余計な負担をかけているかもしれない。

 

 

 

どうしたらいいのだろう。

 

う~ん・・・と心の端で思いながらも

ありがたく親切を受け入れられたらそれでいい。

 

でもやはり負担に思えるときは率直に言うべきだろう。

 

私にはツーマッチだということを

 

自分の言葉で心を尽くして。

 

 

 

また、何かためになりたいという側も

 

こうしたいと思うのだけどそれは必要か、と前もって尋ねてはどうだろうか。

 

もしNOと言われたら、自分が否定されたと思わなくていい。

 

相手には必要なかったということだけで。

 

またいつか手助けが必要なときは言って欲しいと言えばいい。

 

役に立たなかった、イコール自分に価値がない、と思うことはない。

 

何か手助けしたい、力になりたいと思えるあなたはすでに優しいのだから。

 

 

 

 

でも優しさを形にするのは至難の業だとふつつかものの私は思ってしまう。

 

これもまた熟練が必要。

 

経験値を高めながら程よい親切ができる人間になっていくしかあるまい。

 

生身の人間だからなかなか天使のようにはなれまいて。

 

親切にしたつもりが迷惑がられたり

 

そんなつもりでなかったのにものすごく感謝されたり。

 

そもそもわからんものなのだ。

 

 

 

ところでなんで親切は「親を切る」と書くのだろうかと昔から疑問だった。

 

切るとは「切に願う」というように、とても、非常にという強める意味らしい。

 

親とは「親しい」という意味らしく、とても親しいということになるのか?

 

調べたけれどイマイチ釈然としない

数秘術家の阿部としみでした。

 

 

ま、自然界へは下手に親切心出さない方がいいよね。

 

でも目の前で飢え死にしかけていたらそりゃパンでもなんでもあげちゃうのは愛。