私(母)
「振り込みしたいから、どこでもいいから銀行に寄ってもらえる?」と
母が言うから、銀行 駐車場に入った。母は車から降りながら
「わからなかったら、行員に聞けばいいわよね?」と言う。
今まで生活してきていれば振込なんて何度もしてきているだろう、なのにわからない?
私も車から降りて母と共に銀行ATMの前に行く。
母はATM画面を見ながら振込先の銀行名、支店名を入力していく。口座番号だけ私が振込先の書いてある用紙を見ながら数字を読み上げたくらいで、母ひとりでも出来たと思う。
今まで出来たことが、出来なくなることが増えていく生活の中で
振込も出来るのかしら?と不安になったのだろう。
母が年老いていくのを見ていると
色々なことが、小さくなっていくんだなと思う。
行動範囲 考え方の視野 度胸
歩く歩幅…。
脳の萎縮は、その人の生活を少しずつ小さくする気がする。
覚えていられることも小さくなっている。忘れていく時間も狭くなる。
「さっきの話しなんだけどね…」と言うと、母はわからないらしくぽかんとする時がある。
忘れっぽくなっているのに、私の息子の頭の残腫瘍があることを母は忘れない。
母の孫は、私の息子含め5人。
私の息子が、母の孫の中で1番のがんばりやさん。
1番偉い孫が、私の息子になった。
残腫瘍のせいだ。
母が振込方法を忘れても、私がやってあげる。だから私の息子の残腫瘍のことも忘れちゃえばいいのに。
1番偉い孫じゃなくてもいい。
年を重ねて色々なことが小さくなっても、小さくならないことがあるのだと母を見て思う。
小さくならないものは、大事なことなんだと思うと母に感謝しかない。