67 | 想想記

想想記

思い付き


13世紀の木里王国の範囲 No.1に 現代の少数民族の自治区を重ねてみたのが No.2の地図。

少し分かり辛いんで 部分拡大してみた。


でも 見たい人は 勝手に拡大すればいい気もする。
見た通り スッポリと入っちゃった。爆笑
もしかしたら…と思ってやってみただけなんだけど 

この領域をまとめたナシ族が 西の隅っこてのも面白い。
この分布の形からして 西から東へ川沿いに広がっていったのだろうな。
フビライに滅ぼされた大理国なのかというと あっちはタイ族が建国して13世紀頃に滅んでいるから 
ナシ族のムー王国は その後だろうかなうーん
分布の形からして西から東へ広がっていったのだとみえる。ただ 水稲耕作の遺跡までは 広がっていない。
西から来たというこは 牧畜がメインだろうから 水稲耕作を伝播してきた民族ではない。
ミャオ族は 民族的には 分派が細かいんで もう少し南にも広がっているのかも。顔の特徴は 東南アジア系だと思う。チョット丸顔かな。

イ族は チャン 族の分派だろうといわれているから チャン つまり 羌(きょう)の末裔になるわけだ

だとすると 羌は E100° N40 チーリエン山脈辺りが発祥地だから 大涼山伝いに南下してきて そのまま定着したのだろう。
イ族も山岳民で 牧畜や狩で生活していた。農業は 最近の話だ。
真顔大涼山て 地図に名称が載ってないんだよなー なんでだろ?
顔の特徴は 前に書いたからいいか
簡単に言えば シュッとして少し面長の顔で 平均して鷲鼻だ。
火の祭りが多いから 『火の民』ともいわれてるみたい。少し似た祭りが 四国にあったかな。

イ族の女性が頭に載せる帽子のような 布の束のようなのが 土偶の女性がかぶってる帽子のような布の束ようなっぽいし 埴輪の巫女っぽいんだよな

羌の発祥地のN40°は ちょうど日本の東北地方位置でもあるんだな。

ナシ族の民族衣装は たすき掛けっぽいよなーとか。少しカッコいい。ニコ
日本の お坊さんの衣装に似てるような。

ナシ族の顔や体格の特徴も 前に書いたから 
一応 簡単に書いとくと シュッとした顔立ちで 少し肌色が濃い 丸顔というより やっぱり面長かな。

長江のN110°辺り つまり ムー王国の東端を境から
更に東は 低地になっている。
大体この辺から水田址(水田の遺跡)の分布が分かれていたと思う。

つまり 水稲耕作は 高地を避けてグルー〜・・・っと回っているんで N110°より西にいる人が 水稲耕作を伝播させるはずがない。

実際 水田址は 西方より東方の水田址の方が 約5000年古い

だから 西の風習が東へ伝わってきたというより 東の風習が西に伝わっていったと考える方が自然なんだな。

それと 初期の頃に書いたけど 一部の縄文人が 大陸に渡って帰ってきてるように思う それは 日本中を 移動して 鏃やヒスイを配っていた一族だか集団の存在があり おそらくは その人達が 海を渡って そして 帰ってきたのではないだろうか。


そうすると フヨ族の説明が 何となくつく。
これも少し 描き直そうかなうーんうーんうーん