46 | 想想記

想想記

思い付き

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スクリーントーンの練習がてら、縄文人を描いてみた。(;´Д`A
なかなか慣れなくて、近くで見るとキズだらけで、少し遠目から…

縄文人の服装は、どの様なものだったのかを、考えていて、ネットで調べていると、ボサボサの髪に、袋状の麻の布をスッポリと被っている様なものばかり。
その様な一面もあるのかもしれない。
誰も縄文人の服装を見ていないから否定は出来ないし、文献に記して残っている様相を形にすると、その様な感じになるのかもしれない。

しかし、褌(ふんどし)姿の縄文人の想像図が無いのは、少し不自然の様に感じ、今回は、描いてみた_φ( ̄ー ̄ )。

褌は、5000年前の古代エジプトでは、普通のスタイルで存在していたので、麻の糸が有り、原始的ながら布地を織る事も可能であった縄文時代に褌が存在してないというのは考えにくい。
現在に存在している少数部族も、褌で股間を「固定」している。…でなと動きずらい。
これは、男性にしか分からない感覚なのかもしれない。(〃ω〃)
女性がノーブラだと動きずらい感覚と似ているだろうか?(大きさにも依るのだろうか?)

土偶は、その殆どが女性なので、男性よりも服装は、想像しやすいところがある。しかし、この模様が刺青(いれずみ)で裸なのか、それとも麻の模様で、つまり、布地なのかが、分かりずらく難しい。

文献には、女性は、筒状の布地を被っている風な事が記してある様だが、その場合、土偶の女性の様相と違い、ある意味、矛盾してさえいる。物証と供述が食い違うという感じの事だ。

女性の縄文人も、その内に描いてみようかな(#^.^#)

さて…
髪の毛は、日本の歴史を通しても、ボサボサの髪をする風習がないように思う。
縄文人の場合、
男性は、頭の上で団子状に纏め、ハチマキをしていたようだ。
この髪型は、神主が、正装の時に被る「冠」という名称だったか?…に、似ている。
縄文人に限らず、日本人は、髪を「結った」り、ハチマキで頭を「結んだり」と、そこに神を宿らせるような行為をする。

日本語の音は、近いものに似ている。

例えば、「はし」は「橋」であるが「端」でもあり「箸」でもある。つまり、「狭く長いもの」のような意味なのではと思う。
ならば「髪」は「神」に近い意味合いがあるのでは? という事になる。
「かみ」は、音から察すると、「宿る」という意味なのではないだろうか。

脚や腕に巻いてる布は、森や山で少しだけ生活すると分かると思う。
細い枝や葉っぱが当たりチクチクしたり、キズができたりするので、その防止の為にする。虫や蛇避けにもなる。砂漠みたいな場所なら必要ないので、してない部族の方が多いかもしれない。

褌については、書いたので、いいかな(´ー`)
ただ、今回の絵は「海辺」の縄文人なので「山中」の縄文人になると少し違うかもしれない。

腰にぶら下げている「Y」の字の物は「鹿の角」で「厄(わざわい)」を避ける「御守り」みたいなものを身に付けていたようだ。

これは想像なのだが、「日本刀」は、これが原形なのではないかと考えている。
日本刀は、実用面ばかりが語られるが、古代の神事には “帯刀” が正装だった。

それと「鹿の角」は、取ってきたアワビなどの口をこじ開ける道具としても使われていたようなので、古代の海女(あま)や「貝塚」で専業で働く女性達も持っていたようだ。

今回の絵で持っている「銛(もり)」は、ちょっと名前を忘れてしまったが、獲物に刺さると「銛」の先端だけ獲物の体内に残り「柄」の部分は外れる仕掛けのものだ。
「銛の先端のみ」は、鍵状になっていて、獲物の体内で引っかかる。そして、それに縄が繋げてあり、引っ張る事ができる。

縄文人は、貝ばかり食べてる印象があるのだが、マグロやクジラなどの大型の回遊魚の骨も遺跡の中から発見されているという…(°_°) どうやって獲るの?

縄文人が「一本釣り」を知っていたかどうかは分からないけど、マグロは釣れたとしよう…しかし、クジラは、どうするよ(-᷅_-᷄๑”)ん〜

ネットの中をフラフラ検索してると、この様な銛を使われていたのでは? という人がいた。

出土地域は、茨城〜岩手辺りで、黒潮と親潮がぶつかる海域だ。「クジラ」っぽい地名も在る。後は、縄文人の「度胸」だけが必要だ。
しかし、出土する舟は、簡素な丸木舟ばかりで、
全くもって凄いとしかいいようがない (⌒-⌒; )

話は、少し変わる。でも縄文人の話
宮崎駿氏の監督作品の中に「未来少年コナン」というのがある。
タイトルに「未来」と付いているが、内容を観ると日本の「古代史」なのではないのか?と思える。大まかな物語は
天変地異が起こり大陸から引き離された「のこされ島」ができる。これが「日本」だ。そこに暮らす人達がいる。これが「縄文人」だ。コナンは、山の上にロケットが刺さった家に住んでいる。これは、「岩座(いわくら)」に似ている。「巨石信仰」「自然信仰」で神社の原形ともいえる。
アル目的を持ってコナンは小さな舟で「インダストリア」に向う。宮崎監督が縄文人は大陸に渡ったのではないかと考えている場面だ。
「インダストリア」は、揚子江付近の北方騎馬民族の地域で、色々有り、そこから「ハイハーバー」に向う。
「ハイハーバー」は、長江付近の南方農耕民族の地域となるか。
そこで、「麦の種」と「技術」又は「技術者」を手に入れて大きな船で “ 帰ってくる”
…と。
色々な人を連れてはいるが、コナンが“ のこされ島 ”に帰ってきた。つまり、大陸に渡った縄文人が帰ってきて農耕を広めた。
そして、コナンは神社の原形の「岩座」に暮らしていた。…という事は…

これは全く個人的な想像であり宮崎監督の作品に対する考えとは一切関係ありません。

よく渡来人を「弥生人」と呼ぶが、そのような「人種」は存在してない。みんな「縄文人」なのだ。
初期の水稲田も縄文の頃の道具を使用して縄文人が試行錯誤している。そして、その技術を伝える為に「黒曜石のネットワーク」を使用している感じがある。
 頭蓋骨の違いを「縄文人」と「弥生人」に分けたりする。古代日本列島には、大きく分けて3グループの人種が上陸している。そのいずれも「縄文人」で「弥生人」の骨格のグループもまた「縄文人」の一部にすぎない。

正月だし、、、可愛い女の子の方が良かったかな(´ー`)ま・・・いっか。