42 ⑹ | 想想記

想想記

思い付き

弥生前期後葉…(図.E.参照)

更に110年位経過したのかな?
北九州での水稲の成功から330年位が経過して教科書的な説明でいえば、日本全国に稲は拡がった事になるが、実際には、水稲が根付いたのは、近畿周辺と北九州の一部地域のみだけだ。
しかし、水田跡が発見されてないのに、籾を入れた土器が、相変わらず出土するということは
、全国に籾を配っていたという事になるんかな??
この頃になると、権威の中心が近畿に移動して、威信財が、ヒスイから稲=米に変化していったのではないのかと思う。その運搬手段は、舟を使い、黒曜石ネットワークをフル活用している。
舟を使い黒曜石を運ぶというと''神津島系”縄文人だろう。
だ。
つまり、近畿に定着したのは、かつて関東から富士山の近辺に移動してきて、黒曜石を配っていた縄文人の集団なのかもしれない。

移動経路を簡単に書くと
関東東部→富士沿岸伊豆半島→瀬戸内海→(上手く海流に乗れば長江流域まで行ける)→北九州・朝鮮半島南端→近畿
…となる。

偶然なのかどうか、丁度、全国に米が行き渡った頃の年と神武天皇が即位なされた年がとても近い。

黒曜石を舟を使い配っていた集団とは、何者なのだろうか。

【舟】というと、神話のなかに【天の磐船(アマノイワフネ)】という【舟】が登場する。
いかにも…な感じだ。この舟に乗って日本中を回っているのが、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)で物部(もののべ)氏と尾張(おわり)氏の始祖とされている。尾張は、神津島産の黒曜石を使っている。
秋田県には、饒速日命の降臨伝説伝える《物部文書》が存在するらしい。それを伝える秋田県大仙市の唐松神社の宮司の名字が[物部]だという。今は[物部]と書いて[ものべ]と読むとのこと。
饒速日命は、天孫降臨に先立ち十種神宝(じっしゅのかんだから)を携え河内国に降ったとされるが、その内の五種を所蔵しているとの話。
河内国に降った十種神宝が、何故か 秋田県に有るというのも不思議な話だが、その神宝が、黒曜石で作られた鏡が二枚、玄武岩で作られた玉が2個、玄武岩も非常に硬い黒曜石の一種だ。
そして、神話によく登場する十握剣が一振り。剣は、鎌倉時代の作らしい。
この唐松神社のある大仙市付近を流れる【雄物川】河口域には、【男鹿半島】が有り、黒曜石の産地の一つでもある。
つまり、物部氏は、黒曜石を全国に配り飛び回っていた縄文人の一族だと思う。
そして、稲というヒスイに代わる威信財と、【鉄】という黒曜石に代わる威信財も手に入れた。
事代主神も黒曜石の産地と関わる場所にいた。長女も【鉄】に関わる御名であった。
事代主神もまた物部氏の一族である可能性が高い。
神武天皇は、饒速日命が持参していた天津瑞(あまつしるし)を献上されるのだが、これは、つまり物部氏の一族であるということと考えるしかない。
天津神の一族とは、物部氏の一族で、黒曜石の加工・配布を行い続けていた海洋の縄文人の系譜で、その集団が、近畿周辺に定着したのかも⁉︎しれない。

関係あるのか分からないが、唐松神社の有る【大仙市】だが、仁徳天皇陵のまたの名称が【大仙古墳】だ。おそらく、便宜上の名称だと思うのだが、この唐松神社も【古墳】のような建物だ。何やらパワースポットらしいから、一部の人達には、有名な場所なのかな?

( ´ ▽ ` )ノ