夜の新宿は美しい。都会に出てきたときは、都会の魔物に食われてしまうのではないかと思って下宿のアパートの部屋に閉じこもっていたことを思い出す。東京は危ない街、田舎者は都会の人間に騙されてはいけないという心のバリアがあった。私は、新宿区の大学のキャンパスと北池袋のアパートとの往復しかしていなかったが、大学の学生と話をした経験などを通し、東京という街も普通の街なのだと認識するようになっていった。金がなければ繁華街などには出入りすることもない。何もない生活を大学4年間過ごし、社会に出た。

 

社会に出ても、会社と宮前平の独身寮との往復だった。終電で帰るハードな新人時代だった。社会人一年目にスナックやフィリピンパブなど、夜の店に出入りするようになった。社会人の先輩や上司に連れられ、遊びに出かけたが、ちっとも楽しいとは思わなかった。若い女性との会話や、カラオケや酒、そんなものは日常の中にあったからだ。フィリピン人と酒を飲むことはなぜ楽しいのですかと上司に聞いたことがあった。上司はフィリピンの女性には悲哀があるからだよと答えた。若年だった私には理解できなかった。かわいそうだから会いにいくのか。それは私じゃなくても良いことだと思っていた。今ならなんとなく上司の心境は分かるような気がするが、サラリーマンというものがいたたまれないものなのにさらにフィリピンの女性の人生を背負うような真似をしないといけないのか分からなかったのだ。

 

夜の街で遊ぶということはあまり好きになれず、この歳まで新宿で豪遊なんてしたことがない。女性に興味がないかというとそういうわけでもないが、夜の都会の喧騒の中、ファインダーを覗いているほうが性に合っていた。私は、サラリーマンをするという歯車な人生を始めたときとあまり何も変わっていないのかもしれない。

 

先日、定年退職した先輩に連れられ、大井町のスナックに行った。会社の先輩方が30年お世話になっているお店のようだ。御用達といってもいいかもしれない。我々が行ったときはママが一人で待っていた。お客は我々だけ。軽い冗談を交えつつ、同僚は定年を迎えたことを話した。ママはチューもさせてくれなかったんだ、昔は森高千里のように綺麗だったんだよなと思い出を話す。カラオケの得点がぞろ目になるとくじが引ける。そんな遊びに興じた。

 

ママとの会話や先輩との会話が楽しかった。新人時代に感じた義務としてお店にいた感覚とは違って、楽しんでいる自分がいた。私も歳をとったからかと思ったが、そういうものじゃないかもしれない。久しぶりに会いに来たというママの表情からあふれ出る懐かしさ、定年になってママに会いたくなったという先輩の心理に触れ、人生の年輪を感じ、その一端に自分が触れることができたということがとても楽しかったのだと思う。お金を支払ってママも愛想がいいかもしれないが、それだけで割り切れるものじゃないと思う。一時間1万円の関係だというには本当に割り切れない積み重ねた時間を感じたのだ。人は生きているから、無用な情がわいてしまうのだと思っている。スナックのママという商売をする人間だけど人間としての信頼、憧れだったママへの愛情に似た感情、しかし一万円だけの関係なんだと割り切る感情もないまぜになって。定年を迎えた先輩がその日に私を連れて、その店に寄った意味が分かったように思う。ただそれを通して感じたことは、フィリピン人にかけた情というのはこういうことなのかと思った。その情は自分への慰めなのだと思った。バカになれる瞬間というのは大切なこと。いたたまれないサラリーマンの仮面を脱ぎ捨て、バカになれるときというのが、この間感じたことだった。夜の街にお金を落とす人間の気持ちは若い時は分からなかったが、大井町のスナックで理解することができた。

 

5年後にまた来るよ。同僚はそう言って店を出ようとすると、ママはこの店潰れてしまうからもっと早くに来てよと話した。その潰れるという言葉がリアルに聞こえ、私は寂しかった。定年ということと、森高千里に似たママもいつかは店を閉めるのだと思って少し感傷的になった。

 

新宿という街が、そういう寂しさの中で成り立っている世界だと思うと、人間臭い街だなと思う。そう考えると、少し親近感がわいた。