鮨のルーツ⑥〜委託加工制度前編〜 | 鮨早川のブログ

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さて、鮨のルーツも第6回目を迎えましたが、このへんでひとまず区切りをつけたいと思います。


最後のテーマは「委託加工制度」について前・後編に渡り、書かせていただきます。


この委託加工制度、あまり耳にしたことのある人は少ないかと思います。


しかし、この制度は江戸前鮨の全国普及をもたらした、江戸前鮨の歴史においてとてもキーポイントとなる制度なのです。


時代は1939年、太平洋戦争を前に大日本帝国は統制経済として米の配給制度を実施します。


当時、飲食店には特別配給米がありましたが、十分な量でなかったため闇米を買わざるを得ないという状況でした…


やがてその闇米も入手困難となり、さらには魚介類まで統制され、休業する飲食店が後を絶ちませんでした。鮨店も例に漏れず休業を余儀なくされます…


ところが1947年、鮨店だけが営業を再開することが出来るようになったのです。


それが「委託加工制度」です!


お客が米一合を持って行き、握り鮨と海苔巻きを作ってもらい、対価として加工賃を払うというもので、タネは統制外の貝類やボラ、雷魚やウグイなどの川魚を使っていました。

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(こんな素晴らしい青森のヒラメはもちろん使えません)

が、中には禁止されていたスズキなどの海魚を闇市で仕入れ、使っていた鮨店もあったようです。(某老舗鮨店の話)


憲兵がチェックに来てもその前に卸して身だけにしてしまい、なんの魚かわからないようにしていたそうです。


憲兵からしたら身だけ見ても何の魚かわかるわけもなく、この鮨店の大将は賢く度胸があります!


ただし、店内での飲食は禁止されていたためテイクアウトの形態をとっていました。


この時の盛り込みがそのまま出前一人前の基本にもなっているのですね。


この制度により、当時伝統的な押し寿司文化の関西圏でさえ、江戸前鮨を握るようになり、江戸前鮨が全国展開する画期的な出来事となったのです。


来週は後編。委託加工制度開始までのドラマをお伝えします!


鮨早川


中原 渡