昨日の都城市の神社巡り(2024年8月13日) | この美しき瑞穂の国

昨日の都城市の神社巡り(2024年8月13日)

2024年8月13日は最初に宮崎県都城市の東霧島(つまきりしま)神社にお参りした。



東霧島神社はJR吉都(きっと)線東高崎駅より徒歩10分ぐらいのところにある。




東霧島神社の参道にはバナナの木があった。さすが宮崎の神社、なんともトロピカルだ。




東霧島神社の境内は地元の方が掃除したり、野菜やはちみつなどを売ったりしていた。なんともアットホームな神社である。

東霧島神社には鬼が作ったという振り返らずの坂という石段がある。



鬼がなんともチープだが大きな石をよく積み上げたものだ。この鬼磐階段は昔々霧島山の麓の村に住む美しい娘を気に入った赤鬼が娘の父に娘をくれと言うので困った父が霧島の神に助けを求めたところ、霧島の神が赤鬼に石段を一晩で1000段積んだら娘をやろう、それが出来なければ去れと条件を付けたという。


すると鬼はその怪力を生かしてあっという間に999段積んでしまったので霧島の神が慌てて空を明るくして鶏を鳴かせ、強制的に朝にして鬼が夜明けまでに1000段積むのを阻止したという。


こういう伝説はあちこちにあるものだ。秋田県男鹿半島の赤神神社にも似たような伝説があるが、鬼は一応正々堂々と石段を積み上げているのにいよいよのところで朝が来たと騙して防ぐのはなかなか狡いやり方ではないか。


東霧島神社拝殿


東霧島神社は霧島六所権現の一つで第5代孝昭(こうしょう)天皇の御世に創建されたと云われている。


だが後世に噴火により焼失したものを第62代村上天皇の御世に性空(しょうくう)上人が再興したとされる。性空上人は近くの宮崎県えびの市の白鳥神社も創建している。

えびの市の白鳥神社は霧島連山で修行をしていた性空上人の元に一人の老人が現れ、「我は是日本武尊なり。白鳥と化して此峯に住すること久し。師の読経苦行の徳に感じて身を現ず。」とお告げしたことによる創建とされる。日本武尊が霧島連山に示現したのは熊襲討伐の因縁があったことによるという。

ちなみに性空上人は後に兵庫県姫路市の書寫山(しょしゃざん)圓教寺(えんきょうじ)を建立した。



東霧島神社は地元の方々の真心が感じられる良い神社だった。


次に都城駅より霧島神宮行きのバスに乗り25分横市バス停下車して徒歩で母智丘(もちお)公園に向かった。


2024年4月8日に東京都町田市にある母智丘(もちお)神社にお参りしたのだが、この変わった名前の神社の由緒書きを見ると宮崎県都城市より勧請した神社であることを知った。それゆえ宮崎県の旅で町田市の母智丘神社の勧請元に訪れたいと思っていたのである。

宮崎県都城市より勧請された母智丘(もちお)神社


横市バス停より徒歩15分とのことだったがグーグルマップが変なところに誘導したため、かなり無駄な回り道をして炎天下なのに倍以上の時間が掛かった。グーグルマップにはたまにこういうことがある。後で回り道せずそのまま真っすぐ行けば良かったのだと知った。


こうしてバス停から30分以上歩いてようやく母智丘神社に到着。










母智丘神社の由緒について興味のある方は上の由緒書きを拡大してご覧下さい。


母智丘神社のある丘の上からはこのような展望が広がっていた。



母智丘神社社殿の裏には陰陽石などの磐が祀られていた。






母智丘神社では心置きなく火水埴の清祓いを奏上してお参りした。町田市の母智丘神社はここから勧請したのか、と感無量の想いであった。


母智丘神社のお参りを済ませるとバス停に戻ったのだが、70分ほどバスを待たねばならなかったので付近の飲食店を探して歩いた。最初に訪れた店は休み、2軒目に訪れた店は団体さんが来るので準備が忙しいからすぐにお出し出来ないと断られてしまった。でも2軒目の店ではせっかくだから冷たいお茶飲んてって、と冷たいお茶を出して下さりありがたかった。


昼食にありつけず彷徨い歩き、一つ前のバス停、二つ前のバス停と戻って行き、セブンイレブンを見つけてガリガリ君を買って食べた。こういう時のガリガリ君は死ぬほどうまい!


そして理由もなくコメリに入って涼み、なんだか申し訳ないのでちょっとした買い物をしてバス停に行くと、バスが10分遅れでやってきた。強い日差しを遮るものが何も無い中で待ち続けるのは辛かった。


昨日はなんだかんだで炎天下を17000歩ぐらい歩いた(※昨日のトータル歩数は25000歩ほど)

我ながらよく熱中症にならなかったものだ。


昨日のはま寿司での昼食はその後の出来事なのであった。

地元に帰ったら改めて町田市の母智丘神社にお参りしよう。